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2014年2月28日 (金)

文芸時評2月「東京新聞」(2月27日)沼野充義氏

池澤夏樹「アトミック・ボックス」国家の論理と闘う
吉田修一「怒り」謎解き以上のリアル感
≪対象作品≫「文芸春秋」「文学界」の芥川賞特集に関し、非受賞作家の太宰治、村上春樹、よしもとばなな、高橋源一郎について言及/池澤夏樹「アトミック・ボックス」(毎日新聞)/吉田修一「怒り」(上・下、中央公論新社)/平野啓一郎「決壊」、高村薫「冷血」、辻原登「冬の旅」/尾崎真理子「石井桃子の図書館」(新潮)。

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2014年2月27日 (木)

東京新聞紙上文学論と意味の表層判断

 東京新聞の三沢典丈記者が「日本文学は隆盛か」という表題で、芥川賞受賞作に文学的成果が乏しい、という意味のことを書いたら。すると、文芸評論家の清水良典氏が同紙に、日本文学は豊饒なのに、評論分野の怠慢がなだ、と反論した。これに対し同紙の名物コラム「大波小波」では連日、コラムニストがそれぞれの意見を述べている。これだけ文学論に関する情報を提供するのは東京新聞ぐらいのものだ。
 はっきりしているのはこうした問題意識を気にしない人と、気する人がいるということだ。なぜそうなったのか。
 以前の芥川賞作品を読めば、その時代における生活の共通の意味と価値を知ることができた。誰でもそれに目を通しておけば、現代の意味と価値の方向性があらわれていた。
 その大方は、終身雇用制のサラリーマンのセンス向上に役だっていたのである。
 しかし、現代は芥川賞で話題になった作品を読んでいれば、受動的に現社会の「意味」と「価値」を与えてくれなくなっている。
 また、そうした意味を追求しても、生活が安定しているサラーマン層が少なくなった。切羽詰まった生活をする派遣会社の社員が、落ち着いて文学を味わう余裕などない。どうしたら明日を過ごせるかというノウハウの方が知りたいのだ。
 そうなると職業作家からすると、世の中を見る上で価値観を共有する場が欲しくなる。また啓蒙活動によって、小さな運動を大きく広げることに意義がでてくるのであろう。ただ、最近の日本人の戦争への敷居の低さには驚くばかりだ。梅崎春生、大岡昇平、野間宏などの戦後文学における戦争の無意味さを訴えた作品は、遺産にならないらしい。文学には社会的な限界があることがわかる。
≪参照:「ゲンロンカフェ」と「飯田橋文学」作家たちと読者の交流会活動
 

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2014年2月26日 (水)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(7)敗退、岸辺の惨状

「戦死者25とはあまりにも少ない、せめて百余名にならぬものか」「獲った首は百を下らぬと言うではないか」
「はたしてそれが事実か、素裸で逃げ帰った者の言い分は通らぬ」「ならば、せめて村を焼くこと14は記帳して欲しい」
「その他の村とで八百戸。これだけ書けば帝への聞こえも多少は通ずると」
「なら良きに計らえ、後は予が上手くやる」
 広成を囲む談義は盛り上がらない。戦果報告の作成が課題になっている。逃げ帰った岸ではもうその為の場が作られている。
 応急の小屋には負傷者が溢れ薬草の数も不足している。水内際で引き上げられる溺死者は穴に埋葬される。
 「広成様の御帰還さえ叶えば良しとするべきだ」「御盾殿の活躍こそ記録に値する、それが無ければ今の我らはこの世にいない」
 あの時、対岸で敗走する広成を守り多くの戦士が命を賭けて蝦夷軍を迎え撃った。そして勇士は還らず異郷の土になった。
 四千の政府軍精鋭。その中心戦力は降伏蝦夷の族長の兵と坂東からの武装移民の軍団。都の貴族と近畿・東海の兵は本営に残った。
 そして,分散進撃。別働隊は村々を焼き荒らした。主力は伸び切った隊列を分断され各個撃破され戦意を失い岸に向けて敗走した。
「御盾殿、仁成様を向こう岸にお守りしろ、ここは吾らが防ぐ」「頼むぞ、道成・壮麻呂・五百継。命を惜しめよ」
 青年将校達が手勢を率いて反撃する。矢襖の中で次々に落馬する。別将五人が戦死、二百五十名が毒矢で負傷した。
 ようやくこちら岸に引き上げた広成が振り返る川の流れ。そこには敗走する多勢の兵士が半裸で泳ぐ中、降り注ぐ蝦夷の矢の雨。
 千二百五十七名がなんとか泳ぎ着いた。多くが溺死して流される。矢傷で生還したものと合わせても千五百名足らずである。
 点呼する将校・下士官の声も弱々しい。未帰還者二千五百余名、戦死の状況すらほとんどわからず報告書にも書けない敗戦である。
 「功無きは良将の恥ずるところ、国家に大損害を与えた。と言う割には古佐美大将軍は何も勘問されぬわ、さもあらんかな」
「わかり切ったことよ大盾殿は武運の強さで今後も陸奥経営の柱になられよ、わしは一段落したら入間で隠居する」
 北上川を渡り攻め入った大作戦。入間郡からの兵士も二十人程が溺死した。秋には刈入がある、遺族への補償が大問題である。
 裸馬を乗りこなしながら弓を射、やりを繰り出す荒蝦夷の戦士達、防戦する円陣に乗り入れかき乱し走り去る身軽さ。
 風のように襲いかかる兵士の残像が今も広成の脳裏に焼き付いている。武器も防具も投げ捨てて河に逃げ溺死する政府軍の兵士たち。
 流れに漂う溺死者。瀕死の負傷者の叫び。仁成は悪夢のようなあの光景。もう二度と蝦夷討伐には参加したくなかった。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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霞んで見えない時代に=北一郎の文芸批評論(2)

