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2013年12月 8日 (日)

「中部ペン」第20号(名古屋市)

【「風の訪れ」猿渡由美子】
第26回中部ペンクラブ文学賞受賞作。一読して、この作品を選んだ中部ペンクラブの現代性というか、時代性への感度の良さを感じた。一般人が読んでも面白いと思う小説のスタイルを持ち、小説としての普遍性を持っている。私は送られてくる同人誌を通りすがりの第三者の立場で読ませてもらってきたが、そのなかで今年一番の作品である。(多少、歯切れがわるく、不徹底に思うところもあるが)ー-それを強調したく、早くから読んでいたにも関わらず、年が詰まるまで待っていたのである。
 小説は、語り手がどの立ち位置で書いてるか、最大の問題である。本作品は、作者が語り手としての立ち位置をほぼ確立するであろうと、予感させる。語り手の「私」を含めて3人のキャラクターを描いているところにある。
 本賞の選者の評によると、脱力系小説として評価したとある。そのなかでこの作品の本質を物語っているのが、ガチガチの私小説作家の吉田知子氏の評である。猿渡氏の立ち位置は、想像力で自分とは無関係な人物を生み出すという、純文学私小説とは対極をなすことへの戸惑いであろう。たしかに、これは娯楽小説に限りなく接近する。だからといって、純文学がつまらない小説でないといけないということではない。そこにおいて、吉田氏は、これが純文学小説として成り立つかも知れない、ということを認めている。その柔軟性に、別の感銘を受けた。
【文学講演会「小説の現在と未来」清水良典】
 記録者である遠藤昭巳氏の書き起こしの文章が素晴らしい。清水氏は、村上春樹がアメリカ文学の影響を受けて、手法がそれの真似である、と言われて不機嫌になっている話をする。そして、現代文学が自我を持たないという位置から創作するようになった始まりを紹介している。純文学のかつての傾向に内面的な自己探求が重要なテーマであったが、それが他者との関係と結びつけて追求されているのではないか、という私の観点を裏付けているような気がした。
発行所=〒464-0067名古屋市千種区池下1-4-17、オクト王子ビル6F、中部ペンクラブ。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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