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2014年11月30日 (日)

法人化へ!法政大学経済学部同窓会が忘年パーティ

 11月のうちに、早くも忘年会をひとつこなしてしまった。1967年卒組の同級生の誘いで、初めて参加した。こういう同窓会はビジネスで現役の人たちが、お互いに連携を強めて仕事に役立てようとするものであろうと、思っていた。ところがそれもあったが、リタイア組が多く、中には1956年卒組の方もいて、ご長寿として表彰を受けていた。80歳の組である。青春時代を過ごした母校を愛するが故の同窓会であることを再認識した。その法政大学同窓会《参照:法政大学経友会》が、社団法人化のような形態をめざしているときいて驚かされた。「ホームページに情報がありますので」(會田久二夫常任幹事)と教えられ、なるほどと納得したものだ。

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2014年11月29日 (土)

同人誌「淡路島文学」第10号(兵庫県洲本市)

 本誌は7年かけて10号に至ったという。各作品の概要は、北原文夫氏が編集後記にまとめられている。企画として、他の同人雑誌作家たちの本誌に対する寄稿が掲載されている。よき理解者を得てこそ、文芸同人雑誌が文芸文化を形成していることがわかる。
【「無明の嘆き」樫本義照】
 社会福祉会館の管理運営をする立場から、日本の介護制度を通して、子供たちに見捨てられた親の末期の数々の事例を挙げる。また、子供が老いても親の面倒を見て独身を通せば、親は子供の老い先を周りに託していく姿もある。親の年金を勝手に使うが面倒を見ない、動物化した人間といえば、動物に失礼かもしれない姿を告発。日本が無明の闇に向かうという締めくくりの言葉は重い。かつては貧しさを耐えるための人間関係が、美徳を支えてきた。お婆捨て山など、昔から人間も獣と大差ない存在としての一面はある感想も出る。日本人の資質が変わることの退廃と哀れさを感じさせる。
【「離れ座敷でみる夢」宇津木洋】
 ぼくの日常生活のなかでの意識の流れを題材に、少年時代からの記憶をたどって語る。作者は以前からこの作業に挑戦しているようだ。少年時代にはウサギ、ヤギ、アヒルなど家で飼っていた。農業生活中心の当時と現在に至る時代の変遷を具体的に語る。この記憶をたどって記す作業に、あれは何であったのかという問いを含んでいる。そこに、いうに言えない何かがあると考え、その何かに迫ろうと試みている。大正末期の広津和郎は、「散文芸術」として、小説の「芸術」性よりも「近代の散文芸術というものは、自己の生活とその周囲に関心を持たずに生きられないところから生まれたものであり、それゆえに我々に呼びかける価値をもっている」とした。
 現代の人間が文明の進歩と同時に意識の流れの多様さについていけず、単純な生物化、動物化の非文学化する生活。「散文芸術」を再検討する価値があるのではないか。そのような視点でも読める作品である。
【「五月の風」北原文夫】
 これはまったくの私小説物である。兼業農家として生活をすることがままならず、職業についてきたことから、趣味化した農作業の風光と愛着を語る。筋のない話。素晴らしき日常か、その未完成感との葛藤なのか。この作品もまた、前述した散文芸術への道をどう切り開くかの課題に向かっているように思える。共通するのは、生きることの実感と意味づけをどの角度から見て表現するか、であろう。その探究にまだ先は長そうである  
発行所=〒656―0016兵庫県洲本市下内膳272-2、北原方。淡路島文学同人会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2014年11月28日 (金)

文芸時評・東京新聞(11月27日)沼野充義氏

現代日本の現実
上村渉「三月と五月の欠けた夢」絶望のレアル/宮崎誉子「笑う門には老い来る」笑い飛ばす力
 《対象作品》上村渉「三月と五月の欠けた夢」(すばる)/宮崎誉子「笑う門には老い来る」(新潮)/谷崎由依「蜥蜴」(同)/宮下遼「無名亭の夜」(群像)