 私の文芸に関する姿勢は、もともとは趣味の詩からはじまっており、あとはコピーライター、ジャーナリズムの世界で文章履歴を積んできた。であるから、文芸批評をしても、おそらくその延長上でしかないでろうことは自分でも見当がつく。
 そこに、会員の外狩雅巳氏が、同人誌「相模文芸」第25号(相模原市)に【「大泉黒石 著『おらんださん』の中の「ジャン・セニウス派の僧」をめぐって(二)」中村浩巳】というのが掲載されているので、それを論評してみないか、という誘いがあった。
 私は、同人誌作品は「作者が書いたことそのもに、ご褒美をもらっている」という高橋源一郎氏の言葉に全面的に賛成する。私はしかし、こうした記録物にまったく興味がない。それでも、そうだからといって、論評出来ないものではないのではないか、とも思う。そこで読んでみた。すると、これはまったく知識人のディレッタンティズムのさいたるもので、一般人には知らなくてもいいようなヨーロッパの史実の記録だとわかった。断片的で、扱いにくいものだ.。これは外狩氏の北一郎に対するテストでもあるな、とも思い、批評力の限界をお互いに認識し合うのは良いことであろう、考えた。
 そこで、まるで知識のない事柄なので、フリー百科事典でまず関連事項を調べた。この作品に関連する事項には、次のようなものがある。
(1)作家・大泉黒石(1893~ 1957)、ロシア文学者。父がロシア人。母が日本人。「国際的な居候」と自称。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。
(2)ジャン・セニウス派とは、ヨーロッパでの神学論争をし迫害をうけた思想の一派。当時のフランスでジャンセニスムに傾倒した著名人の中には哲学者ブレーズ・パスカルや戯曲作家ジャン・ラシーヌもいた。パスカルがジャンセニスムに傾倒していたことは有名。ジャンセニスムは悲観的人間観、特に自由意志の問題をめぐって激しい論議になった。ローマ教皇庁では神学者たちがこれを慎重に検討した結果、『アウグスティヌス』に含まれる五箇条の命題を異端的であると判断したため、インノケンティウス10世の回勅『クム・オッカジオーネ』(1653年)がジャンセニスムを禁止した。
(3)アウグスティヌスは宗教家で著書「告白」は生前から読まれていた。本の前半は、罪に溺れた生活を送った後、キリスト教に接近する話や、盗みを働いたりギリシャ語の勉強に意欲が湧かないなど、彼は不都合な事実を隠さず正直に書いている。しかし彼は単なる遊び人ではなく、当初はマニ教に関心を寄せるが、ローマでネオプラトニズムに出会って決別、その後に哲学書を読み漁り、勉学に熱中し『神の国』[1]や『三位一体論』といった大著を残した。母に反対されても階級の異なる女性を大事にし続けた(しかし後に信仰の邪魔になるからといって捨てた)。友人の死に直面し自らの死を恐れ始める心境描写、といった事が中心。後半は時間論、聖書の解釈についての議論、神が天地創造の前に何をしていたのか、について書かれている。この著作はカトリックやプロテスタントだけではなく、デカルト、カント、ニーチェ、20世紀ではハイデガー、ウィトゲンシュタイン等多数の哲学者に影響・考察を与えた。
 繰り返すが、これれらは、この作品に書いてあることでなく、私自身が作品を読むため調べたことである。

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2014年2月24日 (月)

外狩雅巳「大地の記憶」(6)解説・政(まつりごと)の要(かなめ)軍事なり―天武天皇

 軍事力が国力だったのは歴史を見ればわかります。強力な軍事力は内政にも外交にも効果があります。
 弱肉強食の世界情勢に対抗して国家の自立を守るのは軍事力が有効な時代は長く続いていました。
 小さな日本列島に国を樹立しそれを守り続けた人々は短期間で強力な国家を作り上げる事に長けています。
 五世紀頃に建国し百年ほどで東アジアの覇権争いに参加した手腕は戦後復興の速さに引き継がれましたね。
 六六二年白村江で新羅と唐の連合軍に敗れても直ちに内政充実に切り替える器用な政策転換にも長けています。
 国家整備を先進国の中国の制度に学びました。漢字を起用に日本語に応用し律令国家体制も応用しました。
 七〇一年の大宝律令を整備し手直しして20年後には養老律令として完成します。軍防令はこの中にあります。
 軍隊の基本法です。五人が基礎人数で伍長が率います。二つ合わせて火にします。五火で隊になります。
  その上には旅や軍もあります。軍は一万人程度で将軍が率います。三つ合わせた三軍は大将軍が率います。
 兵器も充実整備しました。弩という大きな弓は大砲のような威力が有ります。鎧も単甲や兜を装備します。五月人形の武者が着ける鎧は鉄片を綴り合せ動作に影響を少なくした優れものですが単甲は旧式です。足軽が着ける胴丸のようなものです。兜も前立てはありませんが可動式眉庇や首筋防御のしころは有ります。
 勤務体制も規則正しく決められ田装備や宿舎もあります。訓練も厳しく、兵器や部隊行動を習熟させられます。
 その費用は基本的には国家が持ちます。兵士に食糧の持参などの負担はあるものの精勤すれば隊長になれます。
 首長の私兵が基準の蝦夷軍に対しては団体行動では強く用兵も戦術も優位であるはずなのになぜ負けたのか。
 「えみしはひたりもものひと」とうたわれた百人力の暴れ者で個人戦に長け死にもの狂いで戦う蝦夷軍です。
 圧倒的な兵力差での団体戦が出来ないとなかなか勝てないので味方になった蝦夷軍を手先に使うのが一番です。
 降伏させて九州防衛隊にしました。そこに大和から武装移民を入れて耕作地にしてしまい大和国家の地にします。
 丸太を立て並べてた砦を拠点に周りに住ませ村を作ります。722年に百万町歩開墾プロジェクトを作りました。
 大将軍の紀古佐美は参議と言う内閣の大臣なのです。国家的な一大事業としての東北大和化を進めたのです。
 リベンジで名を知られる坂上田村麻呂は征夷大将軍です。家康も征夷大将軍です。蝦夷征伐こそ国政の要です。
■参考≪外狩雅巳のひろば


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2014年2月23日 (日)

