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2014年2月26日 (水)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(7)敗退、岸辺の惨状

「戦死者25とはあまりにも少ない、せめて百余名にならぬものか」「獲った首は百を下らぬと言うではないか」
「はたしてそれが事実か、素裸で逃げ帰った者の言い分は通らぬ」「ならば、せめて村を焼くこと14は記帳して欲しい」
「その他の村とで八百戸。これだけ書けば帝への聞こえも多少は通ずると」
「なら良きに計らえ、後は予が上手くやる」
 広成を囲む談義は盛り上がらない。戦果報告の作成が課題になっている。逃げ帰った岸ではもうその為の場が作られている。
 応急の小屋には負傷者が溢れ薬草の数も不足している。水内際で引き上げられる溺死者は穴に埋葬される。
 「広成様の御帰還さえ叶えば良しとするべきだ」「御盾殿の活躍こそ記録に値する、それが無ければ今の我らはこの世にいない」
 あの時、対岸で敗走する広成を守り多くの戦士が命を賭けて蝦夷軍を迎え撃った。そして勇士は還らず異郷の土になった。
 四千の政府軍精鋭。その中心戦力は降伏蝦夷の族長の兵と坂東からの武装移民の軍団。都の貴族と近畿・東海の兵は本営に残った。
 そして,分散進撃。別働隊は村々を焼き荒らした。主力は伸び切った隊列を分断され各個撃破され戦意を失い岸に向けて敗走した。
「御盾殿、仁成様を向こう岸にお守りしろ、ここは吾らが防ぐ」「頼むぞ、道成・壮麻呂・五百継。命を惜しめよ」
 青年将校達が手勢を率いて反撃する。矢襖の中で次々に落馬する。別将五人が戦死、二百五十名が毒矢で負傷した。
 ようやくこちら岸に引き上げた広成が振り返る川の流れ。そこには敗走する多勢の兵士が半裸で泳ぐ中、降り注ぐ蝦夷の矢の雨。
 千二百五十七名がなんとか泳ぎ着いた。多くが溺死して流される。矢傷で生還したものと合わせても千五百名足らずである。
 点呼する将校・下士官の声も弱々しい。未帰還者二千五百余名、戦死の状況すらほとんどわからず報告書にも書けない敗戦である。
 「功無きは良将の恥ずるところ、国家に大損害を与えた。と言う割には古佐美大将軍は何も勘問されぬわ、さもあらんかな」
「わかり切ったことよ大盾殿は武運の強さで今後も陸奥経営の柱になられよ、わしは一段落したら入間で隠居する」
 北上川を渡り攻め入った大作戦。入間郡からの兵士も二十人程が溺死した。秋には刈入がある、遺族への補償が大問題である。
 裸馬を乗りこなしながら弓を射、やりを繰り出す荒蝦夷の戦士達、防戦する円陣に乗り入れかき乱し走り去る身軽さ。
 風のように襲いかかる兵士の残像が今も広成の脳裏に焼き付いている。武器も防具も投げ捨てて河に逃げ溺死する政府軍の兵士たち。
 流れに漂う溺死者。瀕死の負傷者の叫び。仁成は悪夢のようなあの光景。もう二度と蝦夷討伐には参加したくなかった。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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