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2014年11月26日 (水)

しばらくは文学フリマの話題でいくつもりでいたが

 文学色を「暮らしのノートITO」でも強めようと、文学フリマの話題を書いていたらパソコンが変調しはじめた。買ったショップへもって行ったら、操作ミスではなくセットの不調だという。そこでパソコンを預けて、やっと取りにいってきた。書きかけのゲンロンの内容は、なにをかうつもりだったか忘れた。思いついたことを書いておいた。

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2014年11月24日 (月)

第19回文学フリマ11月24日に出店します。

 東京流通センターで開催の《文学フリマサイト》に文芸同志会も参加します。販売品は既刊《昨年の文芸同志会》と、伊藤昭一の社会評論を掲載した同人誌「砂」の最新号です。一階の「B-2」コーナーです。噂によると2階では、ゲンロンカフェを運営する哲学者・作家の東浩紀氏の握手会?も行われるようで、そのついでにでも寄ってください。博麗神社秋季例大祭とのコラボ企画もあるよ。
 このところ加齢による腰背変形とかで腰痛があったのに、こんどは頸骨圧迫とかで肩痛、群発性偏頭痛症状が出た。医師の予想では、2か月は長期に続くだろうといい、鎮痛剤で治まるのをまつ。それまで、痛みを紛らわすのには酒を飲むに限ると、量が増えていたが、説明をきくと、酒や刺激物が血管を広げるので、余計傷むという。驚いて、酒をやめたら、たしかに痛みは軽症になった。
  さすがにフリマ販売の本は以前のように両手に持てない。そこで大した量ではないが、カートで運ぶことにした。
 これが一段落したら、届いている同人誌の紹介記事をまだ書くつもり。

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2014年11月23日 (日)

文芸同人誌「文芸中部」97号(東海市)

【小特集・亀山郁夫「新カラマゾフの兄弟」を読む】
 同人誌の書き手が、一つの作品を読みあって、その読書録を集めという、意欲的な新企画である。これはロシア文学者で名古屋外国語大学長の亀山郁夫さん(65)が、初の小説「新カラマーゾフの兄弟」を執筆。亀山氏が講演した縁であろう。「中部ペン」第21号に文学講演録・亀山郁夫「ドストエフスキーと小説について考える」(遠藤昭巳氏まとめ)が掲載されている。
 亀山さんの「新カラマーゾフの兄弟」は、「文藝」に掲載された。1995年の日本を舞台とする「黒木家の兄弟」と、ドストエフスキーを意識してきた自身の半生を投影した「Kの手記」の、二つの小説を交互につなぐ形で進む。
 文学眼に優れた面々がそれぞれの感想を述べていて、大変興味深い。自分はたまたま亀山氏の「ドストエフスキー~謎とちから」(文春新書)を読んでいる最中だった。やはり打ち込んでいる作者に接しているうちに、書きたくなるということはあるのだろうと思う。
【「山ぶどう」西澤しのぶ】
 日本の震災を取り入れた、地元の人の話。粘り強い筆致で丁寧に書きこんでいて、読み終わったら、意見も言えないほど疲れた。
【「いま、このとき」堀井清】
 なめらかな文章で、読者の想像を引き出すような省略の効いた表現法は、作者が手中にしたもののようだ。自分も枯木も山の賑わいで「グループ桂」という同人誌に作品を出すことになったが、どのような文体にするか、まず考えた。そこで堀井氏の文体が頭に浮かんだ。前回の「ライバルの時間」と本作をじっくり読んで検討させてもらった。とくに、今回は日常性から事件性を含んだところに向かっている。私は事件性を先に出して、あとを曖昧にするという順序を入れ替えてみた。文章の滑らかさは持ち合わせていないので、最初から独白体にした。そういう工夫の勉強をさせてもらえる作風である。
発行所=愛知県東海市加木屋泡池11‐318、文芸中部の会。
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2014年11月22日 (土)

