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2014年1月30日 (木)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(7)

 国民と国家の関係について、人民、統治者の視点、歴史、自己体験、思索、民族性から想いをたどってきたのが、豊田一郎「屋根裏の鼠」(「詩人回廊」)である。それを短い章に分割したのは編集者であるが、このことによってこれが文芸的な視点での史観であることが解りやすく伝わったと確信する。
 しかし、その史観の中心軸となるのは日本であり、ある日本人による独白小説である。文体は「語り言葉」風の書き言葉で、語るように書くというスタイルになっている。
 作品はその意識の流れを表現している。日本では非常に珍しいスタイルのものであるが、海外ではジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」の影響で広く採用されている。この場合の最後はマリアンの独白体で、〈意識の流れ〉が書かれて終わる形式である。
 池澤夏樹は「『ユリシーズ』の最大の功績は、小説をプロットから解放したことである」と指摘している。『ユリシーズ』の中では、プロットあるいはストーリーは重要ではない。訳注があり、しかも訳注を読まないと、意味が分からない。
 「屋根裏の鼠」も訳注が付くべきであろうと、編集者が不十分ながら、それを補完したことになる。
 意識の流れを応用した作家といえば、ヴァージニア・ウルフやフォークナー、ガルシア=マルケスなど、この手法は世界に普及している。
 「屋根裏の鼠」は、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』の存在の希薄性へ心理的な不安を軸にしていて文芸的であるが、「屋根裏の鼠」は、自分がなぜここに存在するのか、どこから来てどこに行く運命についての意識の流れである。日本流の「意識の流れ」手法の作品として意義があると思う。

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2014年1月28日 (火)

デジタル化と本の市場=ネット小説の魅力

橙乃氏に、ネット小説の魅力を語ってもらった。 「まずは紙の書籍の1巻分のサイズに縛られずに物語を展開できることですよね。起承転結の『承』が延々続いていったとしても、それが魅力の作品もたくさんある。
 『まおゆう魔王勇者』を2ちゃんねるに書いているときは本1冊分の起承転結なんて考えていなくて、書籍化するときちょうどいい区切りをつけるのに苦労しました(笑)。『まおゆう魔王勇者 エピソード2 花の国の女騎士』
(KADOKAWA エンターブレイン)≪橙乃ままれ氏(下)「現在」に対して誠実に
 ただ『ログ・ホライズン』は最初から『紙の書籍を書く』練習がしたくて書きはじめたんです。だから3幕構成で1冊9章立て、1章3シーン構成の計27シーンで1冊分になるようにきっちり設計している。そういう意味では『ウェブの小説ならでは』の特徴の一部を放棄した作品ではあります」
 「たとえば『異世界転生もの』が流行ったら、みんなで少しずつ差分を加えながら、有望な鉱脈を探るんですよ。『異世界転生で学園ものがおもしろそうだね』とかね。
 そのくり返しの中でパターンが洗練されていく。だから仮に作家同士の交流が直接的になくても、ライバル心も、連帯感もあるんです」
 ミステリがトリックや密室を、SFがタイムパラドックスやファーストコンタクトのバリエーションを蓄積していったような「ジャンル小説」の運動が、ネット小説でも起こっている。
 「あとは、何よりネットに作品を発表することの良さって、読者との距離が近くて反応が早いことと、『僕らの作品』と思ってもらえることですよね。いただいた指摘や感想を作品にフィードバックすることは本当によくありますし、『まおゆう魔王勇者』も『ログ・ホライズン』も読者さんが参加できる企画があります。

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2014年1月27日 (月)

第十八回文学フリマ(5月5日)の出展参加受付はじまる

 東京流通センターで5月5日に開催の第18回文学フリマの参加出展受付が開始されました。≪参照:文学フリマサイト≫文芸同志会も申し込みをします。文学限定のフリーマーケットは、ほかにも増えてきています。文芸同志会は初回から参加してきた文学フリマを重視し、「詩人回廊」で、伊藤昭一が「文学フリマ物語消費」を連載しております。また、会の活動は「文芸同志会のひろば」にあります。

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2014年1月26日 (日)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(4)解説編・倭国・和国の成立

 ―金鳩輝く日本の―で始まり――紀元は二千六百年――で終わる歌を少し覚えています。
 私が生まれた昭和十七年の二年前がその記念の年です。つまり、我が国の歴史開始日です。
 前回書きましたが天皇家は朝鮮半島よりの渡来人の末裔かもしれないと言う疑問です。歴史書には紀元前の中国と朝鮮半島の事が記載されています。古朝鮮国家についても記されています。
 伝説に近い部分もありますが二千六百年も前にここに中国文化の影響で国家があったようです。その流れで三韓という国家群も栄え、その一つが百済国となったとも言われています。
 百済と日本の縁が深いのもそういう訳なのでしょうか。まず北九州に小国家群が発生しています。漢帝国から下された金の印鑑の話も学校の歴史で学びました。色々推測出来ますね。
 で、北上して大和盆地に定着しますがその事を歌ったのがこの歌みたいですね。神武天皇の籏に、金鳩が留まり賊が敗走した―のが日本紀元の始まりだと言う歌ですね。
 歴史書で中国王朝の一族が朝鮮に原始国家を建国したと言う伝説も読みました。その流れなら倭国・そして大和国も中国王朝を見習った事と考えても良いと思いますよ。
 白村江の敗戦で北を攻め取る事に最終決定したのは幸運ですね。北には強敵が少ないのです。
 奈良・京都などに首都を定め遠征軍を繰り出します。その前にも日本武尊命なども居ます。
 焼津や遠州灘での事や、蝦夷の事も伝わっています。「陸奥国風土記」にある話だそう
です。―陸奥や津軽の蝦夷連合軍と戦い槻木の弓と矢を使い八発で勝ったので八槻郷と言われるー
 地名の由来などにも日本武尊からの話が多く残っていますね。天皇の皇子様の征伐記です。敵との境界線には砦や関所を構えて厳重に見張ります。白川の関は東北の入り口です。
 天武天皇は「凡そ政の要は軍事なり」と言って軍備を整えました。敵は蝦夷です。規律と訓練で鍛えた軍は蝦夷との戦いで勝てたのか。大地の記憶で書き進めてみましょう。
 本には捕虜の蝦夷が部落民の元祖かもしれないとありましたが定説では無いですね。大宝律令等の法律整備で中国から学び高度な制度国家・軍事国家を建設しました。
 恭順すれば外位の称号を与えます。頭に外がついても従五位なら貴族並の高位です。敵わないと知れば原住民は恭順します。良い政治をすればドンドン大和化します。坂上田村麻呂は征夷大将軍として東北を征伐し占領統治が良いと慕われました。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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2014年1月24日 (金)