3月号(産経) 「自由区」の意義 早稲田大学教授・石原千秋 

≪対象作品≫村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(文芸春秋・昨年12月号)/ 「文学界」が「芥川賞一五〇回記念特別号」誌上にずらっと並んだ短篇の文章は長編の一部のような感触しかない。プロなのだから、書き分けてほしいと思う。石原慎太郎の、放言気味の「特別インタビュー」が一番おもしろかった。文学が自由区だということを一番よくわかっているからである。
 小池昌代「たまもの」(群像)は、幼馴染(おさななじ)みの赤ん坊を育てることになって、少し早めの閉経期を迎える独身の「わたし」。過去には小説家との交情もあった。こういう女性の「性」の書き方もあったのかと、新鮮な感じがした。
3月号 「自由区」の存在意義 早稲田大学教授・石原千秋(産経新聞)2014.2.23

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2014年2月21日 (金)

デジタル化と本の市場= ネット小説投稿に気をつける3つ

  自宅で仕事をするようになり時間の余裕ができ、ネット小説の存在を知って、2次創作から始めた。それまで小説執筆経験はなかったという彼女の本業はイラストレーター。小説よりも少女漫画、なかでも遠藤淑子作品を好んできた。≪くるひなた氏キャラクターありきの「蔦王」から新文化≫
 ファンの多くは女性だが、男性ファンも付いている(同じレジーナから刊行されている如月ゆすら『リセット』の男女比は3対7とのこと)。
 『蔦王』はキャラクターをまず絵に描いて作り、設定や大まかな筋書きを考えてから書き始めた。「毎回途中で脱線して、最初の計画とは全然違うものにできあがることもしばしばでした。読者から感想欄にいただいた言葉がヒントになって道が開けたということもあります。ただ、ネットでは公開済みの話でも遡って修正できるので、幾分気楽です」。
 ネットに投稿する際に気をつけていることは3つ。それぞれのページの文字数にあまり差が出ないようにすること。続きを読みたくなるような「引き」を意識すること。更新のペースを早くすること。「なかなかそう上手くいかないのが悩みどころではあります」。

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2014年2月20日 (木)

社会との関わりにこだわる作家交流、平野啓一郎さんらの「飯田橋文学会」

 . 昨年の夏ごろより30~40代の作家たちの自主サークル「飯田橋文学会」の活動が始まっているという。メンバーは、芥川賞を受賞した平野啓一郎さんや田中慎弥さん、柴崎友香さん。米国文学者の都甲幸治さん、日本文学研究者のロバート・キャンベルさんら文学研究者、海外の日本文学翻訳者など17人。2か月に1回程度、例会で文学を議論したり、ホームページやトークイベントを運営して読者と触れ合う交流会もするという。昨年7月に活動が始まり、研究者のミニ文学講義や作家の朗読会などを続けるうち、例会の場所になっていた東京・飯田橋を名称にした。紹介するホームページを作成し、13日には田中さんらメンバー4人が都内で初のトークショーを開いた。
 こうした活動を始めたことについて、社会と文学の距離がものすごく開いてしまった、という危機感があるという。

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2014年2月19日 (水)

著者メッセージ: 安藤祐介さん 『おい!山田』

 なぜ人は集まって仕事をするのかということを凄く単純化して考えてみると「ひとりでは成しえないことを成し遂げるために集まる」のではないかと思います。
 事業やプロジェクトといった大がかりなことに限らず、職場の日常のそこかしこに「ひとりでは成しえないこと」は転がっていて、みんな誰かに助けられながら仕事をしています。
 たとえば……チャラチャラしてけしからんと思っていた新人が、難しいパソコンのトラブルを解決してくれたり。はたまたパソコンはからっきしダメな年配の人が、外から飛び込んできた激烈なクレームを穏やかに収めてくれたり。
 時には、苦手な人に助けてもらって感謝することもあるのではないでしょうか。
 「私の職場は素晴らしい人ばかりで、いつでも仕事が楽しくてたまりません」そんな風に言い切れる人は、なかなかいないかもしれません(私も言い切 れません)。
  でも、どのみち人生の大半を費やす仕事なら、楽しいほうがいい。同じ時に同じ仕事のために集った人と楽しく働けたほうがいい。本作『おい!山田』は、何かの縁で会社という場所に集った人たちが、縁の力に背中を押されて前進する物語です。ぜひご一読ください!  (安藤祐介)
 (講談社『BOOK倶楽部メール』(2014年2月1日号より)

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2014年2月18日 (火)

外狩雅巳氏(投稿)文芸同人会[文学市場]について

 昨年に続いて「自分説話」を連載しています。父に暴力で追い出されたり、過激派革マルで闘争したり、労組を立ち上げたりの半生でした。順を追って記録風や掌編小説風等で発表予定です。≪参照:続・外狩雅巳の自分説話>ここでは、中年時代の同人誌体験の一部を先に述べます。
 それは、文芸同志会通信「作品紹介」で文芸誌[さくさく]の作品評が掲載されたのを読んだからです。
 「相模文芸クラブ」は14年前「慧の会」を解散して一部会員と相模原市地域での知人とで結成しました。そして「相模文芸」に加入しない会員中の数人は「文学市場」に加入しました。そのいきさつと「文学市場」について書きます。
 二十年近く池袋勤労福祉会館を拠点に「慧の会」を主宰しました。その終盤に「文学
市場」と知り合いになりました。同じ会館の隣室を使用していました。紙誌交換を行い、交流を続けました。当時から会長は坂本良助さんでした。
 「慧の会」を先輩同人会として立ててくれました。会員同士の交流もありました。この会は37号で終わりました。
 妻の実家に借家住まい中の私が相模原市に家を購入した為です。当初二年ほどは月二回の会合ごとに池袋まで通いました。
 高齢になりきつくなりました。年金生活者目前で考えました。地元で老人たちと文芸趣味を楽しむことにしました。先ず、同人誌「相模文芸」を立ち上げました。同人誌文学未開地なので活動確立に三年ほどかかりました。六号になりました。「相模文芸」が軌道に乗りましたので「慧の会」を解散しました。現会員の登さんなど六名が相模文芸に加入してくれました。
 会員十七名中の五名ほどが「文学市場」に加入しました。その他の慧の会会員は各地の同人会で行動しました。坂本良助さんと登嘉久さんは「文芸学校」の講師をしています。ここは[新日本文学学校]の後身です。
 池袋在住時は私も妻も中野の「新日本文学」学校で学びました。卒業生には多くの作家や詩人がいます。かつては政治的立場が明確で思想性のある作品を教材にしていましたが今は傾向も薄れています。
「さくさく」はそれから二十年間を休刊もなく年三回の発行を守り続けています。毎号送られて来ます。坂本さんは奥さんと共に会運営と雑誌発行の中心となり活動しています。作風も一貫しています。機会があれば池袋で逢って文芸談を行いたいと思っています。登さんも入れて現代文学状況を語り合いたいと思います。
 年齢も近く、同じ昭和後期を働きながら文芸に親しんできた仲間です。状況への鋭い見解もある御二人です。今回の「作品紹介」を読み懐かしさがこみ上げました。近々連絡をし暖かくなったら上京しましょう。

