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2014年7月12日 (土)

それだけではない。實重彦さん「ボヴァリー夫人」論

「研究」の言葉につきまとう「ほとんど無意味な真面目さ」が嫌いと話す。一方で、「今では自分より年上の人が亡くなり、変なことですが、英語や仏語、イタリア語などを含めて私が、『ボヴァリー夫人』について書かれた文献を世界で最も読んだ人になった」と、表情を変えずに言い切る。
 先鋭な映画や文芸の評論で知られ、東大の総長時代は「大学教育で最も重要なのは、彼らをどう変化させるか。1年生を挑発したい」と原稿用紙42枚分の長大な式辞を入学式で読んだ。その著者も78歳になった。
 6年かけて執筆した本作を、ライフワークとは呼ばない。「これを書き上げると、ほかのものをしないように聞こえる。サッカーのワールドカップ、小説、映画を見てもいい。世の中には面白いことが多くあるから、自粛したくありません」(読売新聞7月11日。構想45年!蓮實重彦さん「ボヴァリー夫人」論
  お偉い学者さんですら、文学だけじゃない。平凡な文学精神だけが青年のおいらなれば、二の次、三の次で当然か。先日、神田神保町の古本屋街に行った。ぶらぶらして、三省堂のビルでお茶をして、シラノ・ド・ベルジュラックを読む。また今月で店仕舞いをするという社会科学本専門店の店主と話す。まだ唯物論研究会が雑誌を出しているのには驚いた。買ってこんどは近くのベローチェで読む。安いねコーヒー代。ネグリについても触れているのは時代か。一応、フローベルについては「暮らしのノートITO」でも書いています。

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