文芸同人誌「構想」第55号(長野県)

【「織田作之助を訪ねて」(四)藤田愛子】
 無頼派といわれた「夫婦善哉」の作者との交流記であるが、前回は「大阪文学」という雑誌の創刊号の頃と、華のある20代の作者の恋愛事情があり、織田がうまく出だしが書けないと、机を窓の外に放り投げたというエピソードなどがある。戦時下での「大阪文学」1月号が出た話。それと、小説「夫婦善哉」が、戦時中の時代背景にはまったく触れていないことについてーー「作之助が書きたいのは人間の思想や心理ではなく、あそんだあとの財布のなかに何円何銭残っているか、蝶子の貯金が何円になっているかその即物的リアリティが重要なのである」と記している。人間の肌に食い込むような存在感の創造への一つの見識である。
【「中江兆民と幸徳秋水」(二)崎村裕】
 前号では、中江兆民の思想と生活を丹念に調べ、その人となりを浮き彫りにしている。今号では、その影響を受けた幸徳秋水の生活と思想を紹介する。明治100年を過ぎて、時代と風俗が変わっても、思想的には現代でも理解できる。国家と国民の関係の基本は変わらないところが多い。そのことをよく感じさせるのは、人物の人間性と思想を良く結びつけている視線であろう。
発行所=〒389-0504長野県東御市海善寺854-98、「構想の会」。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2014年1月23日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2014年01月03日)白川正芳氏

「第34回全日本短歌大会」より深谷絹子・評「限界の農か」藤田さくら子
有田美江「いわて移住日和(四)」(「舟」153号、岩手県)、青江由紀夫「銀治郎の日記」(「海峡派」128号)
「俳句史研究」20(大阪俳句史研究会発行)より辻本康博「奈良に子規の庭を訪ねる 資料探訪会」、北一郎『有情無情、東京風景』(土曜美術出版販売)
「限」創刊号より手束邦洋「投げ出されていること、投げ入れること」、内だ勝馬「樹木人間」、森啓夫「復刊・文学街を辿る」(「文学街」315号)
吉田達志「物語の回復」(「静岡近代文学」28)、石川好子「山茶花」(「文芸きなり」77号)、梶原陽子「引っ越し日記より」(「かわばた文芸」17号)、移川淳子「少年の暦」(「まくた」282号)

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2014年1月22日 (水)

同人誌時評(12月)「図書新聞」(2014年01月01日)志村有弘氏

題「戦後を舞台に苦学生の姿を綴る力作」
国府正昭「蛇男と黄色い水」(海第88号)、石井利秋「家の中の小さな音」(小説家第139号)、小松文木「夢六夜 京の五条の橋の上-夢十夜噺の内」(断絶第113号)、張籠二三枝「三好達治 詩語り」(青磁第32号)
詩、短歌、俳句は省略。
「限」創刊。
「あるかいど」第51号が輕尾たか子、「豈」第55号が須藤徹、「別冊關學文藝」第47号が梶垣洋典の追悼号。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年1月21日 (火)

「今日もまた時は流れる」 勝畑耕一

    

今日もまた時は流れる   勝畑耕一   
朽ち果てた廃屋が好きだ/落ちかける瓦、ペンキのはがれた窓/ポストからはみだすチラスの束/荒れ果てた庭に、我がものの顔の雑草
失われた家族の記憶など、もう誰も知らない/多くの夢が描かれた日々もあっただろうに/いまや天を目指し、樹木に巻きつく蔦や蔓
所有権をめぐる骨肉の争いでもあるのか/係累も遠くに去り、もはや途絶えたか/建屋の空間は、廃屋への時間に追い抜かれる
たかだか五十坪、時価で数億円と言われても/蔓は電住や隣の電線にまで延びて/かつての生活のぬくもりはすでに失せ去り/ただ今日もまた時は流れる、誰も何も思わず

詩誌「騒」96号(2013 年12月)東京・中野「騒の会」
読み人「詩人回廊」江素瑛
 ビルが林立する町の廃屋の風景は、時代の流れを譲らない静かな存在である。もしかして独居老人がこの世を去った、誰も訪れてこない廃家に餌をもらっていた野良猫が時々戻ってくる、開きばなしのドアに気まぐれな風とわが家の昔の面影をさがす。
破れた垣根から覗いてみると「荒れ果てた庭に、我がものの顔の雑草」のひと言で、繰り返す世の盛衰興亡に目も向けない、止ることもない、時は流れて、永遠に流れて……。

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2014年1月20日 (月)

第150回芥川賞選評、川上弘美さん(産経新聞)

