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2014年1月16日 (木)

文芸同人誌「胡壷・KOKO」12号(福岡県)

【「渓と釣を巡る短編Ⅵ」桑村勝士】
 渓流釣りを趣味にする「ぼく」の仕事と生活を描く。釣りの話となると、いろいろな土地の釣り場を巡る話のスタイルができているが、定住者が地域の釣り場を、季節や生活事情を挟んで描いたものは、珍しい。それぞれ面白く読める。連載の始めには、新鮮な緊張感があったが、それが回を重ねるうちに、余裕がでてきて円熟しているのが、連載過程の変化で納得できる。渓流の場面は、現場の雰囲気が良く出ていて、読みどころになっている。
 「山桜」と「神楽、ふたたび春」の2編だが、後者の方で、職場の元同僚が「ぼく」と同じ場所の獲物を狙っている姿を描き、その後に声をかけずに去る。釣りという遊びのディレッタンティズムの本質が孤独な自己完結型のものであることを示して良い味になっている。
【「終(つい)の場所」樋脇由利子】
 夫を亡くし、子供もいない貴絵は、還暦を迎え、故郷の亡き父の家に戻って住む。育った土地ではあるが、昔馴染みも老いて、故郷は見知らぬ世界となっている。ありふれた状況といえば、そうであるが、陰翳礼讃の感覚による筆の運びが、日本人特有の人生観を投影していて、それを納得できる人生のあり方として説得されてしまう。今はニーチェ哲学的な人生観が流行っていて、毎日が祝祭日として過ごすことを良しとし、輝く人生を礼賛している。明日こそ、前向きにドラマチックに、ワグナーの曲のように生きるーー。しかし、貴絵のような境遇の描き方は、ニーチェ思想に向けて、そうはいかないこと示して見せているように思える。ごくささやかな小さな感情の起伏のなかに、全人生が存在している。
紹介者「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

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コメント

寒中お見舞い申し上げます。冷たい日が続いています。
拙誌の感想をありがとうございます。
桑村さんの作品を読むと、いつも椎葉の風景が浮かんできます。清冽な流れの淵に立っているような。
拙作は誰もが経験するようなささやかなものを掴まえながら書きました。読み取ってくださり、うれしかったです。やはり年なのでしょう。ニーチェ的人生観には息切れしてきました。そんな時期もあっのですけれど。

投稿: ひわきゆりこ | 2014年1月19日 (日) 09時41分

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