外狩雅巳・連載歴史小説「大地の記憶」(1)まつろわぬ東北の民
若い男が川面をみつめている。「どこから流れてくるのだ。」
後ろの年長者は荒縄で縛った現地民を伴っている。
「湧いてくるのだ、地の底から。」
縛られた半裸の男が訛りの強い言葉で呟く。捕らわれ引き立てられる途中か。俯いて呟く。
「またか、お前か。思慮するとこいつが答える。今は物見中だ。向こう岸に気配はないのか。」短甲で武装した年長の男が叱咤する。
若い男も剣を持っている。対岸は静まり返っているが、何故か捕らわれの原住民は一所を一瞥すると微かに笑みを浮かべ又俯いた。
―― その河の名は ――
はるかに壁のように連なる奥羽山脈が雪を頂いて朝日を反射している。その雪解け水で溢れた奔流が大地を切り離している。
岸に並ぶ大和の軍勢は渡河の用意を開始する。その数は、五万二千八百。紀朝臣古佐美征東将軍は帝の忠臣として知られる猛将だ。
参議左大弁正四位下兼春宮太夫中衛中将としてまつりごとの一端に連なる高官だ。大和朝廷が総力を挙げて蝦夷討伐を開始した。
まつろわぬ東北の民、日本武尊以来幾度も討伐を受けている。関東から東海地方までは北の民が暮らし、大和から半独立していたのだ。
「しびれを切らし、出て来たな、裏切り者達め。」
渡河を始めた大和の軍勢を睨む髭に覆われた大男は木陰で仲間達に合図する。
馬筏を組み奔流を押し渡る坂東軍勢は四千。はるか昔、大和に服従した蝦夷たち。大和の貴族たちの持つ牧で馬の飼育をさせられている。
更には徒歩立ちの兵士千人も続く。髭に覆われた蝦夷である。多賀城に属する降伏した蝦夷軍は族長・道嶋御盾に率いられている。
「やはりゆくのか、お前に死なれては困る。」
岸からの知らせで林の中に二百の兵を揃えて出陣用意にかかる初老の男に若者が肥を掛ける。
「伊佐西古、なぜお前は死に急ぐのだ。」岸で偵察していた若い大男の蝦夷は首領としての貫録を備えて初老の大和化した男を止める。
「囮になるには格好の我らだ、岩代より俺についてきた者共も大和に弓引いて死ねる時をじっと待っていたのだ。」馬上の老将は微笑む。
「伊治砦麻呂、お前様は全ての蝦夷の希望の星だ、この戦を始めたのもお前様だ、見届けるのだ北の民の行く末を…、頼んだぞ!」
急流にさらわれた者もいるが、さすが坂東武者達、見事な馬あしらいでこちら岸に辿り着いた。隊伍を整え森を進み始める。
「イサシコを憎む官軍の気持ちも良く分かるが、俺にはお前の死は心底辛いのだ、心を許しあえたお前だ。」呼びかける若者。
「くどい、アザマロ。俺の死に様をよく見てくれ。」
服従し蘇我氏の部の民としての名を受け取り苦渋の日からの脱出がこの死である。
(注)まつろう=1、 相手に付き従う。「順応(じゅんのう)/帰順・恭順」2、人に逆らわない―という意味があることから、まつろわぬは素直に従わないという意。
(注)イサシコ=エミシ(蝦夷)の長の名
■参考≪外狩雅巳のひろば≫
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