 第150回芥川賞は小山田浩子さん(30)の「穴」に決まった。選考委員の作家、川上弘美さん(55)が選考経緯などについて話した。
 「(選考に)例年より時間がかかりました。残ったのが、岩城けいさんの『さようなら、オレンジ』、それから小山田浩子さんの『穴』、山下澄人さんの『コルバトントリ』でした。この3作にはそれぞれ強く推す選考委員がいまして、2回目の投票を行い、最終的に小山田さんの『穴』が過半数を取ったんですが、『さようなら、オレンジ』と『コルバトントリ』も過半数に迫る点数を取ったということで、今回は非常に実りのある作品を選考できた喜びがありました」
 --小山田さんの作品が評価されたポイントは
 「『違和感』があり、リアルな設定でありながら、幻想味がありました。それが幻想のための幻想ではなく、それを自然に書いている筆力が評価されました。それに皮膚感覚が非常にあって、嫁としゅうとめ、地方の…自分が知らない小さな社会に入った違和感を、普遍的に描いている作品ではないか、ということで評価されました」
  --山下さんと岩城さんの作品については
 「今までの作品に比べて、内容と表現形式が合っている、そしてこの表現形式でなければ、表せないであろうものが表現できているという評価がされた一方で、そのことを評価できないという声もありました。それで○と×が両方つきました」
 「岩城さんの作品も、推す委員は『言語をいかに獲得していくか』ということの切実さと、逆に獲得していくことで失われるものがきちんと描けていて、感動があった。それに物語としても面白い、と。反対する選考委員はそれらの意見を認めつつ、アフリカ人のサリマ(登場人物の一人)をもっと深く描かなければ、物語として説得力を持たせることができないのではないかと指摘しました」
 --いとうせいこうさんと松波太郎さんの作品について
第150回芥川賞選評、川上弘美さん「リアルに裏打ちされた幻想」 (産経14・01・16付け)


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2014年1月19日 (日)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(3)東北の攻防

「夫れ兵は拙速を貴ぶ、と叱責されたとか?」
 長く伸びた隊列の先頭を見つめる広成に脇の将が問いかける。
 北上川の急流を渡り切った部隊からの先陣二千名は既に前方の林に入り込んでいた。
「坂東の安危この一戦にあり、将軍宜しくこれを勉むべし、と勅旨を受けた時は喜色満面だったがな」仁成は答えて更に続ける。
「いつまでも五万の兵を岸に留めて己は多賀で遊び惚けていては当然よ」
「で、仁成様の出番に?」
 抜身の蕨手刀を持て余しながら浮軍の長・道嶋御盾が納得したように言う。知り尽くしているがここは仁成を立てている。
「道嶋殿は山手の賊の村を焼き尽くしながら行かれよ」
 副将軍の一人として入間広成は先陣を率いている。大将軍と都人達は多賀城から動かない。天皇からの叱責を受けようやく四千の先陣を渡河させ蝦夷の集落を焼き絶滅させる事になった。
「五百継どの広成様の守りを任せるぞ」渡河の先陣をきった大友五百継に一言残し御盾は行く。
「あれも道嶋一族よ、やがては陸奥の一角を仕切り、外位も受ける身だ、やる気満々よ」
「女子供も焼き尽くし蝦夷には戻れまい、ならば、命がけで戦い身を立てる」五百継は言い切る。
 入間郡内四郷、一合平均三里、一里五十戸。一軒から男一人、六百の兵が直属の部下である。大切な働き手が無ければ今年の収穫が心配だが蝦夷征伐は国家事業だ。報奨も多いはずである。
 昇る朝日に向かい隊列が進む。やがて山手の各処から煙が上がる。虐殺と略奪が始まった。
「[何事だっ」はるか先頭で喚声がする。間もなく、伝令が駆けてくる。
「敵は約千余り進めません」
「丈部善理さまが討たれました」
「会津壮麻呂さまが苦戦しています」前線で戦いの火ぶたがきられた。
「とまれ止まれ、岩の裏に馬を隠せ。ここで迎え撃つぞ散れ」アザマロが叫ぶ。「頼むぞイサシコ、命を惜しめよ」
「来たな、犬ども、阿弖流為様の謀に嵌るぞ、一人残らず生きて返すな」森の奥で官軍の隊列を待伏せるイサシコ。
 先ず、八百が先頭から挑む。続いて二百が伸び切った途中を切り裂く。そして後方から三百の追い討ち。
 包み込まれた官軍がうろたえる。毒矢を使う蝦夷。かすり傷でも痺れて戦闘力を無くす官兵たち。
「まるまれ、まるまれ、仁成様を囲むのだ。なんとしても仁成様を討たすな」
 絶叫する五百継。浮足立つ官軍。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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2014年1月18日 (土)

第150回直木賞・浅田次郎氏の講評 (下)(産経新聞)

 --他の作品について
 「受賞2作に次いだのは伊東潤さん(『王になろうとした男』)でした。ずっと候補になっていますが、以前候補になった作品に比べて、この作品が特別にすぐれたものではないという意見が大勢を占めました。私自身は、この作品でも歴代の直木賞受賞作のレベルには達しているだろうと判断したのですが、いかんせん受賞2作が傑出していましたので、相対的に評価すると、諦めざるを得ないという結果でした」
 「千早茜さん(『あとかた』)は才能のある方で、文章が上手で読みやすい。しかし読み終わった後で、印象が残らないという評価でした」
 「万城目学さん(『とっぴんぱらりの風太郎』)はおそらく初めての週刊誌の連載ということで距離を測りかねたのか、必要以上に長くなるなど、バランスが悪かった。ただ万城目さんにとっては、ご自分の中で大きな作品ではないか。この後何を書かれるのか、注目されるところです」
 「柚木麻子さん(『伊藤くんAtoE』)に関しましては…。理解を超えているというか、世代の違いというか。どれほど世代が離れていても、理解はしなければと思い好意的には読みましたが、小説と言うより世相のルポを書いているような感じで、評価は得られませんでした」(産経2014.1.16付け)

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2014年1月17日 (金)

第150回直木賞・浅田次郎氏の講評 (上)(産経新聞より)

