北一郎と外狩雅巳の対峙バージョンⅡ開始
~ 多くの人が、「テクストをめぐるテクスト」を読んでから、そこで対象とされていた当の書物におもむろに目を向ける――あるいは向けずにおく――という文学的な「倒錯」を、ごく自然な事態であるかのように社会に定着させたことにある。~~と、雑誌「群像」新年号に掲載の蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論にある。
たしかに主たる興味は作品に書かれたテクストであるにしても、テクストを読むテクストを書けば、作品が読まれる可能性があるということでもある。それには書き手がだれかにもよるのだが……。そこへ、会員の外狩雅巳氏が、つぎのような投稿をしてきた。
【外狩雅巳氏の投稿】=「外狩雅巳世界ガイド」への解説文等への追加説明的な意見の二回目が日曜日に掲載されています。
ここには北一郎氏の作品観と時代観を総括的に評する態度への説明が詳しく書かれている。
同人誌に集まる人々の意向も的を得た理解を書いている。私の同人会内での観察と同じです。書きたいから書くのです。掲載費を負担しても発表したいのです。読んでもらいたいのです。しかし、同人全員が同じ考えなので、読んでもらいたい人だけの集まりになってしまいます。なので、多くの感想は書く立場からの感想になります。作品としてどこが上手いかです。
物語の作り方。泣かせ方。同感を誘う技。と、文章技術やテーマへの同感・反論になります。仲間目線なので 自分の文章力との比較で優劣を考えます。そして、創作熱意を讃えます。
文學一般での位置づけ・主題の時代との拮抗・創意工夫・文体などには感想が及びません。同感と感動で世に出しても耐えられる作品だなどとほめあげることもあり会合は盛り上がります。すこしまともな評価が欲しければ同人誌評者に送付します。「文学街」などで取り上げて欲しいのです。
一般の文芸賞受賞者とは少し違います。が、職業作家に負けない作品だとの自負はあるのです。
「文芸思潮」に応募します。芥川賞に匹敵する作家・作品を輩出するのだとの宣伝文句に惹かれます。大方の仲間は同人誌掲載で満足します。仲間の合評で満足します。少数者は応募します。文芸思潮」で入選すれば全国区で勝ったようなものです。地方文学賞入選も勲章です。同人雑誌の人々とその世界。私はそこに何十年も浸り続けました。そして年老いました。
北一郎氏が斬新な切り口で解説したので作者も驚いています。こんなのありか!と感じました。三回・四回と進み、説得力がある論になれば作者と読者が納得するのでが、さてどうかな。
だいぶん冷静な論になってきています。北一郎氏の力を観察したいと思っています。
☆
~~とにかく疑問を感じさせるものの、北一郎が書けば、なんとか会員支援になるらしいことはわかった。そこで彼の「28歳の頃」を評論することにしました。結果は、どうなるかはわからないが、やってみようと思う。つまるところプロレタリア文学はすでになく、その創作手法がまだ生きている、というだけのことなのだが、その趣旨がうまく伝わるかどうかである。テクスト論にすればなんとかまとめられると思うのだが…。実際は書いてみないとわからないところがある。≪参照:「詩人回廊」評論「28歳の頃」 ≫
| 固定リンク
コメント