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2013年11月30日 (土)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2013年11月01日)白川正芳氏

≪対象作品≫安嶋明(日本みらいキャピタル社長)「国を照らす神-「式年遷宮」に寄せて」(財界人文芸雑誌「ほほづゑ」78号)
「宮古島文学」9号より市原千佳子「東京から二三〇〇キロメートル南の縁辺での想い」・下地ヒロユキ「海へ! 彦造的視点のインパクト」
飯田未和「テンパリング」(「mon」3号)
「北斗」9月号・創刊600号記念号より竹中忍・尾関忠雄・清水信・棚橋鏡代・山中幸盛ら
加藤幸「十一月の晴れ間」(「全作家」91)、寺田美智子「朝焼け」(「民主文学」十月号)、村田みゆき「考える葦」(「火山地帯」175号)、竹内旋子「惑星」(「文芸静岡」83号)、永草誠「まり子」(「季刊作家」81号)、松雪彩「冬の朧月」(「木木」26号)、工藤力男「嘆きか願いか疑いか」(「成城文芸224号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年11月29日 (金)

文芸同人誌「海」88号(いなべ市)

【エッセイ「鈴木道彦先生と私」久田修】
 自分は外国語が読めないので、海外作家の名作は、翻訳に頼らざるを得ない。そうすると名翻訳者の名前だけを頼りに読書する。中野好夫、福田恒存、佐倉潤吾、田中小実昌、朝吹登水子。ここに出てくるミシェル・ウエルベックの翻訳の野崎歓氏など覚えていて忘れない。いずれも、会ったことはないが親しみを感じる人たちだ。
 鈴木道彦氏というと最近の図書館ではプルーストの棚がこの人が主流であろう。マルセル・プルースト「失われた時を求めて」の完訳者の生徒からの周辺事情となれば、文壇で注目されるのは間違いないだろう。興味のある人にはこんなに面白いエッセイはないはずだ。
【「光の来る道」遠藤昭巳】
 キリスト教の聖書を読む会で学ぶ人々の関係を描く。西欧的な発想の根源を日本でどのように根付いていくかがわかる。文学的にも不思議な味わいを持っていて、上記の作品の後に読んだせいか、なにか淀野隆三訳の「マルテの手記」を思い起こしてしまった。ただの過去の生活事情小説になるところを、宗教的な精神をからめた芸術性のあるものに高めている。どうしてそれが、出来たのか研究してみたい作品である。
【「泣くが嫌さに笑うて候」宇梶紀夫】
 作者は、かつて3・11の被災者を題材にした「赤いトマト」で第55回農民文学賞受賞している。時流をとらえて作品にする手腕は、器用といえば器用。ただ、どちらといえば娯楽小説的な面白さを追求する。本作品も建設会社の経営不振によるリストラ対策で、板挟みにあうドラマ。設定はいいが深みが不足。とくに対立した相手とともに主人公が退職してしまうのでは、つまらない。予定調和的すぎる。商業ベースのエンターテインメント的に徹し、労使間闘争にして、半沢直樹モノのように悪役、善役をはっきりさせる試みをしたらどうか、と思わせる。他人を犠牲にして生き残るしぶとさを描けば、それはそれでリアルな純文学に回帰するかもしれない。
発行所=511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年11月28日 (木)

小説や詩の起源と歴史的発展段階論史観について

 辻井喬(つじいたかし)の筆名で作家・詩人としても活躍した堤清二(つつみ・せいじ)さんが25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。86歳。
 昔、東京詩話会という詩人サロンがあった。そのサロンが解散するので、終わりの講話会をするというので、参加してみた。驚いたのは、講師が辻井喬氏であったことだ。また、その内容が、小説や詩の起源を、社会共同体における発生から考え、マルクス主義思想に代表される社会の歴史的発展段階論史観に照合させ、小野十三郎などアナーナーキスト詩人を高く評価するものであった。≪参照:辻井喬氏「詩とは何か、詩の現在性を問う」の講演
 いわゆる大きな物語とされるヘーゲルやマルクスの社会発展段階思想とは、階級闘争として現実的てあるが、人間の限界を超えようとする意志へとして、芸術と同等のロマンになっていることを、実感させられた。もう一度社会思想をやろうとするきっかけになったので忘れられない。その後、あまり納得できていないポストモダン思想と向き合うことになった。