  第150回直木賞は、朝井まかてさん(54)の『恋歌』と姫野カオルコさん(55)の『昭和の犬』の2作に決まった。選考委員の浅田次郎さん(62)が選考の経緯について説明した。「票を開けてみると、『恋歌』と『昭和の犬』(の得点)が抜けていた。そこから討議が進みましたが、この2作の点が高く、しかも拮抗(きっこう)していたので、2作受賞に決定いたしました。2作ともに甲乙つけ難く、いずれも十分に直木賞の水準に達していると思います」
 「姫野さんは今回が5回目の候補ですが、たいへん個性が強く、そのたびに賛否両論が分かれる作家です。最も重要なのはオリジナリティーだったと思います。これだけ出版点数が増え、同じような小説が受け入れられやすい市場の中で、姫野さんはデビュー以来、ご自分の世界というものを真っすぐ書いていた孤高の作家です。今日、小説がまま影響されやすいコミックやゲーム、映像といったものとは全く別次元にある、小説の世界に根を張った小説であると感じました。
浅田次郎さん「賞がねじふせられた」(産経2014.1.1付け)
 「朝井さんはずいぶん時代小説をお書きになっている。私も幕末ものを書くが、幕末の水戸というのは時代小説作家にとってかなりアンタッチャブルな世界。明治に至るまで内ゲバが繰り広げられ、殺戮(さつりく)が繰り返された。そのため水戸藩は尊皇攘夷のリーダーであり明治維新の火付け役でありながら、明治時代には元勲が1人も出ていない。それは、みんな死んでしまったから。だから、これを小説にするというのはすごく難しい。それをテーマにしたというので、大丈夫かな、これを書ききったら大物だぞと思ったら、見事に書ききった」
 「姫野さんの方が、若干上でした。ただ、かなりの僅差。ご両者とも最初の得点上は、まったく×がついていなかった。そのほかの作品は、相当水があきました」
 「直木賞というのはその作品を評価するのが一番ではあるが、選考委員としては直木賞作家というタイトル(を与えること)に対し責任を持たなければならない。(候補者には)この先にも代表作があるかも、という心理は確かに働く。その意味で、初候補の場合『もう1作待ちたい』という意見が出ることはあるが、今回は出なかった。かなり珍しいケースだと思います」
--姫野さんの個性とは
 「今日の文学の常識で言うならば、支離滅裂。文章にある基準を置くならば、それをそれている。内容的にも、いわゆる小説の骨法というものから少しずれている。つぎはぎだらけに見えるけれど、一歩下がってみると、とても美しいパッチワークになっている。なんでこんな表現ができるんだろうと、驚きながら読み進めた。そしてラストシーンでは、心から感動しました。犬の散歩の途中で、ふと見上げたらそこに青空があった。その青空のような感じですね。つまり、常識的な論理性が当てはまらない。でも、姫野さんの小説は誰かに似てる、誰かに影響されているということも感じない。どのジャンルに分けることもできない。そのオリジナリティーは何者にも勝る」

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2014年1月16日 (木)

文芸同人誌「胡壷・KOKO」12号(福岡県)

【「渓と釣を巡る短編Ⅵ」桑村勝士】
 渓流釣りを趣味にする「ぼく」の仕事と生活を描く。釣りの話となると、いろいろな土地の釣り場を巡る話のスタイルができているが、定住者が地域の釣り場を、季節や生活事情を挟んで描いたものは、珍しい。それぞれ面白く読める。連載の始めには、新鮮な緊張感があったが、それが回を重ねるうちに、余裕がでてきて円熟しているのが、連載過程の変化で納得できる。渓流の場面は、現場の雰囲気が良く出ていて、読みどころになっている。
 「山桜」と「神楽、ふたたび春」の2編だが、後者の方で、職場の元同僚が「ぼく」と同じ場所の獲物を狙っている姿を描き、その後に声をかけずに去る。釣りという遊びのディレッタンティズムの本質が孤独な自己完結型のものであることを示して良い味になっている。
【「終(つい)の場所」樋脇由利子】
 夫を亡くし、子供もいない貴絵は、還暦を迎え、故郷の亡き父の家に戻って住む。育った土地ではあるが、昔馴染みも老いて、故郷は見知らぬ世界となっている。ありふれた状況といえば、そうであるが、陰翳礼讃の感覚による筆の運びが、日本人特有の人生観を投影していて、それを納得できる人生のあり方として説得されてしまう。今はニーチェ哲学的な人生観が流行っていて、毎日が祝祭日として過ごすことを良しとし、輝く人生を礼賛している。明日こそ、前向きにドラマチックに、ワグナーの曲のように生きるーー。しかし、貴絵のような境遇の描き方は、ニーチェ思想に向けて、そうはいかないこと示して見せているように思える。ごくささやかな小さな感情の起伏のなかに、全人生が存在している。
紹介者「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

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2014年1月15日 (水)

「新同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏 「三田文學」冬季号(2014.02発行)

《今号で取り上げられた作品》
奥田寿子「女ともだち」(「あるかいど」50号、大阪市阿倍野区)/夏当紀子「しゃぼん玉みたいに」(「飢餓祭」38号、神戸市灘区)/神盛敬一「森林鉄路」(同上)/山脇一利「アルムへ」(「じゅん文学」77号、名古屋市緑区)/渡辺泰子「掟」(「とぽす」54号、大阪府茨木市)/今野奈津子「色にさわる」(同上)/中村徳昭「おとなりさん」(「30」6号、東京都江東区)/石田出「水風呂」(同上)/角田真由美「エンプティ・ネスト」(「詩と眞實」771号、熊本市南区)/野坂喜美「果て太鼓」(「米子文学」64号、鳥取県境港市)/塩見佐恵子「桜の設計図」(同上)/岩崎芳生「来訪者」(「燔」20号、静岡県焼津市)/加賀野遼「冬の陽光」(「渤海」66号、富山県富山市)/有森信二「海神」(「海」77号、福岡県太宰府市)/山之内朗子「わが身よにふる」(「まくた」281号、横浜市戸塚区)/塚越淑行「白濁のマリア」(同上)/寺岡洋子「五月の嵐」(「AMAZON」460号、兵庫県尼崎市)/遠野明子「母の村・アラベスク」(「時空」39号、横浜市金沢区)/飛田一歩「転職」(「湧水」55号、東京都豊島区)/天見三郎「他人の町」(「黄色い潜水艦」58号、奈良県奈良市)/島田勢津子「泣く男」(同上)/伊藤章一「海をみつめて」(「作品・T」21号、大阪府吹田市)/九間一秋「惜別」(「現実と文学」47号、福岡市早良区)/藤民央「当世高齢者気質」(「原色派」67号、鹿児島県鹿児島市)/倉永洋「シシャ達と向かい合う日」(「雪渓文学」66号、大阪市住吉区)
●ベスト3
伊藤氏:奥田寿子「女ともだち」(「あるかいど」)/飛田一歩「転職」(「湧水」)/夏当紀子「しゃぼん玉みたいに」(「飢餓祭」)
勝又氏:奥田寿子「女ともだち」/夏当紀子「しゃぼん玉みたいに」/天見三郎「他人の町」(「黄色い潜水艦」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年1月14日 (火)

