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2014年5月28日 (水)

文芸交流会(5/31開催)の作品の読み方=外狩雅巳(投稿)

  町田文芸交流会を発足させた理由の一つに同人雑誌会合への不満足があります。相模文芸を結成し長らく会合を行いました。同人誌作品の感想を話し合いました。他会の作品は議論しませんでした。会員の出版本も読書し論議する事はありません。
  今回は会員仲間の掲載した文学論を評した一文を掲載しましたが合評対象外となりました。これらを交流会で実行したいと思い発足したのです。そして町田公民館で5月31日にそれを行います。
  今回は「2014外狩雅巳の世界ー創作編」に掲載した北一郎氏の「外狩雅巳《28才の頃》の読み方」を巡って討論します。文中で北一郎氏は作家・評論家達の文学論・作品論等を提示して持論展開の材料にします。すなわち評の評を書いています。その北一郎評論文を一つの作品として論じ会うのです。《参照:外狩雅巳のひろば
 小説・評論・詩・手記等々すべて発表された文は討論・評の対象になると思います。北一郎氏の作品評は自身の文学史語りや哲学解釈等の持論展開になっています。
  外狩作品はプロレタリア文学から新感覚派への歴史を語る為の材料となりました。外狩の作品的悲劇を表題にして自身の文学史論を展開する方法を行っています。
  その中で外狩文体の特徴を書き、筋の展開の粘りの無さも解き明かしています。哲学も経済も持論を展開する為にはまず外狩作品を解剖しています。たいへん深く読み込んでいます。必要なら原作引用も行います。
 即興性を重んじ詩的感性を持つ外狩文体の特徴をきっちり把握しています。作者の内面も観察し指摘します。正解が多いです。優れた評者です。
  今回の本の表紙の惹句「社会思想の変遷」の指摘は将に北一郎評論の切り口ですね。作者は裸にされた!と感動しましたがまだ少し隠し持っています。
  ネタバラシを幾つか書きます。「2014外狩雅巳の世界ー創作編」に収録の「偽りの日々」のなかで、121ページのー曇りガラスを手で拭いたーの表現は僕の書きたかった文です。―泣いたって、泣いたってーと続く倖うすい女を唄うサザンカの宿のイントロです。
  この歌を聞いた時に絶対いつか使うと決心した一文でした。一昨年、遂に決行しました。
 糞・糞と言うのも幼児期の癖でした。汚い言葉が大好きで糞だションベンだと言いまくりました。「くそう!」と書くと快感なので多用しました。28才の頃にもありますね。
 ま、そんなところです。このま、も好きな表現ですね。お里が知れましたね。

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