外狩氏が文芸多様化の時代の交流をはかる
外狩雅巳氏は、文芸同人サークルの横のつながりをもっている。そこで同人誌の枠を超えた文芸交流会の世話役を行ってきたようだ。12月4日の日に町田市内で第5回「文芸交流会」を行った。≪参照:外狩雅巳のひろば≫
合評会などでは、作品の感想を述べるだけに時間がとられてしまう。自由に関心のあることについて話し合える機会を皆が求めていて、その機会を外狩氏が作ったことがわかる。前回に続き文芸同志会の代表として参加してきた。増補新刊「外狩雅巳の世界ガイド」が出来たこともあり、そこに北一郎名義で『小説「この路地抜けられます」の読み方』を執筆しているので、その解説も行った。
なかで、この評論は、外狩作品の「ヨイショ」であるという受け取り方もあって、それはそのようにも受けと入れるのは仕方がない。なにしろ彼に依頼されてのことだからである。また会員であるからやっているので、だれにでもやるわけではない。
しかし、本筋は作品が書かれるような現代の時代動向を、作品と照らし合わせて、読み取ろうというもので、それは普通の読者の視点でもあるはずである。基本はそんなに褒めてもいなければ、貶してもいない。出来不出来は、作者の問題であって、評論する詩人としての北の問題ではない。このような作品が生まれる現代の社会の見方について一定の視点があることが理解されるといいなーーというものである。
ヘーゲルは人間精神の本質を、精神は新たな経験を積むことで、意識がより高次な世界観を獲得していく。新たな経験は自分と世界との関係を混乱させるが、意識はそれに新しい統一的な世界像を作り上げようとする。精神は「価値ある私でありたい」という自我の欲望をもっており、同時に自分をそうしたものとして他者か承認してもらいたいという「承認への欲望」を持っているーーとしている。
取り敢えず、この承認への欲望を実現し、それから次の作品にかかれば良いとおもうのだが……。
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