外狩雅巳・歴史小説「大地の記憶」(2)解説編その時代背景

~作者の解説~
 私は仙台市で少年期を過ごしました。郊外の西多賀と言う場所です。市域を挟み多賀城の手前、東京寄りです。民家と畑が点在する丘陵地帯です。父と山菜取りの散策中に山肌の崖で土器や石器を見つけ持ち帰りました。
 教職の父は歴史に詳しいので説明してくれます。黒曜石の鏃とか縄文式土器の破片でした。大量に収集しました。こうして古代史に親しんだ事で東北の過去に興味を持ちました。多賀城跡地見学も行いました。
 地政学的にも北日本は中国大陸に接近しています。カムチャツカ半島から島伝いに北
海道に続きます。はるか有史前から文化が発達した大陸に漢や唐の巨大国家の制覇が続いています。広域な影響力がありました。
 膨張する歴代の中国王朝文化は北の果てまで広まりました。沿海州の中国文化は北海道からも来土したと思います。北海道や東北にはその名残の遺物が出土します。北からも日本文化の夜明けは有ったことでしょう。
 しかし、朝鮮半島からの流入ははるかに多く、渡来人の力が古代日本の歴史に大きな影響を与えました。
 「皇帝の柵封を受けた外臣としてこの地を治めています。西に66ヶ国を、北は海を渡り95ヶ国を征しました。東は毛人を攻め55ヶ国を征しました。こんなに大きな帝国となりました。」
これは中国の南朝に奉った上表文です。
 大和に勢力を広げ日本の覇権を獲得した古代国家の長の一人、雄略天皇からの使者が持参したものです。
 「東には山中に夷がいます。無知非礼な野蛮人で日高見国と言うのがあります。穴に住み生肉を食べ血を飲みます。親子、男女間の礼儀はなく雑魚寝します。略奪者です。でも、土地は肥え広いので武力制圧のチャンスです。」
 これは、景行天皇に臣下の竹内宿祢が東北視察報告で語った事です。日本書紀に書いてあります。
 旧縁のある朝鮮半島の百済と結託し唐の手先の新羅征伐を行いました。そして、返り討ちされました。
 六六三年の事です。敗戦で怯え、北九州沿岸に防壁を巡らせ守りに入りました。北を攻め取る事に変更しました。
 この大和の東北侵略をもとにしたお話が現在進行中の「北の大地の記憶」です。数回の連続とします。
 時々、資料による説明を挟みながら進行してゆきます。
■参考≪外狩雅巳のひろば

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2014年1月12日 (日)

自己表現の自立性と鑑賞者

 先日、絵を描いている友人が珍しく展覧会に出品するというので、銀座まで行った。≪参照:文芸同志会のひろば≫。会では今後、自主的な印刷物を増やすつもりなので、表紙用に絵が欲しくて、頼んでいたところだ。最初は買ってもいいと、言ったところ売りたくないという。そこで、借りるということで、了解がとれた。面白く思ったのが、絵が抽象画であるせいか、あまり見せたくもない、という。
 彼の場合は、描いた世界に理解者がいなくても、自分の筆を動かす過程を自らが味わうということに、満足しているようなのだ。表現が自己探求になっている。
 画は誰にでもいつでも描けるというとろは、文章に似ている。スポーツのマラソン誰でも走れるル。まず掛け軸なのか、額縁に入れるのか、こうした決まりを意識して、そこから創作の姿勢が決まってくる。しかしマラソンが早く走るには、誰でもいつでもというわけにはいかない。しかし、人に知られず走ることだけに意義を見出すことができるのは絵に似ている。文章はどうなのか、今度もまた彼と飲んだ時は、その辺を聞いてみようと思う。

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2014年1月11日 (土)

文芸同人誌「季刊遠近」51号(東京)

 本号は「50号記念会」速報がありカラー写真付きである。河村陽子「50号記念講演会に出席して」によると80人ほどの盛大なものであったらしい。勝又浩氏の講演風景や「全作家」会長の豊田一郎氏、「群系」の主催者などのスナップもある。本誌については、自分が「文芸研究月報」を発行していた時に、読者の要望で、同人になりたいので現状を教えて欲しいという要望が一番多い同人誌であった。当時は雑誌「文学界」の同人雑誌評があって、そこで同人誌の優秀作が取り上げられても、連絡所を記していない。そこでよく取りあげられた「季刊遠近」の評伴が良い雑誌という印象を与えていたのであろう。読者の要望に応えて、本誌の合評会に参加取材したころがある。読者は合評会に参加できない人だったので入会できなかったようだ。
 その頃の「サンゾー書評」は、大手出版社の書店流通の小説についての評で、同人誌につての言及はなかった。自分の「月報」では書店販売の小説情報は新聞・雑誌の大手メディアで十分なので、同人誌については、これぞと思うものを選んで、お金を払って収集していた。「季刊遠近」では他の同人誌が沢山くるという。もったいないですね、と言った記憶がある。その後、気づいてみると、同人雑誌評専門に変わっていた。おそらくその方が、手ごたえがあって、雑誌も文芸同人誌仲間から読まれるようになったのであろう、と推測する。
【「群青色の招待状『風の家の人々』第二部」安原昌原】
 宮澤義雄という人の家系をたどった前作のⅡである。日露戦争でロシアから戦艦を拿捕したか、沈船したものを日本の戦艦に使かうという、合理的なことをしていたことがわかり驚く。戦艦や駆逐艦の名称も面白く。どんどん読んでしまった。貴重な資料でもある。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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国会図書館が公共図書館にデジタル資料を配信