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2014年2月17日 (月)

文芸同人誌「さくさく」第57号(東京都)

 本誌は「文学市場」というグループが発行している。会則に、「当会は文芸、文学を楽しむ会です」とある。さらに補足として、「原則として締切日までに投稿された作品は運営委員の判断において、書き直し、または不掲載の場合もあります」とある。
【「小説教室」坂本良介】
 ――ドアを開ける。あけたものの、開けたドアがなぜドアなのかわからない。――とはじまり、入る空間がないのに、逆名(さかな)もも子さんが、小説教室としてやってくる。そのことで、小説教室が存在する。逆名さんは、大学生時代に先生に随筆を書くように言われ、書いたら小説ですね、といわれたという。――これは文章表現に関する散文であり、小説論でもある。表現に用いられる言葉そのものが、すでに誰かによって使用されたものであり、自分のだけのものではない。それをもって書いた小説がどのように独創性や独立性、自立性が証明できるののか、創造性への疑問を含んだ話になっている。ポストモダン時代における純文学小説の困難性を示した哲学的小説に読める。
【「映画日記35」S K】
 これだけ多彩な映画鑑賞ができるのは特殊立場にあるのであろう。実に有益で勉強になる。「批評の対象は、映画だけではない。受けて自身も批評されているのである」と記しているが、それは映画だけに限らない。「読書雑記」「エセー13」も頭の体操になる。小説「おいしい教室」まで書くとなると、奇妙な味の作家である。
【「鵤(いるか)党奇談―一番勝負」新開拓巳】
 自在な筆遣いで、楽しませる時代小説。
【「元旦に囲んだファミリー」宮島研】
 家族麻雀の楽しい想い出だが、書き出しに工夫があって、散文として楽しめる。 
 発行所=〒111-0055東京都台東区三筋1-4-1-703、坂本方、文学市場。
紹介者{詩人回廊}編集人・伊藤昭一。

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2014年2月16日 (日)

霞んで見えない時代に=北一郎の文芸批評論(1)

 会員の外狩雅巳氏に「28歳のころ」という短編があって、その評論を書いた。その一部を「詩人回廊」北一郎の庭に発表している。本当は長い解説ができるのだが、本編作品と同じくらい長いのではバランスが悪いので、そこそこでまとめた。
 およそ同人雑誌作品において、折角書いた作品なのに、理論的にその意義を解説しないのはもったいないことだ。これは会員特典としての合意で行うもので、会員外の作品紹介とは全く異なる。文芸作品とただの作文とを区別して論じるのも、会員に対してのみである。作文論というのは、自分の経験で小学校時代に、国語で作文ををしなさい言われ、なにも書くことなどないので、先生にそれを言った。すると、朝起きてから、やったことを順繰りに書いて、規定の枚数に達したら、書いていることについて、どう思ったかを書きなさい、と指導された。そして、どこでも最後「と思った」と書けば形になると教えてくれた。要するに文法習うための訓練だったのだ。たしかにそれで作文に困ることはなくなった。しかし、それを知ったがゆえに、自分が何も考えることもしないで、ただ出来事を書いて、思ったということを記しているのではないか、という恐怖心をもちはじめた。そこから来ている。出来事を書いて、どう思ったかを書いて小説の神様といわれている作家がいるが、それは特殊な事例である。これが文学?と疑問を提した三島由紀夫に同感する立場だ。
 現代は、小説が消費物となり、読み捨てられることに慣れているようだ。文化での消費とは、それが未来の人間文化精神の栄養にならず、コンビニの賞味期限切れ商品のように捨てられるということだ。
 それでも、作品をテクストとして読めば、脱構築視点など、あらゆる角度からの点検ができる。歴史的産物の「書きモノ」として検証すれば、マルクス思想的批評ができる。作者の経歴から見れば、自伝や人生体験と結びつけて批評ができる。何も手掛かりがなければ、それが書かれた文脈から心理分析的批評もできる。
 今回は、作者外狩雅巳氏が「蟹工船」を必要以上に重視しているので、それが歴史的な文学の発展段階のひとつにすぎず、別の社会的な流れを読む必要性を書いた。
 簡単にいうと、人々は、社会が(直線的)に進歩発展するであろうから、自分の足りないものが満たされ、きっと幸福になるであろうと、社会変革の前進を信じていた。ところが何時までたっても欠乏感がなくならない。失望と閉塞感の時代に入った。外狩作品は「理想」に向かって進むことへの郷愁にとらわれた人間を描いている。
 世界の文化思想の流れは、その閉塞感に満ちた社会構造からの逃避、逃亡願望が生まれて来ている。日本の外狩氏は、近作で反体制活動での逃亡者の小説を書いている。彼の現状にたいする肌感覚は優れている。理屈でなく、感じで書いてそれであるのだからセンスが良いと思う。ただ鋭い肌感覚は詩のイメージの「私」の実感であって、それだけで散文を書いても、本格的な小説にはならない。
 先日、静岡県に住む、島岡明子さんから手紙をもらった。文芸同志会の発行物のほとんどを買ってくれている作家だ。その中で「私は、小型ジレンタンティズム作家で(大きな声でいうほどのことではないが)あえて自称する時はA級でなくB級で楽しく生きたい。“無用の用”なるコトバが大好きな私と呟いている」とし、また「外狩さんの世界ガイドにあった、『散文芸術』という同人誌に作品を書いていたそうですが、私はその編集委員をしていました」としている。

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2014年2月15日 (土)

