日常の出来事と散文
このところパソコンの調子が悪く、持ち込み修理調整で販売店サービスに出していたので、アップできなかった。店の人の話を聞くと、場合によっては面倒な修理で、すべてを初期にもどすかもしれないという。きいていて、あまり面倒ならば、もうパソコンはどうでもいいや、と腹を決める。そうしたら、あまり根本でなく、詐欺サイトかなにかか、カメラソフトのXP時代のものかなにかがあっての不具合らしく、1日で直りそうという。翌日取りにいけたが、2日後になった。
このような話を同人誌に書け散文になるエッセイか、散文になる。エッセイは事実を題材にするが、それに夢想や妄想、思想を付け加えると散文になると自分は考える。「詩人回廊・外狩雅巳の庭」もそのようなものである。
彼は「文芸交流会」で事務局をしている。そこで文学談義をしようということだ。そこに参加しているが、そのなかで、散文の意味やその技術的な話をしている。外刈氏の視点で同人誌作品を読んでわかったのは、同人誌の作品は散文が主体で、散文芸術としての評価が必要だということだ。同時に散文は芸術的にどこまで向上できるかが問題だと思う。
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