大西巨人「神聖喜劇」と戦争体験
先ごろの「戦争と文学を考える」のシンポジウムで、奥泉光氏は、開高健がベトナム戦争を取材してる時代に、大岡昇平がレイテ戦記」を書いており、大西巨人が「神聖喜劇」を書いていたと語り、日本の戦争文学はいまだ体験化の過程のなかにあるーーという話をしていた。浅田次郎氏は「戦争文学には日本の近代文学が保存されている」などと、各氏興味深い話をしていたが、自分の書いたメモが読みにくく、いまだにまとめられないでいる。川村湊氏は、原爆と原発の関連性を語り自衛隊をえがいた野呂邦暢「草のつるぎ」などが、自衛隊の存在の是か非かの視点でしか論じられなかったような話。そのうえで、現代は三島由紀夫の説いた国軍化に行ってるが、その形が米軍の傭兵としての方向に行ってしまっており、三島の意図とは異なるのではないか、というような話だった。
遍路さま、コメントでのご指摘ありがとうございます。
訂正しました。
追記=「戦争と文学を考える」の記事も、意味が不明でしたので、現在の政治家において、「日本の戦争史と現在の政治の動向から、このような意見交換ができるのは、最後になることにならないようにしたい、という未来への予感を示す意見になっていた。」としました。
おそらく、意見の中に秘密保護法によって、権力の取り締まりを受けてしまうようなこともあるかも知れずーーという意味だと思う。たしかに太平洋戦争の時は、新聞も国民も戦争反対の声を出さなかった。
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コメント
『草のつるぎ』は野呂邦暢ではないでしょうか。
投稿: 遍路 | 2014年3月18日 (火) 21時12分