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2013年11月27日 (水)

エンタメ小説月評・「愛、美容…女心揺さぶる」読売新聞・川村律文記者

エンタメ小説月評・「愛、美容…女心揺さぶる」読売新聞文化部・川村律文≪対照作品≫井上荒野『ほろびぬ姫』不穏な世界観 ★★★★☆感情のざらつき ★★★★満足感 ★★★★☆
藤野千夜『君のいた日々』夫婦愛 ★★★★食欲を刺激 ★★★★満足感 ★★★★
菅浩江『誰に見しょとて』美を求める欲望 ★★★★叙情性 ★★★★☆満足感 ★★★★☆
尾崎英子『小さいおじさん』
難しい年頃 ★★★★☆おじさんに会いたい? ★★★☆満足感 ★★★★
エンタメ小説月評・「愛、美容…女心揺さぶる」
(読売新聞11月25日)

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2013年11月26日 (火)

文学フリマと文芸同人誌の市場性

 文芸同人誌即売会「文学フリマ」は来年5月5日にTRCで開催されることがわかった。また、9月には「文学フリマIN大阪」も開催される。
 文学フリマ情報は、最近はその窓口が増えた。まず、公式サイトがあり、そこに「事務局通信」という外部ブログがある。さらに最近は「WEBカタログ」が出来た。もし、これが大阪でのイベントにも使えれば、市場性への条件が増えることになる。
そのなかには、朝日新聞の短歌の選者が、会場にきて、詩歌誌が売れているの目撃したと、新聞評に書いているのを報告している。文学フリマも市場性が確立しつつあるようだ。
 これまで文学フリマに参加して、当会なりにわかったことは文芸同人雑誌として並べても、あまり注意を惹かないということがある。ところが、同人雑誌に掲載した同じ作品を、独立させ作者名を出して冊子化すると、関心を引くことが多い。たとえば山川豊太郎「成人男子のための赤毛のアン」は、雑誌「砂」に掲載した時には、何の反応もなかった。また「外刈雅巳の世界ガイド2013」も個人の記録ということで、反応があった。
 また、閲覧者がそれほど多くないWEB「詩人回廊」でも「外刈雅巳の自分説話」として発表すると、閲覧者増えた。一般的に、ひとは自分の情報は知られることはリスクとして好まないが、他人のことは知りたいのである。芸能人ニュースはまさに、その覗き趣味の要素で人の関心をひくのであろう。そこをうまく活用することで、少数読者からの拡大の道があるかもしれない。

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2013年11月24日 (日)

著者メッセージ: 樋口卓治さん 『失敗屋ファーザー』

 困る。悩む。もがく。 七転八倒しながらも突っ走る。 でも、愛する娘の為なら辛くない。むしろ生き生きしてくる。 仕事も家族もとことん頑張れる。 それは亡くなった妻と繋がっていられるから。
 今回、そんな男を主人公に小説を書きました。 タイトルは『失敗屋ファーザー』。失敗屋という特別な仕事をしている細野一郎と高校生の娘・清江との父娘の 物語です。

 一郎は清江と本音で話せない。気持ちがわからない。毎日、お父さんとして一生懸命、空回りしています。
 そして、失敗屋の仕事で、壁にぶち当たり乗り越えるたび、不思議と娘との 関わり方が見えてきます。
 娘の笑顔を見るだけで有頂天になったり、うざいなんて言われるとすぐ落ち込んだり、寝顔を見るだけで元気が湧いてきたり、お父さんは単純です。
 そして、その単純さは愛でできています。いつも自分の運を全て捧げてもいいと思いながら、子供の成長を見守ってい るのだと思います。 もしかしたら、世の中のお父さんはみんな失敗屋なのかもしれない。
 いつも子供にわざと失敗をやらかして、その成長をはらはらしながら見守っ ている。それがかけがえのない親子の営みだと信じて。 (文中より)
 この小説を書き上げた時に思いました。きっと、世界中の父親は失敗を繰り返しながら、お父さんを熱演している。つまり「お父さんは最高のエンターテイメント!」なのだと。                            (樋口卓治!)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年11月15日号より)

