文芸同人誌を読んで戦争を考える
文壇小説と対比する視線で、文芸同人誌を読み作品紹介を開始したのが2001年。たくさんの同人誌が到着しますが、読み切れません。五感の衰退もあり、そろそろ隠居もやむを得ない状況です。WIN8.1も疲れて根気をつかい果たす感じ。「澪」(MIO)4号では島田昌寛「東京大空襲被災記」が、その凄惨さを記録しているのを読みました。また。荻野央氏が「関東文芸交流会」サイトで批評されています。詩では田村淳裕「三月の朝の雨の」もいいですね。毎朝が「死にふちどられた一日のはじまり」という詩です。「北狄」(青森)367号では、青柳隼人「眠る湖」で、戦争を素材にしてロマンのある小説にしています。これまで読んできた同人誌の傾向を参考に「詩人回廊」に「文学フリマ物語消費」を書いています。
最終的には、欧州の経済大国のドイツが、戦争の贖罪に日本の400倍の資金を費やし、いまも謝罪の碑を建設している現状がいつまで続くのか。日本の贖罪意識と聖戦意識のもつれなど、相対的な比較の視点までいけば良いと思います。いまは考えることに意義を見出す情況かなと思えます。自分の文はテニオワがおかしいが、意味は通じるような気でいます。テレビで国会中継をみていると、安倍首相のいうことは、テニオワは合っていますが、意味がわからない。集団的自衛権の行使で、米軍が日本人を海外国際紛争で、救出しようとしたときに、それを支援するとか、米国は国法で米国人以外は助けないとなっていて、そんなことしたことがない。石油が輸入できなくなった国民の危機で中東で戦争をするとか、それはどういう意味か。文法があっていれば意味がわからないでもいいとするのが言葉の世界のようです。
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