文芸誌「なんじゃもんじゃ」爽籟号(通巻第18号)

【「わが『残日録』あるいは『エンディングノート』」小川和彦】
 人生の峠の登り道を過ぎ、下り道に入り、年令に見合った活動の範囲にする時期。日本経済は、人口の高齢化により、国民は大酒も飲むこともなく、大食もしない。大型車に乗ってツアーもしない。金をためたが、消費ができないのである。ビール会社は国内の工場を整理し、自動車メーカーは買い手のいる海外で生産をする。消費しないから、国内生産をしない。国民の働き手の人口がへってバランスがとれている。それがデフレである。魔法でもなければ、状況が変わることはない。こうした現状において、国のリーダーは成長の矢を打ったという。当然ながら、矢は地に落ちで飛ぶこともない。メディアは、国のリダーのアホノミクスな説を、変な話であると解説をすることもない。中国のサンゴ密漁、領海侵犯の自国防衛もできないのに、アメリカの子分となって他国と戦争をするとか、米国も頼りないであろう。アホな話をニュースされて、文句も出ないのは国民の衰退を示しているのであろう。解散したって、成長はしない。デフレは自然現象として作用する。インフレになれば、ローンの負担は軽くなる。パンが1個千円、月給100万円の時代がくれば月給の税金が20万円か。国債やローンの返済も楽になるであろう。
 そういうなかで、流石に文芸人である作者は、諸国民のひとりとして現実を描いている。人生の峠を下り道において、身辺整理と活動縮小を語り、成長期の回顧をしている。若き文学趣味時代には同人誌「文学街」がすでにあったという。
 また、同じ作者の編集後記には、子供のところへ行くので、住んでいた古家を売って、しばらくそこを借りて住むという「オーナーチェンジ」をすることにしたと記されている。本誌はどうなるのだろう。とにかく、空き家が増えて街に人が居なくなる。買い物をする人がいないので、店がなくなり、都会の店に行く。そこだけ繁盛する。
 経済の実態を知るには、文芸同人誌の私小説を読むとわかることがある。
 発行所=〒286-0201千葉県富里市日吉台5-34-2、小川方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年11月21日 (金)

文芸同人誌「婦人文芸」95号(横浜市)

【「白いカバンの記憶」野中麻世】
 眞藤という警官の視点で、窃盗事件の記憶を語る。容疑者に白いスカートと白いカバンの女があがった、状況だけで、これといった証拠はなにもなく、犯人がみつからなかった。事件捜査で彼を尊重してくれた望田という刑事が国会議員になった。彼の妻として紹介されたのが、窃盗事件を調べた時の白いカバンの女性であった。その後、その妻が万引き事件を起こして、友人は議員辞職する話にからめて、警察官時代での望田との剣道修業に汗を流した時のことを回想する。
 ミステリー風の肩の凝らない読み物である。散文技術として、話の場面印象づけのつなぎ方がうまい。
発行所=〒220―0055横浜市西区浜松町6-13-402、舟田方。「婦人文芸の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2014年11月20日 (木)

著者メッセージ: 多和田葉子さん 『献灯使』

  執筆中は読者のことを考えている余裕のなかったわたしですが、こうして本ができあがってみると、それを読んでくれるあなたのことがとても気になります。あなたの思い描く日本列島の未来もこんな風なのでしょうか。それ
 とも全く違ったものなのでしょうか。この本を読んでみてから、腕を組んで(あるいは寝ころがって)じっくり考えてみてください。(多和田葉子)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年11月15日号より) 

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2014年11月18日 (火)

