作品の「読まれ方」体験記=外狩雅巳(投稿)
評論家・北一郎氏の作品評を収めた私の冊子が完成しました。八十部ほどを外部配布します。長年に渡り文芸同人雑誌に作品を発表しています。随筆・誌・小説等五十作以上公表しました。
その中の数作には外部評が付きました。また、合評会では多くの同人仲間が感想を寄せました。文芸同人会に集う仲間は専門家ではないので印象批評やねぎらいなどが多いのは当然でしょう。
新聞・文芸誌等の外部への送付に対しての専門家の作品評こそ書き手が切望し焦がれています。
青年期は労働運動の中で創作を行った関係で「赤旗」「社会新報」「新日本文学」「民主文学」等に送りました。同人誌作品評欄に取り上げられることも有りましたが該当紙誌の方針での評でした。
労働者の戦いを肯定的に描いたり、くじけない気持ちで書いた時には何度か褒められました。しかし、状況を悲観的に捉えたり、主人公の挫折に寄り添い過ぎた時は無視されていました。
事実は革新的労働運動は広まらず、労使癒着の方向や成果主義が主流になる時期でした。中年期・四十代・五十代には公民館広告等で仲間集めを行い多様な人達と同人会を結成しました。
ここでは、階級視点は理解されず人間探究描写が対象にされました。構成力も試されました。雑多な人達の集団なので内部評の向上を目指し書きました。面白く書く事を主眼にしました。
それでも、過去の階級的視点からの書き方からは離れる事ができませんでした。労働運動から階級闘争への方向を学んだ過去は日々の実践でぼやけ出し妥協的になりました。
そして六十代。年金生活の楽しみとしての文芸活動。混ぜ合わせた生き様が作品化されました。そこを見事に捉え見抜いたのが北一郎でした。彼の作品評は時代背景を織り込んでいます。
著者が客観的に自作を眺める良い教材になります。時の制約が作者にどう書かせたか分かります。そんな北一郎作品評は二作目、三作目に進んで来ました。裸にされるスリルも楽しんでいます。
創作と評論は相棒なのですね。勝手気ままに創作を行ってきました。やっと批評に巡り会いました。理解ある読み手が作者を育てた話は他人事として聞いていました。評論家を認めず生きていました。
この機会を追い風にして、再度の創作人生に取り掛かりたいと思っています。
《参照:外狩雅巳のひろば》
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