外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(2)解説編その時代背景
~作者の解説~
私は仙台市で少年期を過ごしました。郊外の西多賀と言う場所です。市域を挟み多賀城の手前、東京寄りです。民家と畑が点在する丘陵地帯です。父と山菜取りの散策中に山肌の崖で土器や石器を見つけ持ち帰りました。
教職の父は歴史に詳しいので説明してくれます。黒曜石の鏃とか縄文式土器の破片でした。大量に収集しました。こうして古代史に親しんだ事で東北の過去に興味を持ちました。多賀城跡地見学も行いました。
地政学的にも北日本は中国大陸に接近しています。カムチャツカ半島から島伝いに北
海道に続きます。はるか有史前から文化が発達した大陸に漢や唐の巨大国家の制覇が続いています。広域な影響力がありました。
膨張する歴代の中国王朝文化は北の果てまで広まりました。沿海州の中国文化は北海道からも来土したと思います。北海道や東北にはその名残の遺物が出土します。北からも日本文化の夜明けは有ったことでしょう。
しかし、朝鮮半島からの流入ははるかに多く、渡来人の力が古代日本の歴史に大きな影響を与えました。
「皇帝の柵封を受けた外臣としてこの地を治めています。西に66ヶ国を、北は海を渡り95ヶ国を征しました。東は毛人を攻め55ヶ国を征しました。こんなに大きな帝国となりました。」
これは中国の南朝に奉った上表文です。
大和に勢力を広げ日本の覇権を獲得した古代国家の長の一人、雄略天皇からの使者が持参したものです。
「東には山中に夷がいます。無知非礼な野蛮人で日高見国と言うのがあります。穴に住み生肉を食べ血を飲みます。親子、男女間の礼儀はなく雑魚寝します。略奪者です。でも、土地は肥え広いので武力制圧のチャンスです。」
これは、景行天皇に臣下の竹内宿祢が東北視察報告で語った事です。日本書紀に書いてあります。
旧縁のある朝鮮半島の百済と結託し唐の手先の新羅征伐を行いました。そして、返り討ちされました。
六六三年の事です。敗戦で怯え、北九州沿岸に防壁を巡らせ守りに入りました。北を攻め取る事に変更しました。
この大和の東北侵略をもとにしたお話が現在進行中の「北の大地の記憶」です。数回の連続とします。
時々、資料による説明を挟みながら進行してゆきます。
■参考≪外狩雅巳のひろば≫
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