日常が面白い?外狩雅巳氏の散文技術

 現在の日本は、おおむね平和である。そのなかで身近な題材が日常生活である。このところ、「詩人回廊」(外狩雅巳の庭)が、面白いという話が会員からも出ている。なかには新境地をひらいたのではないか、という意見もある。これはエッセイか、作文かということになるが、北一郎は散文と読む。エッセイには事実に沿ったこと、という条件がある。フィクションは語れない。作文はみたこと、きいたこと、思ったことを記す。文章の終わりは「と思った」でいい。小学生の作文はほとんどこれで締めてある。小説でも締め方に困って、「と思った」とつい作文癖が出てしまっているのがある。これに対し、散文は文章技術が存在する。書き手は生身の存在者ではなく、どこか宙に浮いている必要がある。したがって書かれた対象も、日常の見慣れた風景でありながら、どこか変であることを示すように描くことが必要であろう。まじめなことが滑稽だったり、悲劇だったりする。この地球が人間生活の安泰と継続を保証しているわけではない。これは常識であるが、この常識と日々の生活の常識を並べると非常識の視点になる。これら外狩氏の掌編は、彼が新境地を開いたわけではなく、文章技術の一つ手法を追加できたという風に受け止めている。

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2014年11月17日 (月)

蟻君忌で「藤本義一文学賞」を来春公募

 平成24年に亡くなった作家の藤本義一さんの三回忌に合わせ、親しかった人々が集う会「蟻君忌」が大阪市内で開かれ、遺族らが「藤本義一文学賞」を創設すると発表した。賞は、妻の統紀子さんが代表を務める運営委員会などが主催。事前に発表するキーワードに沿った短編小説を募集する。大賞の賞金は30万円。来年4月から募集を始め、同年10月30日の蟻君忌で大賞などを発表する。

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2014年11月16日 (日)

「第十九回文学フリマ」で「小説家になろう」公式生放送の公開

 「第十九回文学フリマ」(11月24日)では、「小説家になろう」の公式生放送が文学フリマにて公開放送を行う。当日、取材を希望するサークルの募集も行っている。
 また、文芸同志会のブースでは、北一郎詩集「有情無常、東京風景」の販売にも力をいれます。《参照:文芸同志会のひろば》。巻頭の詩「ベイサイド有情」には、師である伊藤桂一氏が詳細な跋文を寄せてくれています。
「いわゆる詩的抒情は全くない描写だ。私は先に不思議な詩集といったけれど、通常詩人が、いそいそと飾り立てる詩語への愛着はない。」と指摘されました。タイトルも決めてくれました。
 これまで販売に注力してきませんでしたが、方針を転換し大いに宣伝します。北一郎は、長年の間、テーマを決めた詩の公募について、それはコピーライターの仕事のうちだと思っていました。現に、カレンダーにつける詩の制作を頼まれたことがあります。それが、たまたま伊藤静雄賞の作品と選評を読んで、そういうことか、と理解をししたものです。

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2014年11月15日 (土)

著者メッセージ: 濱嘉之さん 『オメガ 対中工作』

  覇権主義国家とは、どういう思考回路を持つのか。彼らの考えはこうだ。自国が利すると踏めば、なりふり構わず敵対国を侵略したり、先制攻撃を 仕掛けてよい。相手を挑発し、先に攻撃をさせても結構。領土を拡大するという目的のためには、手段を選ばない。自国の利益のためならば、あらゆる ことが正当化される。
  現在の中国に視線を向けてみよう。日本、韓国、ベトナムなどの国土や 領海を侵略し、国際社会から非難を浴びても、中国は真顔で自らの正当性を 主張している。権謀術数の限りを尽くし、眉をひそめたくなるような利己的 な行動を、これからも続けていくつもりだろう。
  中国共産党は、長大な時間をかけて世界進出を企ててきた。中国の民はその長い歴史の中で、全世界に散らばり、土地を獲得し、中国人街を作り、現地社会に溶け込んでいった。その先にあるのは、親中国家の建設だ。すべ ては自国の利益のために――目下最大のプロジェクトは、アフリカ大陸が舞台である。本書はここに焦点を当てた。ぜひご一読いただければ幸甚である。 (濱嘉之)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年11月15日号より) 

