詩の紹介 「靴底」 周田 幹雄
「靴底」 周田 幹雄
玄関で靴を並べて 磨く/磨き終わって見ると/どの靴も 靴底が 踵の外側だけ擦り減っている/俺は外向的な性格なのか/靴修理店で 皮を張り換えてもらう/靴底の減り方について 店主に尋ねると/特別の減り方ではなくて/殆どの男性の靴底は 外側が減っているそうだ
履いていった靴も同様の状態なので/修理を頼むと/ もっと減らないと接着剤が着かない/という返事だ/眼科でも 白内障の検査のあと/ もう少し悪くなったら手術しましょう/と眼科医に言われたことがあった/その他の病気もそうなのか/練達の医師に/死に瀕した命を託すには/生半可な病状ではなく/徹底的に悪化させるしかないのか
善人猶以て往生を遂ぐ/況んや悪人をや/親鸞が 現代に蘇ったとしたら
/極悪人 と書き換えるだろうか
信仰とは 擦り減った靴底のようなものなのか/比叡山延暦寺の軒下に/ある僧が 千日行きで履き潰した総ての草鞋が吊るされている/千足余りの草鞋は泥に塗れ/紐は擦り切れて/草鞋の態をなしていない/それらは 巨大な腐った藁屑となって/ただ横たわっていた
これまでに/俺は何足の靴を履き潰したろう/徹底的に歩いて 歩き続けて/千足の靴を履き潰した その靴先に/何が 当たってくるのか
周田 幹雄詩集「真逆のときに」より(2013年12月土曜美術社出版販売)
読み人「詩人回廊」江素瑛
皮肉な事実をもって、現実に存在する状況を描く。共感を呼びます。
早期発見、早期治療を普及している予防医学だが、発見された病気が極初期の場合、「もうすこし成熟してから治療しましょう」と医者がいう場合もある。
例をあげると、予定されない妊娠をいとも簡単に処理できる今の世の風情。婦人科医がいう「手術はあと一二週間を待ちましょう」胎のうははっきりした手頃の大きさでないと手術しにくいらしい。「命を育てから絶たせる」ということになる。擦り減った靴底に伴いのは擦り減った命のだが、修理できるのは命を補うこと、それもまた幸せでしょう。
また、千日行の修業のわらじがただの藁屑になっているという視点にも鋭いものがあります。
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