「ライターズ・ハイ」願う 作家・桐野夏生さん
『顔に降りかかる雨』という作品でデビューしたのが、九三年。かれこれ二十年以上も小説家をやっていることになる。
私がデビューした頃は、新人に雑誌連載の仕事などは来なかった。年に一、二作のペースで小説雑誌に短編を書かせてもらい、四、五年かけて一冊の本になるのを待つか、一年や二年という時間をかけて、書き下ろし長編を書いたものである。ちなみに、デビュー後の五作は書き下ろしだった。
連載は締切が設定されているし、担当編集者から連絡もあるから、そう寂しくはない。が、書き下ろしは一人きりの地道な作業だ。場合によっては、一人で資料を探し、取材にも行かねばならない。
私の場合は、毎朝、仕事場に行ってパソコンを立ち上げ、前日に書いた文章を推敲すいこうすることから始まった。推敲だけで終わる日もあれば、やたらと筆が進む日もある。昼は持参のサンドイッチを食べて、また作業に戻る。ふと気付くと夕暮れ時。パソコンの電源を落として家に帰る。家で夕食を食べて風呂に入り、翌日の構想を練る。
そんな日々を送っていると、作品世界に没頭してしまって、常にぼんやりと夢見心地になる。ライターズ・ハイとはよく言ったもので、作家としては幸福な状態だった。
ただし、孤独との闘いは辛つらい。他の作家がいい仕事をしたり、注目を浴びたりするのを横目で見ながら、マイペースで仕事を続けるのはなかなか難しいのだ。
最近の私は、連載ばかりで頭がとっちらかって困る。また、あのライターズ・ハイを味わいたいと密ひそかに願っているのだが。
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