文芸研究と情報の読み方
この世界に情報はあふれている。それをどう読み取り、選択し、解釈するかが問題となる。現在、米国の世界的な情報収集機関が話題になっている。しかし、いくら多量の情報を集めても、意味を読み取れなければ、それはゴミである。情報はどこかに存在する。その原点を「文芸同志会のひろば」でイラク戦争についてまとめてみた。情報紙「文芸研究月報」を発行する際にその発行元として文芸同志会を結成した。それでこのほど、当時の原点になっていた資料からまとめたのがこれである。私は学生時代にレーニンの「帝国主義論」を読んでいて、そこで使われた統計資料がすべて、資本主義社会にて、公開されたものであるーーと書いてあった。そこから学んだ。メディアで公開されたなかから、文芸に関する情報を選んでいるうちに、(作家のニュースとコメント欄の作家インタビュー記事は、ウソとホントが混在しています)。
一般的に重要と思われるものは小さく報道するか、あるいは情報がない。何かの印象を薄めるために、どうでも良いことを大々的に扱うという傾向があるのに気付いた。最近では、新聞休刊日の前日に起きたことに注意すると、わかることがあるのでは。ニュースがあるときに、メディアがなぜこのように扱ったのかを考える、ともうひとつ別の意味が読み取るヒントになるかも。知ったからといって、どうなるものでもないのですが、少しでも本当のことを知りながら、生きていたいというのが私の趣味なのかも知りません。手がかりは探せばあるものです。暮らしのノートは、ライブドアのPJニュース記者時代に、作らされたものですが、今は個人新聞的ブログになっています。
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