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2013年12月21日 (土)

なぜ北一郎は、外狩雅巳作品と対峙するのか(2)

 小説をテクストとして読んで評論をするというのは、おおよそ多くの人に読まれた古典や、常に話題となる人気作家など、柱となる作品に沿って行うことが普通である。
 それにくらべ自費出版した小説の評論となると、作品を読者が読んでいないことを前提にしなければならない。これをやるには技術が必要だろう。やる人もすくないであろう。そう思うとライター精神が動いた。おおよそフリーライターなどは基本的に何でも、読み物にしてしまうものだ。
 しかも、外狩作品は創作者としての思想らしきものがあるのと、小説の素材の使い方と語り口にセンスがある。料理でいえば、玉ねぎのような刺激性をそなえたどうにでも料理できる良い素材であった。さらに栄養もあって、頭の体操にもなる。きちんと作品を読めば、何かを学べるものがある。≪参照;外狩雅巳のひろば
 しかし、同人雑誌仲間は義理で読むので、本心からの評論などはないはず、と北は考えた。他人の作品など、どうでもよいのである。そこで関心を呼ぶためには作品はテクストとして参照する形式にした。幸いに外狩作品は短編集なので、その作品をまず収録したものに、評論をつけ解説がわりにすることが可能であった。そこから「外狩雅巳の世界ガイド2013」とし、年度ごとにその成果をまとめられるようにした。幾度も繰り返して情報発信し、イメージ定着させるためのフォーム。読者が、自然にそれを読むようになることと継続性への設計の苦心がいる。
 内容ではまず「文芸同人誌作家・外狩雅巳の作品的な悲劇」という文体論を書いた。西尾維新という若者に人気のある流行作家の文体を引き合いに出した。第一回文学フリマに参加していたが、プロなので量産をしている。当時は若いために人生に蓄積がなかった。それで沢山書くから内容がない。内容がないのに、どう読ますか。文章のノリと文体力で勝負するしかない。そこで、行き詰まらないような構えをとって、書き続けるための文体を開発している。語り部の文章技術である。これは、あまり理解されなかったようだ。外狩氏が西尾維新を知らないという。これは北の失策であった。ただ、これを読んだ他の会員からは、西尾維新を読んでいるなんて、どういう考えだとそうした関心が持てるのか聞かれた。昔から作家は、内容がなくても読ませる工夫をするものなので、現代ではどのような文体でそれをしているか、なんでも一応、目を通しているだけのことだ。どうも同人誌のひとは文体に興味がないらしいことがわかった。

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