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2014年7月 8日 (火)

文芸同人誌「海」第二期第12号(大宰府市)

【「白い翳」有森信二】
 福岡に住む健治は3年前に定年になり趣味の会の幹事をしている。母親は87歳でさまざまな病を治療しているが、長年住み慣れた自分の家で独り暮らしをしている。長男である健治が福岡に引き取ろうとしても、無視している。
 母親の病気を見守る中で、健治は少年時代の母親や親類のことを思い起こす。健治がこだわるのは、自分が本当に母の夫、つまり父親の子供なのかという点である。このこだわりをどこまでも追求している。そのために、幼少時代の記憶が単なる思い出話や時代の記録から脱け出て、純文学の世界に踏み込んでいく。
 敗戦直後の時代、まず母親は幼少時代から彼に甘えを許さない厳しい態度で接する記憶が語られる。それは彼が長男で農家を継ぐ立場であるから、と彼女は言う。
 この時代の農業従事者にとって、子供は重要な労働力。また、農地と人間の生産関係は、その土地を耕し、面倒をみる条件のもとで、収穫が得られる。しかも一定の面積を確保し、土地を分割しては良くない。長男だけがその土地を承継し、二男、三男、女性は家を出される。母親は、時代が変わっても、昔ながらの農業を守らすには、長男が勉強をして世間のことを知るのは良くないと、健治に勉強をさせないようにする。
 小説では結果的に身体が頑健でない健治は進学し、長男でありながら農家を継がないことになる。
 健治は、自分は祖父の子供ではないか、という疑惑を抱き、母親と祖父との関係について様々な出来事を回想する。祖父が文学愛好家で、血のつながりの濃さもある。しかし、母親はそのことを否定するニュアンスの答えしかしない。健治のアイデンティティに関する疑問は白い翳として存在しつづける。
 健治は父親が誰かを疑問にしながら、父親については多くは触れない。本当は、母親の愛情が欠落したような雰囲気で育てられた、それは何故かという、問題提起なのであろうか。息子はどこかで心を傷つけられている筈で、そこにたどりつかず、どこか漠然としたところがある。それ以外に多くの問題提起がなされているので複雑さを与えている。当時の社会制度の家長制度へのマインドコントロールに対するこだわりや反感あるのかもしれない。母親は、風変わりな性格ではあるが、長男の進学や都会住まいを許したのであるから、愛情を示さなかったわけでもないのではないか。
 描写にはすごいところがあって、勉強のことで、母親と口論になり、――母が傍らの六尺棒に手を伸ばしたので、健治は朝飯の箸を飯台に置いたまま、飛び退った。素足にズックを突っかけ、門口に入り出る。ぶつかりそうになった鶏が、あわてて羽を広げて物置の軒下まで飛んだーーとある。他にも優れたところがあるが、とにかくその描写力によって、自然にユーモアというか、哀感がでている。
 技術的には、小説に重層性が増すエピソードが多彩で、曖昧なようでいて、かつての家長制度主体の世間の掟が、時代の変化で崩壊しつつある現代を照らしている。読後になんとなくヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」を思い起こした。これは女性の家庭教師が幽霊に出会う話だが、幽霊がでたようにも思え、あるいは家庭教師の思い込みのようにも読める。この二面が曖昧で、どちらにも受けとめるられるように作者が仕組んでいるので有名である。
発行所=〒818―0012大宰府市観音寺1‐15‐33、松本方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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コメント

懇切な紹介をいただき、恐縮いたします。
力及ばず、語り切れていない点など多々あるにも拘わらず、底の底まで読み通していただいたことに驚き、心から感謝申し上げます。今後のために役立てていきたいと思います。
ありがとうございました。

投稿: 有森信二 | 2014年7月 8日 (火) 16時21分

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