文芸同人誌「R&W」(長久手市)
【「わたしの概念の水玉」萩田蜂旭】
水玉を軸にして人間の概念を語る珍しい小説。視覚的効果も考えた手法に意欲が感じられる。
【「海底遊泳」浅倉悠】
節ごとに間隔をあけた文章で、行替えするほどでもないが、時間をかけて読ませるような独特の表現法。詩でも読む感覚になるが、物語は普通にある。これも手法に意識を傾けた作品。
【戯曲「宣言」渡辺勝彦】
ドラマは天皇が国を治め、軍部が支配する日本という設定。原発事故が起きてその処理のなかで、米国やIAEAが暗黙のうちに軍部の核武装を認めている状況にある。日本の政治の混迷と原発事故を絡み合わせて、危機意識をもったシナリオになっている。
「父帰る」などの戯曲を書いた菊池寛は、小説と戯曲のちがいについて次のように記している。
「子供が段々大きくなって行く成長の有様だとか、或る一人の女が結婚というものを挟んでの前後の心持の変遷とか、或る一人の老人が段々衰えて行く心の寂しさとか、小説は人生のあらゆる姿を書くことが出来るがしかし戯曲はそうではない。戯曲というのは人生の特別な形を書くものである。一言にしていえば、人生の劇しい所をを書いたものである。芝居を劇というが、劇という字は一体どういう意味から来ている字か知らないが、劇という字は劇(はげ)しいという字である。これは自己流の解釈であるかも知れないが、戯曲とはつまり人生において劇しい所である。」
【「経文禍」松岡博】
空海を仏教に導いた道勤(どうごん)の日誌が昨年発見されたという。その高僧の一時期を小説にしたもの。道勤は、中国にわたり修行し、終わって蘇州から長崎に着いた。しかし、玄界灘を旅するところで遭難する。海岸の洞窟で雪の寒さから逃れる。そのために経文を燃やして暖をとり、命拾いをする。経文は彼岸にわたる船であるということをきいたことがある。それにしても中国に渡っても言葉に不自由をした様子がないのは、彼が中国から渡来した人たちであったためでもあったのだろうか。
紹介者「詩人回廊」北 一郎
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