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2014年11月14日 (金)

佐藤裕の庭「詩人回廊」2013年(私家版)より

 「詩人回廊」の佐藤裕氏がこれまで発表してきた詩を年代ごとに集め小冊子にした。印刷の都合で、偶数ページにしないといけないので、ページの余るたびに北一郎の作品評を書いた。結果的にひとつのひとつの作品に焦点を当てるという試みになった。
これは佐藤裕「不倫の女」という作品。どういう視点で論じるか困ったが、結局このようなものになった。評論には対象作品とは別に、それだけで読める何かをつけろとよく言われるが、なかなか思い付かないものだ。
 鑑賞の視点~ 不倫の女  北 一郎(詩人)
 人間社会が家庭生活を営む構造であることから、不倫は異端になった。近代社会はマルクス主義による社会制度を問題視してきた。その後、人間社会にはそれ以前に構造的特性があると指摘し、構造主義に視点が移ってきた。詩人・佐藤裕は、この人間的構造の課題に果敢に挑む作詩をするようになった。リアリズム的なイメージをぶつけて、現代詩の課題を読者に突き付けている。愛の欠乏感と不倫への欲望。エクスタシーで小さな死を得る欲望は、それが死と隣り合わせの世界であり、永続不可能性を暗示している。本当の死は一回限りである。制御なき欲望の危機を表現している。
 俳優の石田純一は一九九六年に“不倫は文化”と発言し、しばらく仕事を失った。約八千万円の損失で困窮したことは有名。流行歌「フランシーヌの場合」(いまいずみあきら作詞)には“本当のことを云ったらお利巧になれないー本当のことを云ったらあまりにも悲しい”とあるが、これは人間の生きる構造を揺るがすからであろう。

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2014年11月13日 (木)

赤井都さん「豆本づくりのいろは」 増補新版発売

河出書房新社からの『豆本づくりのいろは』、おかげさまで好評をいただいて、いまだに売れ続けています。今の目線で見ても、良い内容の本です。しかもその後に出た私の本と、内容はかぶっていません。全部買ってもらえるように私の著書本は、違うネタを並べています。
このたび、いろはの増補新版が出ることになりました! ひそかに撮影が進んでいたりして、そして隠密だと思っていたらe-honにさっそく発売情報が出ていて、豆本友達はもう知っていて、聞かれたりしました! 11月末~12月上旬くらいに、店頭に並びそうです。書店に予約でも買って下さい。
増補新版であって、新しい本ではないので、内容はいろはです。
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■秋冬の予定
11月12日~23日
アートで本を綴る 神楽坂えすぱすミラボオでグループ展
11月30日
クリスマスDMを製本する会 自宅アトリエ
11月末~12月上旬
豆本づくりのいろは 増補新版発売
12月6日~25日
神保町クリスマスオリエンテーリング
東京堂豆本ツリー
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言壺便りについて

ブログに夏ごろ書いたので、知っていて気にされている方も多いかもしれません。もうすぐ、入院手術を受けます。全く心配するような難しい事はなく、根治療となるので大丈夫です。それで、写経でもしようかと思ったのですが、なぜか製本し続けてしまっています。向いていることが楽しいのかー。

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2014年11月12日 (水)