詩の紹介 「靴底」  周田 幹雄

「靴底」  周田 幹雄
玄関で靴を並べて 磨く/磨き終わって見ると/どの靴も 靴底が 踵の外側だけ擦り減っている/俺は外向的な性格なのか/靴修理店で 皮を張り換えてもらう/靴底の減り方について 店主に尋ねると/特別の減り方ではなくて/殆どの男性の靴底は 外側が減っているそうだ
履いていった靴も同様の状態なので/修理を頼むと/ もっと減らないと接着剤が着かない/という返事だ/眼科でも 白内障の検査のあと/ もう少し悪くなったら手術しましょう/と眼科医に言われたことがあった/その他の病気もそうなのか/練達の医師に/死に瀕した命を託すには/生半可な病状ではなく/徹底的に悪化させるしかないのか
善人猶以て往生を遂ぐ/況んや悪人をや/親鸞が 現代に蘇ったとしたら
/極悪人 と書き換えるだろうか
信仰とは 擦り減った靴底のようなものなのか/比叡山延暦寺の軒下に/ある僧が 千日行きで履き潰した総ての草鞋が吊るされている/千足余りの草鞋は泥に塗れ/紐は擦り切れて/草鞋の態をなしていない/それらは 巨大な腐った藁屑となって/ただ横たわっていた
これまでに/俺は何足の靴を履き潰したろう/徹底的に歩いて 歩き続けて/千足の靴を履き潰した その靴先に/何が 当たってくるのか
周田 幹雄詩集「真逆のときに」より(2013年12月土曜美術社出版販売)

読み人「詩人回廊」江素瑛
皮肉な事実をもって、現実に存在する状況を描く。共感を呼びます。
早期発見、早期治療を普及している予防医学だが、発見された病気が極初期の場合、「もうすこし成熟してから治療しましょう」と医者がいう場合もある。
例をあげると、予定されない妊娠をいとも簡単に処理できる今の世の風情。婦人科医がいう「手術はあと一二週間を待ちましょう」胎のうははっきりした手頃の大きさでないと手術しにくいらしい。「命を育てから絶たせる」ということになる。擦り減った靴底に伴いのは擦り減った命のだが、修理できるのは命を補うこと、それもまた幸せでしょう。
 また、千日行の修業のわらじがただの藁屑になっているという視点にも鋭いものがあります。

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2014年2月14日 (金)

外狩雅巳氏(投稿)一年間の活動発信の意義と到達点

Sotogari_gaido_2 昨年一月より文芸同志会通信で発信を続けた意図と現時点の総括を行います。年間の纏めは「外狩雅巳世界ガイド2013ガイド」でした。
 大きく三つに区分けしました。文芸同人会の現状紹介・自作紹介と北一郎評・体験中心の創作態度姿勢に意図発信の三点です。
☆ プロレタリア文学への意見の真意
 これまでの体験談的作品群を北一郎評では「労働者階級における社会改革を目指し、その現状を判り易く象徴的に伝えよう」とプロレタリア文学の創作方法で書いたことによる文学的悲劇と指摘しました。その有効性は過去になった問題意識としても指摘しました。
 真意を書きます。小林多喜二作品の再評価に対しての指摘と自作の創作意図を絡めた発言を行いたかったのです。
 体験した職場では労働の誇りが築けない中で結集しない労働者を多数見聞しました。自身も働く意味と誇りを持てずに終始しました。
 その過程で労働運動に入り理想を模索して来ました。共産党の指導に期待もしました。現実とのギャップに足掻きつづけました。読んだ多喜二作品には当時の状況と展望が書き込まれていると理解しました。「蟹工船」ブームへの違和感を冒頭に書きました。
 現代読者が労働者の展望を読まず、内容を自身の環境に引きつけて共感しただけのブームへの失望を書いたつもりでした。
 「党生活者」等の作品には組織化と意識向上の先にある展望が人物や事件により詳しく描写され宣伝性のある構成になっています。
 多くの読者を持ち、それらが革命に共感し参加するような導き方の背後に共産主義を血肉化した作者の力量があったと思います。
 その再来を期待した現代の労働運動者たちの一人が私でした。しかし、現状を描写すれば展望の無い職場と闘争しか書けません。
 学習し革命が働く者の未来に明るい展望を示すものと信じました。労働者階級の組織化と闘争を行い描写に苦心した私でした。
 「蟹工船」を解放と革命への確信の展望に繋がる作品として読んだ私と、文学作品として同感して読んだ現代の読者との落差。
 その苛立ちを書いたのです。マルクスの言葉をもじりました。今回の二度目のブームは出版社利益になっただけだと書きました。
 体験記も戦わない労組に苛立ち過激な学生運動に惹かれた事実を作品にしました。爆弾闘争の学生運動の末路も書きました。
 そして、現代の労働者文学を支える新しい思想を渇望する文面をウェブに書いたのです。紙に定着させ「外狩雅巳世界ガイド2013ガイド」として出版しました。
 自分史としての体験記ではなく作品にするためには基盤の思想が欲しかったのです。
でも、それは見つかりませんでした。
 体験の作文しか書けない自身にも苛立っています。時代と拮抗しない事を書いても満足できません。筆が止まってしまいました。
 現状を全部吐露しこれまでの姿勢から撤退する事にしました。新たな主題と意義を探します。ふさわしい文体も確立したいと思います。
 北一郎評での悲劇は理解しています。それでも過去の思想に寄って立った長い作文生活を清算するにはそれなりの苦しみが有りました。
 「外狩雅巳世界ガイド2013ガイド」の発行は総括になりました。そして今回の捕捉で自身の納得も深まりました。
■関連情報=暮らしのノートITO≪外狩雅巳のひろば≫「詩人回廊」≪外狩雅巳の庭

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2014年2月13日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2014年01月31日)白川正芳氏

岩代明子「鉄が鳴る・その他の短編」(ignea イグネア)より「母の短い入院」、「群系」32号「大正の文学」「流行歌・愛唱歌」特集より宮越勉「大正と「白樺」派」、北側純「癒し系旅行のお勧め」(「群獣」15号)、「架け橋」10号「母の味」特集より小倉和子「母の味」、藤咲文「拾わない同盟」(「銀座線」19号)
小南武朗「さらば 過ぎ去りし日々」(「札幌文学」80号)、藤田愛子「私のバラード」(「全作家」92号)、立石富生「夜を刻む声」(「火山地帯」176号)、並木秀雄「フラダンス」(「猿」73号)、中山みどり「病の問題」(「連用形」33号)、西田宣子「悪縁石」(「季刊午前」49号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年2月12日 (水)

