「変色効果」(東京)
今年の文学フリマで店番をしていたら、女流文芸サークル「鉄塔」の山田景子さんが、挨拶に見えた。山田さんは、4月に幕張メッセで開催した「超文学フリマ」で、運営ボランティアに参加し、前夜遅くまで机の配置をしていた。新社会人になったばかりのひとだ。日本大学芸術学部文芸学科出身の七人による女流文芸サークル。ブースに行って作品を買ってみた。若いのに「女流」という歴史的なイメージを使うのは今は洒落ているのだろうか。
【「ばかもの」古仲アラタ】
中学生時代、思春期の異性を意識した、はかなくも消える貴重な時間。云うに言われぬ時間の記憶の表現は、たしかに文芸作品である。短く終わるような表現対象を長く書きのばしても、質を落とさないセンスはいい。人生のひと時のせつなさは、「時の過ぎゆくままに」と歌にもよくある。精神の伝達力はある。注文をつけるとすれば、これで、文学的深みを付けるのが難しいということ。たとえば「車輪の下」を書いたヘルマン・ヘッセが、題は忘れたが、別の小説で、思春期の少年の家に、学校の休み中に遠くから親戚の女学生がやってきて、そこで共に楽しく遊ぶ。彼女が去ったあとで、彼は自分が恋をしたことに気付く。そして、自分がこれまでいかに物を想わぬ子供であったか、と呟くのである。精神が大人の世界に入る状況をかなり工夫して表現しているのだが、それでも「だからどうしたの」という読後感が残った。自分は、短詩にするようなものを、俗的な表現の小説にするには、不足があると思う。
【「世界のおわり、そして彗星」天野蒼】
遊園地と宇宙がこなんなに近いものとは、と思わせる面白さ。ごちゃごちゃと言葉をあやつりながら、亜空間域に想念を遊ばせてくれる面白さがある。個性的な現代詩に読める。
サークルには「鉄塔」ブログがある。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
| 固定リンク
コメント