印象批評を超えて書き手の姿勢を読むことの意義=外狩雅巳

 文芸同志会に入会した為に伊藤昭一代表の作品評が多数貰えるようになった。
 穂高健一氏の「ワールド」サイトでの掲載にも尽力してくれた。さらにその作品評も貰えた。
 文芸同志会通信11月9日付けの「足払い」の完成度という見解に注目した。
 伊藤氏は作品に寄り添い主人公の人間性やその苦悩をしっかり読んだ。
 冴えない叔父さん顔の主人公の行き場の無い怒りを時代性と読んだ。
 敵のはっきりとしない今の時代を書いた作品と理解してくれた。
 このテーマで以前「悔いなき青春」という作品を書いた事がある。
 虐げられた丁稚奉公時代を回想した作品で短編集に入れて知人達に送った。
 高岡啓次郎氏が今回の伊藤氏と似た感想を「関東同人誌掲示板」で書いた。
 同氏は「私が殺した男と女」「オーバーラン」「血を売る」等も評してくれた。
 いつも現代への苛立ちを抱え何度か作品化への試みを行い歳月を費やした。
 同志会に入会しサイトで自説を書く事も出来るようになった事も嬉しい。
 そして、伊藤代表との議論を掲載し合う事で張り合いも持てた。
 文芸同人誌に掲載しても合評会でここまで読んで評してははもらえない。
 「この路地抜けられます」「外坪のるつぼ」「俺の39才」「いずみ野物語」。
 作者の深層は読み解いては貰えず表層での印象批評しか語られなかった。
 伊藤氏は多くの同人誌評を書きながら文学を語って来た。
 そして、遂に私の作品姿勢を読み解いてくれた。感謝している。
《参照:肉体が語る小説「足払い」(外狩雅巳)論(5・完) 北一郎

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2014年11月11日 (火)

アマゾンの市場支配に出版社の反発の原因

  主に専門書を扱う緑風出版、晩成書房、水声社の中小出版3社は5月からアマゾンへの出荷停止を続けている。書籍の販売価格の10%をポイントとして還元する同社の学生向けサービス「Amazon Studentプログラム」が「定価販売を約束した再販契約に反しており、書店や出版社の淘汰(とうた)をいたずらに加速させる」(水声社の鈴木宏社主)ためだ。3社は当初設定した「半年間」の期限となる今月初旬以降もさらに半年間、出荷停止を続ける方針を決めた。
 ただ出版社側も一枚岩ではない。6月には電子書籍販売の「優遇プログラム」を提示された出版社十数社が集まり、アマゾンに抗議することも検討された。だが結果的に足並みをそろえた異議申し立てに至らなかったという。
 背景には、国内最大の売り上げを誇る書店と推計されるアマゾンの市場支配力がある。水声社のような専門出版社の場合でも紙の本の売り上げのうち1~2割はアマゾン経由。電子書籍端末出荷台数のシェアではアマゾンのKindleが38%強(平成24年度、MM総研調べ)で首位を走る。ある大手出版社の幹部は「圧倒的なシェアを背景にした高圧的な姿勢には困惑するが、アマゾンの販売力を無視はできない」と複雑な胸中を明かす。
産経11月7日《「アマゾンが牙をむいてきた」怒る日本の出版社…契約内容で取引各社を“格付け”、アマゾン優位の関係に懸念」》

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2014年11月10日 (月)

文芸同人誌評「週刊読書人」(14年10月31日)白川正芳氏

「俳句史研究」21より鈴鹿仁「鈴鹿野風呂・父と俳人」
「江古田春秋」8号より特別インタビュー「瀬戸内寂聴」
永栄啓伸「夢の回廊」(「獏のあしあと」8号)、伊藤文子「木の力」(「ほほづゑ」81号)、「随筆 遍路宿」203号より安堂富美子「小さな出来ごと」・宮田夏「猫の土産」・武田幸栄「座右の銘”明日ありと思うな”」・原卓二「一行日記」
創刊エッセイ同人誌「玉繭」より伊勢田史郎「春の愛しみ」
金山嘉城「親父」(「青磁」33号)、佐伯恵子「フェアリー・アイ」(「土曜文学」9号)、飯野昇子「自然農の学び」(「女人随筆」133号)、沢崎元美「只野家の庭」(「全作家」95号)、伊藤由香子「七六四号例会記(東京)」(「VIKING」765号)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年11月 9日 (日)