 歴史物などを書くときに、資料を参照するが、その置き場所に困る。また稀少な資料は図書館に頼むしかないが、地域の図書館は流行作家ものを重視し、閲覧者が少ないものは、「ご自由にお持ちください」で、処分してしまう。困ったものだ。国立国会図書館(NDL)は1月21日、公共図書館や大学図書館等へのデジタル化資料の送信を開始する。これまでNDLでしか見られなかった資料の一部を、公共図書館等の端末で一般利用者が閲覧できるようになる。送信資料は、絶版などの理由により市場で入手困難な131万点。内訳は図書50万点、古典籍2万点、雑誌67万点(商業誌は除く)、博士論文12万点。送信対象図書館は3600館以上あるが、まずは申請があった約90館でスタートする(※)。資料の全リストはNDLのホームページで公開している。※各図書館の実際のサービス開始日は、それぞれで異なるという。


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2014年1月10日 (金)

「物語」への試みの現状

 外狩雅巳の小説「大地の」を本欄の物語のカテゴリーで掲載することになった。ここでの特徴は、作品発表に編集者が関与するということである。今回も作者のつけたタイトルは「北の大地の記憶」であった。それを短くした。ネットサイトであるため、誰がどうしたかということを強調した方が良い。作者名を前に出すため題名は短くしたのである。また、解説も編集者がつけた。そして、作者が最終的には、本にして出版したい、というので、出来るだけ縦書きを前提にした表記にした。
 本にする場合は、「北の大地の記憶」でも何でも良いと思う。
 作家の大沢在昌は、著作権管理のために京極夏彦; 宮部みゆきの三人で大沢オフィスという事務所をもっている。彼はこういう考えを述べている。「電子書籍で自分で本を書けば出版社を通さずに、自分で作家業に入れれると、理論的には思うだろうが、そういうものではない。売れる本、良い本を作るには編集担当者の存在が欠かせない」と。しかも、優秀な編集者が東野圭吾のところばかりに行くときくと嫉妬したくなるーーとも。
 そうした役割を自分はしてみたい。そういう気持ちもあるので、この物語を再開したのである。物語の(注)は、編集者がつけたが、作者はあとで注をつけるつもりだったという。だが、それは紙の本になった時の感覚で、ネットでは、すぐでないといけないと考えたのである。

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2014年1月 9日 (木)

外狩雅巳・連載歴史小説「大地の記憶」(1)まつろわぬ東北の民

 若い男が川面をみつめている。「どこから流れてくるのだ。」
 後ろの年長者は荒縄で縛った現地民を伴っている。
「湧いてくるのだ、地の底から。」
 縛られた半裸の男が訛りの強い言葉で呟く。捕らわれ引き立てられる途中か。俯いて呟く。
「またか、お前か。思慮するとこいつが答える。今は物見中だ。向こう岸に気配はないのか。」短甲で武装した年長の男が叱咤する。
 若い男も剣を持っている。対岸は静まり返っているが、何故か捕らわれの原住民は一所を一瞥すると微かに笑みを浮かべ又俯いた。
―― その河の名は ――
 はるかに壁のように連なる奥羽山脈が雪を頂いて朝日を反射している。その雪解け水で溢れた奔流が大地を切り離している。
 岸に並ぶ大和の軍勢は渡河の用意を開始する。その数は、五万二千八百。紀朝臣古佐美征東将軍は帝の忠臣として知られる猛将だ。
 参議左大弁正四位下兼春宮太夫中衛中将としてまつりごとの一端に連なる高官だ。大和朝廷が総力を挙げて蝦夷討伐を開始した。
 まつろわぬ東北の民、日本武尊以来幾度も討伐を受けている。関東から東海地方までは北の民が暮らし、大和から半独立していたのだ。
「しびれを切らし、出て来たな、裏切り者達め。」
 渡河を始めた大和の軍勢を睨む髭に覆われた大男は木陰で仲間達に合図する。
 馬筏を組み奔流を押し渡る坂東軍勢は四千。はるか昔、大和に服従した蝦夷たち。大和の貴族たちの持つ牧で馬の飼育をさせられている。
 更には徒歩立ちの兵士千人も続く。髭に覆われた蝦夷である。多賀城に属する降伏した蝦夷軍は族長・道嶋御盾に率いられている。
 「やはりゆくのか、お前に死なれては困る。」
 岸からの知らせで林の中に二百の兵を揃えて出陣用意にかかる初老の男に若者が肥を掛ける。
「伊佐西古、なぜお前は死に急ぐのだ。」岸で偵察していた若い大男の蝦夷は首領としての貫録を備えて初老の大和化した男を止める。
「囮になるには格好の我らだ、岩代より俺についてきた者共も大和に弓引いて死ねる時をじっと待っていたのだ。」馬上の老将は微笑む。
「伊治砦麻呂、お前様は全ての蝦夷の希望の星だ、この戦を始めたのもお前様だ、見届けるのだ北の民の行く末を…、頼んだぞ!」
 急流にさらわれた者もいるが、さすが坂東武者達、見事な馬あしらいでこちら岸に辿り着いた。隊伍を整え森を進み始める。
「イサシコを憎む官軍の気持ちも良く分かるが、俺にはお前の死は心底辛いのだ、心を許しあえたお前だ。」呼びかける若者。
「くどい、アザマロ。俺の死に様をよく見てくれ。」
 服従し蘇我氏の部の民としての名を受け取り苦渋の日からの脱出がこの死である。

