« 豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(7) | トップページ | 文芸時評1月「東京新聞」(1月30日)沼野充義氏 »

2014年2月 1日 (土)

「動きすぎてはいけない」千葉雅也『気にしすぎ』『気にされすぎ』

 20世紀のフランス現代思想を代表するドゥルーズの哲学を解説し、現代にどう生かすか論じた『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)が反響を呼んでいる。浅田彰さんと東浩紀さんが帯を書き、硬派な本にかかわらず、5刷を重ねた。
 スマートフォンの普及などで「接続過剰」になりがちな現代に、ドゥルーズの唱えた「切断」の大切さを強調する。人間が<創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない>などと説く。
 「現代は明らかに『気にしすぎ』『気にされすぎ』です。この息苦しい状況から、どうすれば『個』として呼吸の余地を取り戻せるか。情報社会から完全に遮断されて暮らすことはできないけど、加減良く切断したいですね」
 宇都宮で育った1990年代半ばの高校時代、普及し始めたインターネットが自宅につながった。米国の高校生と英語でチャットし、地方の生活圏とは異なる人間関係ができた。その経験から、根のように水平方向に広がる関係を指すドゥルーズの「リゾーム」の概念を知って興味を持ち、東大で専攻した。
 現在は、立命館大の准教授を務める。新しい男女観や家族関係のあり方などに強く関心を持つが、「社会は一気に変えられるものではない。少しずつ変革したい」と語る。さらに、「経済的に豊かになり、家族にみとられて死ぬといった20世紀的な人生モデルが通じにくくなった。生老病死のグランドデザインを考え直したいと思っています」。
 大阪の繁華街近くに暮らす。雑踏に紛れ、自分が匿名化した存在になれる感覚が好きだ。(文化部 待田晋哉)(2014年1月9日 読売新聞)

|

« 豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(7) | トップページ | 文芸時評1月「東京新聞」(1月30日)沼野充義氏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(7) | トップページ | 文芸時評1月「東京新聞」(1月30日)沼野充義氏 »