外狩雅巳「足払い」の作品エネルギーと完成度

 「詩人回廊」の肉体が語る小説「足払い」(外狩雅巳)論(5・完)北一郎では、その特徴を述べているが、当初は短いものだから、言葉によって肉体のエネルギーが出ているだけであるが、短いからそれだけでいいじゃないか、という感想しかなかった。それが作者より評論をできないか、という呼びかけがあって、ちょっと困った。しかし、困ることで何か普段は出ない知恵がでるかもと、引き受けた。実際にやってみると困った状態そのままで、不出来である。
 これを評しながら別のことも思った。なんとなく相馬が可哀想である。みじめに自分を見つめる想念が個性のように描かれているのはなぜだろう。おじさん風の容ぼうに、彼女にも見捨てられる。本来の柔道物は姿三四郎のように、強く、悪を憎み、正義の味方が主人公であるのに、作者は、相馬にルール違反をさせる。反社会的な行為をさせる。それだから文学なのだ、と言ってしまえばそれまでだが、何か敵のはっきしない時代への苛立ちが読み取れる。
 この世界、白黒がはっきりしない。芸能ニュースなどでも、昨日のヒーローが、次の日はダークな側面が明らかにされる。虐げられた労働者であるはずのものが、勤める会社の株を持たされたりする。労働者なのか資本家なのか。人間はグレーゾーンの善悪の両面をもっている。善人か悪人か、はっきり分類できないわかりにくい存在になっている。ところが暴力は、強力な破壊者が物事を決める。すっきりはっきりする。
 文学的には、ドストエフスキーなどは、複雑な心理を描くが、同時に暴力をそこにいれることで、なんとなくわかった気にさせるところがある。ただ、生活に忙しくなった大衆は、わかりやすい断定的な見方を求める。そこから距離を置くところに文学の役割があるような気がする。

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2014年11月 8日 (土)

ドイツの文学賞授賞式で村上春樹さん「壁」を語る

  ドイツの首都ベルリンで7日開催された「ウェルト文学賞」授賞式で、作家は言葉によって現実と非現実、意識と無意識の「壁」を越えられると、身ぶり手ぶりで説明。フィクションを書いて、読者にこうした壁を往来する経験を提供することが極めて重要な役割だと強調した。(共同)

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2014年11月 7日 (金)

台湾・淡江大学「村上春樹研究センター」ができる

村上春樹氏を専門とする研究センターが台湾の私立大学・淡江大学に誕生し、始動した。
 文学研究の枠を超え、作品のもたらす経済効果や社会的影響を総合的に研究するのが目的で、同様の研究拠点は世界でも異例という。
 「村上春樹研究センター」がこの夏、淡江大に設立されたのは、もともと同大の日本文学研究が盛んなだけでなく、台湾の村上作品の読者層が厚いことが理由だ。センター主任の曽秋桂教授(日本文学)は「毎年指導する学生の中で、村上研究の希望は絶えることがない」と語る。
 10月、ノーベル文学賞が別の作家に決まった時も、ファンの中からは、「肩書が一つ増えるだけの文学賞受賞より、作品が一人でも多くの人に読まれる方が大事だ」(台北市内の大学生)との冷静な声が聞かれた。
 1990年代以降、台湾を出発点に、香港、上海、北京へと人気が広まり、中国語圏での村上ブームを先導してきた。1万部売れれば、ベストセラーとされる台湾で、「ノルウェイの森」は50万部以上売れている。(読売新聞11月6日

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2014年11月 6日 (木)

散文における「書き言葉」と「はなし言葉」文体の意味

 小説までいかない散文とは、だいたいエッセイということになる。エッセイの文体で誰が書いたかわかるようなことは、現代ではなくなったように思う。文章で「書き言葉」というと、作家は小説のための文体を考えるが、ふつうの人は、文章のことを考える。「はなし言葉」というと、なまの会話の写しということになる。どれも散文としてうけとれる。
 このところ「外狩雅巳の庭」では、短い文章の積み重ねで、話し言葉風の書き言葉の文体が使われている。流麗さはない。もし読者が目の前でこの話をする人に出会ったら、顔を見つめながら話を聞くはずである。それが文章だけだと、話の成り行きと、作者の立ち位置だけが浮き上がる。こうした書き方を長い話につなげるのにはどうしたら良いか、に工夫の余地がある。ここでは、文体としての「話し言葉風」というスタイルが出来ている。平談俗語体という文体に近いのでは。