(注)まつろう=1、 相手に付き従う。「順応(じゅんのう)/帰順・恭順」2、人に逆らわない―という意味があることから、まつろわぬは素直に従わないという意。
(注)イサシコ=エミシ(蝦夷)の長の名
■参考≪外狩雅巳のひろば

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2014年1月 7日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」2013年12月26日朝刊長野秀樹氏

題「市井の息遣い」
山人海人さん「路地裏のワルツ 香具師(やし)・安次郎」(第7期「九州文学」24号、福岡県中間市)、あびる諒さん「清胆丸(せいたんがん)」(「詩と真実」774号、熊本市)
「九州文学」より佐々木信子さん「棲息図」・後藤克之さん「モッテコーイ」、古岡孝信さん「結婚請負人」(「『二十一』せいき」23号、大分市)、新名規明さん「芥川龍之介の長崎」(「Garance」21号、福岡市)
今年メーンで取り上げた作品は「詩と真実」から3作品。2作品は「照葉樹」(福岡市)、「南風」(同)、「火山地帯」(鹿児島県鹿屋市)。その他は1作品。
今年の特徴として単行本を7冊取り上げている。中で最も印象に残ったのは西田宣子さん『チョウチンアンコウの宿命』(梓書院)。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2014年1月 6日 (月)

北一郎と外狩雅巳の対峙バージョンⅡ開始

~ 多くの人が、「テクストをめぐるテクスト」を読んでから、そこで対象とされていた当の書物におもむろに目を向ける――あるいは向けずにおく――という文学的な「倒錯」を、ごく自然な事態であるかのように社会に定着させたことにある。~~と、雑誌「群像」新年号に掲載の蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論にある。
 たしかに主たる興味は作品に書かれたテクストであるにしても、テクストを読むテクストを書けば、作品が読まれる可能性があるということでもある。それには書き手がだれかにもよるのだが……。そこへ、会員の外狩雅巳氏が、つぎのような投稿をしてきた。
【外狩雅巳氏の投稿】=「外狩雅巳世界ガイド」への解説文等への追加説明的な意見の二回目が日曜日に掲載されています。
 ここには北一郎氏の作品観と時代観を総括的に評する態度への説明が詳しく書かれている。
 同人誌に集まる人々の意向も的を得た理解を書いている。私の同人会内での観察と同じです。書きたいから書くのです。掲載費を負担しても発表したいのです。読んでもらいたいのです。しかし、同人全員が同じ考えなので、読んでもらいたい人だけの集まりになってしまいます。なので、多くの感想は書く立場からの感想になります。作品としてどこが上手いかです。
 物語の作り方。泣かせ方。同感を誘う技。と、文章技術やテーマへの同感・反論になります。仲間目線なので  自分の文章力との比較で優劣を考えます。そして、創作熱意を讃えます。
 文學一般での位置づけ・主題の時代との拮抗・創意工夫・文体などには感想が及びません。同感と感動で世に出しても耐えられる作品だなどとほめあげることもあり会合は盛り上がります。すこしまともな評価が欲しければ同人誌評者に送付します。「文学街」などで取り上げて欲しいのです。
 一般の文芸賞受賞者とは少し違います。が、職業作家に負けない作品だとの自負はあるのです。
 「文芸思潮」に応募します。芥川賞に匹敵する作家・作品を輩出するのだとの宣伝文句に惹かれます。大方の仲間は同人誌掲載で満足します。仲間の合評で満足します。少数者は応募します。文芸思潮」で入選すれば全国区で勝ったようなものです。地方文学賞入選も勲章です。同人雑誌の人々とその世界。私はそこに何十年も浸り続けました。そして年老いました。
 北一郎氏が斬新な切り口で解説したので作者も驚いています。こんなのありか!と感じました。三回・四回と進み、説得力がある論になれば作者と読者が納得するのでが、さてどうかな。
 だいぶん冷静な論になってきています。北一郎氏の力を観察したいと思っています。
                ☆
~~とにかく疑問を感じさせるものの、北一郎が書けば、なんとか会員支援になるらしいことはわかった。そこで彼の「28歳の頃」を評論することにしました。結果は、どうなるかはわからないが、やってみようと思う。つまるところプロレタリア文学はすでになく、その創作手法がまだ生きている、というだけのことなのだが、その趣旨がうまく伝わるかどうかである。テクスト論にすればなんとかまとめられると思うのだが…。実際は書いてみないとわからないところがある。≪参照:「詩人回廊」評論「28歳の頃」 ≫

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2014年1月 5日 (日)

2013年度「推薦同人誌作家」第3位は堀井清さん

 この欄で推薦作家第三位は、「文芸中部」(〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会)所属の堀井清さんにしました。作風はポスト実存主義の専門店のようなもの。日常生活をちょっと見直して見たいと思ったら、「文芸中部」を読みましょう。内面を深く語らず、形成した人間関係でその存在の実相をまろやかに表現する。おそらく音楽に親しむことによる多彩さと美学が反映されているのでしょう。とくに、時系列順話法でありながら、そこにバリエーションが入るところが、すごいといえばすごい。
 同誌93号のエッセイで、若いころに「書くことがないものだけが方法に走る」と教えがあったと書いている。
 実際、若い人気作家の西尾維新は、次のようなことをしている。
「りぽぐら!」西尾維新(定価945円・講談社)があります。リポグラム[英lipogram](名詞)特定の語、または特定の文字を使わないという制約のもとに書かれた作品。
 ルール(LV.1)
 (1) 最初に短編小説を制限なく執筆。
 (2) 五十音46字から、任意の6字を選択。
 (3) 残った40字を、くじ引きで10字ずつ、4グループに分ける。
 (4) その10字を使用しないで、(1)の短編小説をグループごと4パターン、執筆 する!
 (5) 濁音・半濁音・拗音・促音は、基本の音と同じ扱い。音引きはその際の母音とする。
 (6) (2)の6字は、どのパターンでも使用可。
 言葉の持つ無限の可能性に挑んだ意欲作。3編5通り――計15編の小説世界。

