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2014年5月27日 (火)

純文学で散文と散文詩と人々の道

 散文と散文詩をまとめて詩的素因を表現の核とするという見解から「詩人回廊」を開始しました。このようなものを作って欲しいという人は、私が設計し実行を開始したときには、亡くなっていました。また、ここでブログの活用法を学んだひとが卒業していきました。いまは、自分でサイトをつくり1日300人以上の読者を得ているそうです。すごいですね。また、高齢による病気や、集中力の不足で、離脱する人も増えています。書きかけのを、北一郎さんに続きを頼んで下さいという人もいました。北一郎もやはり死にゆく道を歩むところで、なかなかそこまで手が回りません。
  散文や小説がなぜ詩なのかという疑問をぶつけてくる人もいます。基本には、小説での物語化は、必ず構造パターンに縛られます。この構造パターンは世界の神話に共通するものなので、村上春樹や宮崎駿などが世界中で受け入れられるわけです。この辺は、大塚英志の「構造しかない××」や「キャラクター小説の書き方」に詳しく出ています。私は、若い時期に企業のブランド戦略のためのコピーライトをしていましたので、企業の商品展開を物語化しました。何社も掛け持ちでやりました。物語には構造があるので、それにあてはまる事物を拾い上げ当てはめればよいので、いくつもできます。
 物語化は、人に広めやすいですが、一般化しすぎて、個人の純文学的個性は出せません。しかし、構造のないただの散文や詩ならば結構個性やインスピレーションが活かせるので、良いと考えました。文芸の商業雑誌で活躍する純文学作家たちは、面白くて芸術的な作品を書こうとするので、大変で、変なものも書きます。それも制約なので、面白がられなくても良いので、自分らしいものをかくのもいいでしょう。「詩人回廊」には「冥途の土産に書いておきます」という人もいます。

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