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2014年11月 4日 (火)

同人誌評の変化を「大波小波」が記す

 東京新聞11月4日夕刊のコラム「大波小波」(筆者・古文壇人)で同人雑誌評の担当者の顔ぶれが変わったことを書いている。「三田文学」は編集長が若松英輔氏にかわり、伊藤氏貴氏、水牛健太郎氏、浅野麗氏の鼎談になった。「季刊文科」が谷村順一氏に変わった。谷村氏は41歳、日大芸術学部の先生。浅野氏は37歳、伊藤氏46歳、水牛氏は47歳だという。
 自分もそれらの評を読んでみたが、共通しているのは、まず文章力のあるもの。なめらかさや、流麗さを見逃していない。描く世界の物珍しさも目に留まるようだ。その作品を読むことを前提とするのは、当然だが評だけ読む意味も持たすことができないかな、と思わないわけではない。
また、そこから視点をずらした同人誌作品評も必要であろう。我田引水でいえば、流麗な文体でなくても、それなりに文学的な問題提起の種をそこから導きだせないか、という試みが北一郎の評論である。《参照:北一郎の庭

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2014年11月 3日 (月)

東浩紀氏「福島第一原発観光地化計画」を語る

 東京新聞11月2日朝刊の「あの人に迫る」に東浩紀氏のインタビュー記事が載った。タイトルは「軽薄さがないと関心は続かない」(武藤周吉記者)。それによるとゲンロンの出版「福島第一原発観光地化計画」は、売れ行きが悪いという。ーー計画を発表して1年たちますが、反響はどうでしたかーに「はっきり言って、ほとんど反応はないですね。砂漠に向かって叫んだというか、砂に水をまいたというか、手応えはないです。本の売れ行きも僕の出したなかで、最も悪かった。」ー個人単位ではよい計画と思っているという人はたくさんいるが、公に発言する人はいないという。自分は、買って持っているが、なかなか良いことが書いてある。原発事故の起きる周期というか、30年に一度は大事故が起きる傾向にある。先見の明があると言われるのは、福島の事故が忘れ去られて後、幾また事故が起た時のことであろう。参照《杉田俊介「東浩紀論ー楽しむべき批評」(「新潮」11月号)を読む

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2014年11月 2日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」(2014年10月29日朝刊)長野秀樹氏

題「重層性」
深田俊祐さん「かんべぇー」(「ガランス」22号、福岡市、梓書院)、藤代成美さん「魔女に還る」(「照葉樹」第二期6号、福岡市)
「火山地帯」179号(鹿児島県鹿屋市)より佐藤文男さん「花ちゃんの赤い弁当」・立石富生さん「会いに行く」、「詩と真実」784号(熊本市)より吉井惠璃子さん「不知火」、古岡孝信さん「永い闘いの日々」(「二十一せいき」25号、大分市)
「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年11月 1日 (土)

文芸時評・東京新聞(10月30日)沼野充義氏

高橋弘希「指の骨」古風でリアル 若手を超越
四元康祐「偽詩人抄伝」パロディ調 詩論は深く
≪対象作品≫
高橋弘希「指の骨」(「新潮」))/四元康祐「偽詩人抄伝」(「群像」)/第二十二回萩原荻原朔太郎賞受賞・三角みづ紀詩集「隣人のいない部屋」(思潮社)/筒井康隆「ウクライナ幻想」(「文学界」)/ウリツカヤ「ヨーロッパよ、さようなら」(「すばる」)/サイード「国境越えーある思い出」(同)。

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