散文における「書き言葉」と「はなし言葉」文体の意味
小説までいかない散文とは、だいたいエッセイということになる。エッセイの文体で誰が書いたかわかるようなことは、現代ではなくなったように思う。文章で「書き言葉」というと、作家は小説のための文体を考えるが、ふつうの人は、文章のことを考える。「はなし言葉」というと、なまの会話の写しということになる。どれも散文としてうけとれる。
このところ「外狩雅巳の庭」では、短い文章の積み重ねで、話し言葉風の書き言葉の文体が使われている。流麗さはない。もし読者が目の前でこの話をする人に出会ったら、顔を見つめながら話を聞くはずである。それが文章だけだと、話の成り行きと、作者の立ち位置だけが浮き上がる。こうした書き方を長い話につなげるのにはどうしたら良いか、に工夫の余地がある。ここでは、文体としての「話し言葉風」というスタイルが出来ている。平談俗語体という文体に近いのでは。
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