「法政文芸」10号の文学・学士さんの小説技法に学ぼう
同人誌ではないので、暮らしのノート「文芸と思想」に「法政文芸」10号に読む卒業論文としての作品」として掲載した。国文学部の卒業生だから文学科専門家の学士さんの作品である。そのため、どれも書き出しから作者の姿勢が、鮮明に出ている。
木村悠里子「マリカ」は、「一時間ほどの告別式は、飾られた遺影を眺めていたらいつのまにか終わっていた」
それで、誰が亡くなって、それがどうしたの?と読む気がする。
寺山めぐみ「笑い風呂」は、風呂場で姉を飼っていたことがある。おれが十二歳、姉が十四歳の時の話だ」
飛んでる話だな、王城舞太郎(それとも舞城王太郎か)もどきか、と興味を引く。
ゼミの掌編セレクションというのがあって、毎号才気を感じさせるものが多い。
深谷ちひろ「羽のないよだか」は、「--よだかは実にみにくい鳥です。(1行あけて)因果な名前を付けられたと思う。私ではない彼女のことだ。」(田中和夫ゼミ、「暁」誌より転載)。
データーベースの厚さを使いまわすのがうまい。人物の性格が個性と普遍性を併せ持たせている。美意識の特性を浮き彫りにして、なるほど、これありだね、と含蓄に富んでいて面白い。
松田涼「つながる」は「泡立ったハミガキ粉で口の中がいっぱいになる感覚が好きだ。多分この感覚は他のものでは代用できない。唯一無二のものだと思う。」(中沢けいゼミ、「十六夜」より転載)
何を言い出すのかと思って読みだすと、この粘膜生理的感覚から宇宙感覚を呼び起こし、女性の肉体と精神の宇宙性を描く。いまの大学生ってすごい成熟度なのだ。これはだれが読んでも面白いであろうと思う。
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