同人雑誌季評「季刊文科」第61号2014年1月31日発行

谷村順一「愛着と異物」
『第七期 九州文学』第23号(福岡県中間市)より波佐間義之氏「編集後記」
木下恵美子「惑いの果て」(『詩と眞實』773号 熊本県熊本市)、蒔田あお「うちには大きな亀がいます」(「てくる」14号 大阪市)
●〈同人雑誌の現場から〉
「架橋-広がりのなかで」磯谷治良(『架橋』編集・発行人)、「物狂い」寺本親平(彩雲・編集同人)、「『望外の喜び』とは」納富泰子、「同人雑誌の先行き」柳瀬直子
●同人誌からの転載は以下
「あたしと祖母の四十九日間」八重瀬けい(「九州文学」22号より)、「無灯火」吉田真枝(「詩と眞實」764号より)、「お産婆池」橘雪子(「小説π」11号より)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年2月11日 (火)

文芸同人誌「海」(第二期)第11号(太宰府市)

【「ある男の軌跡」牧草泉】
 無職でいた男がひょんなことから、町で若い女と知り合い同居する。女は男が働かないことを気にせず、競馬場通いをするためのお小遣いまでくれて過ごさせる。しかし、男がその生活に飽いて、仕事を探し、職に就く。すると、女は彼のとろから去ってどこかに行ってしまう。その後、また偶然にその女と出うことになる。ここでの内容の芯が、人間存在における支配欲なので、男も女もKという競馬場の男も固有名詞を使用しない。目的に沿った手法で、文学的センスの良さが光る納得のいくスタイルである。
【「船底」高岡啓次郎】
 造船工という職種があるのかどうか知らないが、その労働現場の様子が詳しく描かれている。労働者文学の一種で、かつての平和に対する理想主義が色あせ、共に仕事をした経営者たちも年老いて、亡くなってゆく。造船業界を描いて、滅びゆくことの無常感を感じさせる。高岡氏は雑誌「文芸思潮」で「凍裂」というドラマチックな小説で特別賞を受賞している。自分は授賞式を見学させてもらった。70歳を過ぎて、書くことにはまた特別な決意と想いがあるようだ。
【「渓流の眠りのなかへ」有森信二】
 自分と同じ双子のような、しかし会ったことがない男と街中で出会う。このような設定だと二重人格をテーマにするいものが多いが、ここでは自己存在の不定感、不可解さを感じるような物語になっている。組織のなかの歯車化されている状況に対し、幽体離脱などの現象表現を用いて、抵抗姿勢を感じさせる物語であった。風変わりな作風で、意欲を感じさせるが、二重人物という設定は、エドガー・アラン・ポーをてはじめにドストエフスキーほか多くの作品があり、現代にそれを使って作品化するには、よほどの工夫が必要に思うが、それなりに新味が出ているように感じたが、何となく物足りなさもある。もっと長くしてつなぎを充実させれば雑誌「群像」の賞の選者が好みそうな作風になるかも知れない。
〒818-0101太宰府観世音寺1―15-33、松本方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年2月10日 (月)

プロレタリア文学手法としてのハメット「血の収穫」

 昨年から私は外狩雅巳作品の解説を書いて一部発表をしている。外狩氏が会員になる前に、作品を送ってくれていたので、その時点から作品に気をとられるものがあり、関心があった。私自身は、マルクス経済学を研究しており(マルクスス「主義」経済学ではない)プロレタリア文学をかなり読んでいた。外狩氏がその傾向のエッセンスを感覚的に把握しているのに、内心で正直驚いていた。私には理論があるが、彼のようなセンスがない。文芸作品はセンスがすべてである。そこで、会員になるとを勧めたが、彼は自分なりに活動の仕方があって、同意しなかった。それが、昨年になって何故か入会を承諾してきたので、早速、その宣伝に努めている。
 プロレタリア文学には、歴史的に自然主義文学の延長線上にあり、海外では米国でのヘミングウエイ、ハメットのようなハードボイルド文体に、フランスではノワール小説とかなんとか言ってボリス・ヴィアンの「墓にツバをかけろ」などを生んでいる。ハードボイルドの文体は、外面描写によって、状況を説明するもの。元来、人間関係において、他人の心の中を覗くことができないので、外側から判断するしかない。唯物論的にはそれが正しい表現方法なのだ。日本では、葉山嘉樹、小林多喜二が有名だが、横光利一、野間宏とその手法の追求者が続いている。とくに戦後の野間宏「真空地帯」は、ドイツでも日本の軍国主義の研究に参照されていたときく。
 ハードボイルド小説のハメットは、自分の体験をもとに架空の町を舞台にした「血の収穫」を書き、米国の共産主義団体に参加し、政府の秘密機関に狙われていた。
外部描写の見事さに世界の作家をあっと言わせた手法の例がある。住民の行為をもって街の性格を表現したダシェル・ハメットの「血の収穫」の冒頭部分。探偵のおれが初めて訪れたボイズンビルという架空の町での場面。
――最初見に見かけた警官は、無精ひげをはやしていた。二人目のやつはみすぼらしい制服のボタンがふたつもはずれていた。三人めは、この町の目抜きの二つの大通りブロードウエイとユニオン街との交差点で葉巻をくわえたまま交通整理をやっていた。その後は、警官を観察するのはやめにした。―――(田中西二郎訳・創元文庫より)
 このことによって、この町が警察からなにから堕落している無法地帯であることを、見事に表現している。文体が内容表現の目的意識にぴったり寄り沿っている。
 しかし、時代の変化は別の表現法に変わっていく。≪参照:村上春樹作品のもうひとつのハードボイルド風手法

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2014年2月 9日 (日)