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2014年1月 4日 (土)

年賀メッセージ: 西尾維新さん

 西尾維新です。
 あけましておめでとうございます。お蔭さまで物語シリーズセカンドシーズンのアニメ―ションも、好評のうちに終了いたしました。と言っても、本年中に放映予定の『花物語』に向けたカウントダウンは既に始まっている模様ですが、それでも待ちきれないという皆様にお勧めしたいのが、今月末に発売される『終物語』の中巻でございます。『花物語』の主役である神原駿河が大活躍の一冊です。作者にも制御できない大活躍でした。困ったものです。アニメでとても可愛く描かれていた斧乃木ちゃんも かなり働いてくれてます。よければぜひ。気持ちとしては、『花物語』が公開される前に、『終物語』の下巻まで発表してしまいたいんですけれども、どうなんでしょう。時系列的には期せずしてぴったりくる感じ?
 なんにしても今年も色々チャレンジさせてもらえそうで 何よりです。それでは、本年も西尾維新をよろしくお願いします。(西尾維新)講談社『BOOK倶楽部メール』 2014年1月1日号より

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2014年1月 3日 (金)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(6)

 豊田一郎「屋根裏の鼠」(詩人回廊)は、国民はどの国家に所属するかを選べないと書いている。それを「屋根裏の鼠」という境遇の例えにしている。国家は線引きした領土である。それだけのことで、領域内の生活者を国民とし、税金や制度を強制する。それを社会に還元するという。強制する側とされる側に奇妙な歪みが生じる。国家に雇われた自称公僕は、国民としての日常性をはく奪し、生ける人形にする仕事に励む。その典型が軍隊である。集団で、腕を曲げ手を平らに額に付ける。脚を高く上げて歩く。これが国家(すていつ)の形である。日常で、独りでこの形をして街中を歩いたらば、変り者か精神変調者に見える。
 そこから、ある状況においては、国民(ねいしょん)を統治する者とその命令を実行する者は、国家(ステイツ)となり、その使命感によってどこかに変調をきたす。しかし、その場合において、国民はそれを受け入れることが多い。この関係を作者は「屋根裏の鼠」と考えるところが文学的な表現ということになる。

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2014年1月 2日 (木)

2013年度「推薦同人誌作家」第二位は和泉真矢子さん

 この欄での推薦作家第二位は、「メタセコイヤ」(〒546-0033大阪市東住吉区南田辺Ⅱ-5-1、多田方、メタセコイヤの会)所属の和泉真矢子さんにしました。同人誌「メタセコイヤ」を初めて知り、まだ紹介記事を書いていません。10号「微かな音」で和泉さんのものを読みました。物語には幾つかの伏線が張られており、しかもありふれた素材のホラーに仕上げた創作精神に注目しました。同時に同人誌作家特有の傾向も残しており、この作品は出来の良くない方ではないか、と判断しました。そう考えると、作品の前段で千枝子と母親の葛藤のところで、母親がつっかけを千枝子に向かって投げつけて怒るところの、説明と行為描写を同時にして話の進行の効率を上げる技は、語り部としての天性の素質とみて、期待しました。中ごろの曖昧さと定石的描写の微妙なところも、ここでは効果をだしているのは、意図的か偶発的か不明ですが、語り部の勘の良さであろうと判断しました。この話の薄気味悪さは、登場人物の関係のあり方の表現力からくるもので、それをべたに通俗で大衆性のある霊と結びつけたところは、非文学時代の中に切り込む道具として、最後の抵抗になるのではないか、と期待します。企画を達成させる腕力もある。
  その他、「石榴」の木戸博子さんも考えましたが、すでに新聞で文芸エッセイを書かれているようなので、パスです。

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2014年1月 1日 (水)

2013年度「推薦同人誌作家」第一位は、坂本順子さん

 この欄では、多くの同人誌が経費を顧みずに送られてきました。おかげで、日本人の文章による自己表現層の厚さを、身をもって体験できています。ですが、とてもではないが、読み切れず、申し訳ありません。
 そこで、新春にあたり、このサイト「文芸同志会」のモットーをここであらためて認知していただくことにしました。当会は、文学における「素人のから玄人の領域へ」というもので、文学フリマとネットで情報発信をしてきました。運営者である伊藤昭一は率先してその課題に取り組み、53歳で会社を辞め親の介護に取り組みながら、コピーライター、作家、ジャーナリスト活動をしてきました。その視点から、作品紹介をしてきたなかで、当会の主旨に合致した同人誌作家を推薦いたします。
 その第一番に文芸誌「なんじゃもんじゃ」(〒286-0201千葉県富里市日吉台5-34-2、小川和彦代表)所属の坂本順子さんを推薦します。坂本さんは、同誌に「連作・S町コーヒー店」をこれまで、15回にわたり発表しております。舞台を珈琲店という制限を自ら与え、限られた枚数できちんと書きこなす。テーマは市井の人情。こうした企画力と、一定の水準をもって書きこなす筋力は、もう玄人の領域です。地域のタウン誌や新聞の編集者の方々にも推薦いたします。創る能力と、話法。文化的大衆性。ムラがあっても水準を維持する、これが決め手です。要するに「知られざる読者層」が意識できているということでしょう。
 じつは、同人誌「奏」の勝呂奏さんを考えていました。ところが、新聞記事で静岡県で大学の先生をされ、研究書を刊行していることを知り、びっくり。すでに玄人でした。
 つぎに第二番は、どれかを考え発表しますが、坂本さんやそうした方々も、しかるべき作家でしたら、どうしましょう、ですね。それほど作者に関する情報をもっていません。
詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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