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2014年4月22日 (火)

情報化社会に主体性を持てるのか

 「人間が主体的に行動できる」という一般論的前提は、「詩人回廊」の山川豊太郎「情報化社会と生活」で「我々は、何が正しくて何が間違っているのか、本当は理解できない(あるいは、誰も示唆してくれない)、いわば宙吊り状態のまま、目の前に山積する問題群に何らかの回答を提出しなければならない――混沌の時代に生きているのである。」と、説明している「大きな物語」の流れと、異和感なく成立していた。しかし、我々が主体をもって生活しているかどうかは、わからなくなってきている。
 この時代について、宇野常寛は「ゼロ年代の想像力」を出版。次のように分析した。
 1995年のオーム真理教テロ事件が象徴的な、ひとつのきっかけなるとする。この時代は古い想像力の時代である。オームの地下鉄テロは、「モノはあっても物語「生きる意味、信じられる価値」のない時代が進行していた。
「不自由だがわかりやすい。話が通じるあたたかさのある時代から、自由だがわかりあえない(わかりにくい社会)になった。
平成不況で、成長神話が崩壊した。「頑張れば豊かになれる」時代から「頑張っても豊かになれない」時代になった。社会は受動的に「意味」と「価値」を与えてくれなくなった。
 1995年から96年まで、アニメ作家鹿野秀明のテレビアニメ「新世紀ヱヴァンゲリヲン」が放映された。 これの主人公は平凡な少年、碇シンジ。ある日、父親が司令官を務める組織に召喚される。人類を滅ぼそうとする謎の敵、「使徒」と戦うため組織の開発した巨人ロボットのパイロットに任命される。ロボット「ヱヴァンゲリヲン」で活躍することは、父親こそ社会であり、認めらたいと思わせる存在である。ロボットに乗る事は、父の意に沿って生きること、それが息子の自己実現である。
 しかし、碇シンジは、物語の後半で、「エヴァ」に乗る事を拒否して、内面に引きこもり、社会的自己実現でなく、自己を無条件に承認してくれる存在を求めるようになる。社会的になにかをする、しないではない評価でなく、「何何であるから、何何でないから」という存在への無条件承認への渇望。それを「引きこもり」の動機とする。

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