文芸同人誌交流会(町田市)に参加

 町田市で会員の外狩雅巳氏が文芸交流会を開催したので、参加して取材した。≪参照:外狩雅巳のひろば≫。文芸同人誌の作家らしい視点で、意見を発信している外狩氏だが、それに満足せずに、こうした会を8回の実施し、こつこつ努力してきたことを知った。かれはどうも、通常の同人誌活動に何か別の要素加えようと模索しているらしい。私は、「なぜ『文学』は人生に役立つのか」の冊子に書いているように、一種のカラオケボックス化した世界で、それが幾つ並んでいても、部屋数の多いカラオケボックスであるという、感じしかもてない。自分も同人誌に書いているが、それとは別に、自分なりに文学活動の方針があるが、それは個人的な意志に過ぎない。
 カラオケ仲間的な意味で上手い人は、大勢いる。お互いに上手い下手だと批評しあって研鑽しあうわけである。べつにそれを否定することではなく、もし世界中の識字率が向上すれば、世界にその方式は普及するかもしれないと思う。
 昨年に、外狩作品の文芸批評をし、「外狩雅巳の世界ガイド2013」に掲載した。今年用に作品「28歳の頃」の評論を書き2014年度版に掲載するというので、引き受けた。≪参照:詩人回廊」評論「28歳の頃」≫。これは、文芸批評が、個別の同人誌作品にも成立することを示す意味で、自分なりの挑戦でもある。

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2014年2月 8日 (土)

文芸同人誌「札幌文学」第80号(札幌市)

【「恋鎖」海邦智子】
 主人公の女性の若き時代に、関係のあった男性の恋敵的な女友達がいた。しかし、その女性は主人公の恋人に未練を残しながら、ほかの男と結婚しする。それも二度である。その女性の娘というのが、主人公を頼って、同居する。若いころの男とは別れたもの付き合いはある。するとそのやってきた娘が主人公の昔の彼氏に恋をするーーという、なかなか入り組んだ関係を描く。描くのになかなか大変だが、この辺が面白く上手く艶のある話になっている。これは文学だと思った。
【「孤悲」石塚邦男】
 陰陽師の元祖のような役小角の物語。ずいぶん生真面目な小角像になっていて、読んでびっくり、なるほどこういうイメージもあるのか、と現代人的想像力の発揮の情況がよくわかる。自ら作品中で示した史的資料と反対の人間像の発想をしたのであろう。謹厳実直な日本人像は江戸後期から明治のものであるが、意外な役小角像を書かれる時代の現代性を浮き彫りにしている。
発行所=〒001-0034札幌市北区北三十四条西11丁目4-11-209、札幌文学会
         ☆
 秘密保護法ができて、はたしてどれだけの同人雑誌がチェックををうかるのだろうか、と考えると、ほとんどノーチェックであろうと思う。それは社会的に影響を与える存在ではないと見られているのではないか、という推測による。しかし、そうしたニッチな発表場所が今後重要な役割を果たすこと期待できるのではないか。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年2月 7日 (金)

馳星周「ラフ・アンド・タフ」

 1月末に刊行されました『ラフ・アンド・タフ』、先月の担当編集者からの
 コメントに引き続き、今月はなんと著者である馳星周さんからのコメントが
 届きました!(講談社ミステリーの館】2014年2月号より)
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 ラフ──がさつな男
 タフ──逞しい女
 がさつな男が逞しい女に出会い、恋に落ちる。
 狂おしいほどの感情の虜になって、突っ走る。
 他愛のないものを手に入れるために、すべてを賭けなければならない人間が
 いる。
 すべてを失ってなお、幸せを感じられる人間がいる。
 愛を書きたかったのだ。愚かしくてせつない愛を。<馳星周>
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内容紹介
賞金稼ぎを夢見て無茶ばかりする二人の男。ヤクザの借金を踏み倒した風俗嬢を見つけたが、女は言う。「好きなときに、好きな穴を使っていいのよ」。堅い絆で結ばれた二人は何もかも投げ捨てて女を、そしてその幼い息子を逃がすことを決意する。血塗れの子守歌をききながら、明日なき暴走が始まる。魂の兄弟(ソウル・ブラザー)、そして夢のような女と健気なガキ――死にたいくらい焦がれた幸せが目の前にある!


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2014年2月 6日 (木)

村上春樹「ドライブ・マイ・カー」に北海道中頓別町議会が問題視

 作家村上春樹氏の短編小説「ドライブ・マイ・カー」(雑誌「文芸春秋」2013年12月号掲載)の作品中、北海道中頓別町でたばこのポイ捨てが「普通のこと」との見方が示されているのは事実と違うとして、町議が出版社に質問状提出を検討していることが5日、分かった――と共同通信が伝えている。
 それによると、主人公が中頓別町出身の24歳女性運転手と車中で会話する場面。女性が火の付いたたばこを車の窓から捨てた際、「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との主人公の感想が記されている。
 東海林繁幸町議は「町民の防災意識は高い。事実ではなく、町をばかにしている」と話す。―――ということのようだ。

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2014年2月 5日 (水)

西日本文学展望 「西日本新聞」朝刊2014年01月30日長野秀樹氏

題「故郷へ戻る」
ひわきゆりこさん「終(つい)の場所」(「胡壷・KOKO」12号、福岡市)、吉松勝郎さん「白木蓮」(「火山地帯」176号、鹿児島県鹿屋市)
「ひびき」7号(北九州文学協会)は第7回文学賞発表。小説部門大賞は藤山伸子さん「光る河」、優秀賞は北村昭子さん「共有」と佃秀夫さん「菜の花の道で」
「季刊午前」49号(福岡市)よりよしのあざ丸さん「空港まで」・脇川郁也さん「午前と季刊午前」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年2月 4日 (火)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(5)傲慢と略奪

