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2013年12月15日 (日)

なぜ北一郎は、外狩雅巳作品と対峙するのか(1)

 外狩雅巳氏に私が文芸同志会に入会したらいいですよ、と誘った時、彼はすでに短編集「十坪のるつぼ」と「この路地抜けられます」の単行本を刊行している作家であった。
 北は、彼の作家的な手腕を理解して、文学者として社会的なメッセージを発信してもらえると思っていたのだ。ところが当初は、どうもお互いに話がチグハグでかみ合わない。それは、北が顔の見えない市民たちに、メッセージジを発信することで、外狩雅巳の作家的存在感の確立を読みこんでいたのに対し、外狩氏は、顔の見える文芸同人誌の世界での存在位置の確立を目指しているからだったとわかったのである。その経緯は≪外狩雅巳のひろば≫に詳しい。
 北は、外狩氏の提供する情報で、その事情がなんとなくわかってきた。その後の情報交換で外狩氏は、合評会などで作品への反響がなく「短い作品評のみでもなかなか意見をおもらえないのが同人誌作家の現状」という。
 そこで北は、まず外狩作品を顔の見えない一般市民に近い読者層への拡大で文学フリマに参加すること、その作品評論を北一郎が執筆してその社会的な意味を浮き彫りにする、ということで、意見が一致した。
  ただし、北一郎は職業ライターであるから、内容にそれなりに独自のノウハウを展開するので文芸同志会に謝礼寄金をしてもらうことで、話がついた。当然、この活動によって、外狩雅巳の作品の読者が増えることが目的である。
  そうするからには批評は批評としての客観性と独立性をもたなければならない。作者が北の批評に不満があれば、その反論をしてもらい、北はそれに回答をしてゆくことにしたのである。そのことによって、顔の見える同人誌作家仲間と、顔の見えない一般人市民読者との反応がどう違うかが解れば、それは北と外狩の両者にとって、意義ある収穫であると考えるのだ。

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