「とまれ・とまれ。深追いするな」分断された大和軍前衛は円陣で防戦し、後方の軍は散を乱して敗走する。
「アザマロ、さらばだ」留まる蝦夷の中から抜き出た五十騎と徒歩の兵百五十。河に向かって突進する。彼らは皆、敗走する官軍と同じ単甲冑と兜、そして蕨手刀である。
「あの者たちに生き残る道はない」
 入間広成の退却を守る五百継と兵たちは岸に伏せ矢を番え剣を振り上げて決死の面持ちで待ち受ける。
「犬め、大和の犬は死ね」
「死ぬのはお前らだ裏切り者め、上毛野一族の恥晒者達に帰る土地は無い」
 岸辺で繰り広げられる死闘、大和に従うものも討たれるものも武蔵の民である。広成は既に対岸に着いた。
 「大盾を仕留めたお前だ、蝦夷の星として胆沢を守るのだ」イサシコの残した言葉を胸にしまい込む。
 道嶋の大盾を討ち、多賀城を炎上させ胆沢侵略を中断させたあの日。アザマロには道は一つしかないのだ。
「物見の死は無駄ではなかった」
「ここで河を渡ると岸から知らせ斬られても我らに勝ちをもたらしたのだ」
 配下の兵たちの喜びの声。円陣を崩されて川に敗走する大和軍の絶叫。完全な勝利が広がっている。
「村を焼かれ、妻子を殺されての勝ち戦だ、これで大和に我らを認めさせれば阿弖流為様の思う壺だ」
「いや、そうはなるまい。紀広純を戻したが大和は吾を許さず紀古佐美の軍が来た。戦うしかないのだ」
 配下の兵と言い交わす。夷を以て夷を制す大和の仕打ちは充分に知っていたが、立たねばならぬ時もある。
 伊治郡大領として大和の手先を務め献身した。伊治城建設にも郡民を挙げて土木工事に邁進したのだ。
 それなのに、要領の良い大盾に手柄は攫われた。彼の叔父は中央の高官である。陸奥守も親戚である。
「蝦夷の子は蝦夷。卑しい血は争えぬものよ」祖父と父とで築きあげた地位に血筋の誇りがある。土木作業員ごとき、との蔑視がある。
 大納言広純の前で屈辱の嘲り、多賀城の政務を取り仕切るその傲慢さ。古くは道嶋とて蝦夷ではないか。
 夜中に密かに配下を集め反乱は成功した。寝入りに襲われ半裸の大盾を逆さ吊りにして首を刎ねた。
 広純は都の貴人。帝に叛意の無いことを伝え逃がしたのだ。陸奥から手を引かせようと多賀城は焼いた。
 甘かった。結果はこうなった。阿弖流為の考えに従い戦勝しても我ら蝦夷の自由な生活は得られまい。
 吉弥候部伊佐西古は蘇我氏の部の民、岩代で使えていることが出来なかったのか蝦夷の血が騒いだのか。
「上流でも逃げ帰っている。打ち取らぬとは惜しい」村を焼き略奪した一軍も鎧を捨て泳ぎ逃げてゆく。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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2014年2月 3日 (月)

著者メッセージ:竹田真太朗さん『不束な君と素数な彼女』

 はじめまして。竹田真太朗と申します。この度、ワルプルギス賞という講談社主催のネット公募文学賞からデビュー させていただくことになりました。少年の頃にぼんやりと願っていた作家に なるという夢を、社会人となった今に叶えることができ、大変喜ばしく思います。
 本作「不束な君と素数な彼女」は、私が青春を過ごした新宿区にある某私立大学の理工キャンパスが舞台のモデルとなっています。十八階建ての研究棟が特徴的な殺風景で男臭い世界で生きるうちに、女子への免疫を無くした男子大学生。そんなスマートな恋愛など出来るはずもない男の恋に対する 葛藤と奮闘を、男を「君」と呼ぶ、つかず離れずの二人称視点で展開いたします。温かい目で見守るも良し、己を重ねて悶えるも良しです。
 この恋愛中枢をこじらせた男の物語は、美しくはなくとも、楽しくはあるこ とを保証しましょう。恋する男は、カッコ悪くて面白いのです。何卒、よろしくお願いします。       (竹田真太朗)(講談社『BOOK倶楽部メール』2014年2月1日号より) 

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2014年2月 2日 (日)

文芸時評1月「東京新聞」(1月30日)沼野充義氏

中原清一郎「カノン」=深く広く巧み 希有の作品
古川日出男「冬眠する熊に……」パフォーマンス力 炸裂
≪対象作品≫中原清一郎「カノン」(文藝)/古川日出男「冬眠する熊に添い寝してごらん」(新潮)/同誌特集「東京ヘテロトピア」高山明の構成・演出「観客参加型演劇作品」=テクスト・小野正嗣・温又柔(おん ゆうじゅう)・木村友祐・管啓次郎/木村友祐「ひのもとのまなか」(すばる)/群像特集「変愛小説集」岸本佐和子編・川上弘美~津島佑子―日本版「変愛小説集」(講談社)/ル・クレジオ、ギュンター・グラスなど四人の世界的に高名な作家たちからの日本読者へのメッセージ(文学界)/文藝・特別版「国境なき文学団」市川真一・鴻巣友季子。
      ☆
 長編「カノン」の中原精一郎は、1976年外岡秀俊「北帰行」で作家デビュー、1986年「未だ王化に染(したが)はず」を発表しているという。

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2014年2月 1日 (土)

「動きすぎてはいけない」千葉雅也『気にしすぎ』『気にされすぎ』

 20世紀のフランス現代思想を代表するドゥルーズの哲学を解説し、現代にどう生かすか論じた『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)が反響を呼んでいる。浅田彰さんと東浩紀さんが帯を書き、硬派な本にかかわらず、5刷を重ねた。
 スマートフォンの普及などで「接続過剰」になりがちな現代に、ドゥルーズの唱えた「切断」の大切さを強調する。人間が<創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない>などと説く。
 「現代は明らかに『気にしすぎ』『気にされすぎ』です。この息苦しい状況から、どうすれば『個』として呼吸の余地を取り戻せるか。情報社会から完全に遮断されて暮らすことはできないけど、加減良く切断したいですね」
 宇都宮で育った1990年代半ばの高校時代、普及し始めたインターネットが自宅につながった。米国の高校生と英語でチャットし、地方の生活圏とは異なる人間関係ができた。その経験から、根のように水平方向に広がる関係を指すドゥルーズの「リゾーム」の概念を知って興味を持ち、東大で専攻した。
 現在は、立命館大の准教授を務める。新しい男女観や家族関係のあり方などに強く関心を持つが、「社会は一気に変えられるものではない。少しずつ変革したい」と語る。さらに、「経済的に豊かになり、家族にみとられて死ぬといった20世紀的な人生モデルが通じにくくなった。生老病死のグランドデザインを考え直したいと思っています」。
 大阪の繁華街近くに暮らす。雑踏に紛れ、自分が匿名化した存在になれる感覚が好きだ。(文化部 待田晋哉)(2014年1月9日 読売新聞)

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