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豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(4)

人間の歴史を科学の進歩と生活面でたどり、人類を物語化しているのが豊田一郎「屋根裏の鼠」(「詩人回廊」連載))である。人類の世界観は科学の進歩を前提にしてきた。科学の進歩は人間の夢をかなえ社会を発展させるものとして考えられてきた。
 西欧思想では、神の存在を中心に人間の歴史の筋道が立てられてきた。アダムスミスは、人間の政治経済は「神の見えざる手によって導かれている」と考えた。なぜなら、資本主義の以前から、畑を耕す代わりに、服や靴を作れば、だれかが買ってくれていた。買ってもらえるかどうかわからないのに、作れば何故か買う人が現れる。この需要と供給のバランスは、神の見えざる手が機能しているからだとした。前提に、神は人間世界を真・善・美をもって人倫とするように創世したとする。
 神によって、この世界は良きもの、美しきものになっている。西欧では、これが浸透している。この作品では、終章に「卑弥呼」という神の意志の仲介者がとりあげられている。これで私は、豊田史観の根底にはアニムズム思想があると読んだのである。小説「屋根裏の鼠」の読みどころを知るには、こうした西欧的歴史観との対照がヒントになる。このように物事を裏、表、横という多面的に解釈するのを現代思想では「脱構築」的というようだ。脱××というものの言い方は、これまでの一面的な視点とは、次元が異なる視点という意味なのである。「屋根裏の鼠」では、飛行機を墜落するものという負の側面の視点でもとらえている。
 西欧ではものを造り、道具をつくることは、身体的な不自由さ、限界を克服し、自由を得ることで、進歩であった。神はそのように人間を造ったのである。では墜落事故は何なのか。それは神の与えた試練と見る。こうして同時に神の名において自然科学の真理探究がなされた。
 コペルニクスは、教会の主張する天体が、地球を中心にして惑星が動くという説に疑問を持った。たしかに地動説でもその軌道を説明できる。しかし、それは複雑怪奇で美しくない軌道なのだ。全能の神はこんな奇妙な軌道を用いるのであろうか? 疑問が出た。そこで、太陽を中心に惑星が動くという理論で軌道を読んでみた。するとどの惑星も美しい円軌道を描いたのだ。コペルニクスは確信した。これぞ、神の造ったものだ。しかし、彼は教会に遠慮して生前はそれを世間に広めなかった。同じ発見をし、世間に発表したガリレオは、教会によって死を暗示され隠居。沈黙を強いられた。「それでも地球は動いている」と呟いて。
 神の導きと教会の関係はそういうものだった。教会は神を利用する圧力団体の機能をする。宇宙のビッグバンをとなえたホーキンス博士がバチカンに呼ばれた時に、研究は自由だが、宇宙の起源は追求してはならないと言われたそうである。―かれは、そのようにしなくて良かった、とテレビ取材に応えている。

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2013年11月22日 (金)

ダークツアーの観光地でもある「チェルノブイリ原発見学」

東浩紀氏のゲンロン社が、11月22日~28日、ツアー「チェルノブイリ原発見学と事故の記憶をたどる7日間」を実施。料金は1人33万8000円。燃油サーチャージなどの諸費用が別途かかる。旅行企画はJTBコーポレートセールス社。ツアーでは原発内の見学を実施。定員は30人に29名のご応募あったという。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』の監修者・上田洋子氏も同行サポート。 ≪参照:ゲンロンカフェ「震災後の文学」から記事

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2013年11月21日 (木)

詩の紹介 「刺身は」北条敦子    ~~  読み人・江素瑛 

「詩人回廊」詩流プロムナードに移行しました。 「刺身は」北条敦子 北条敦子詩集「思いは季節と花に」より 2013 年11月(土曜美術社出版販売)

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2013年11月20日 (水)

文芸同人誌「R&W」(長久手市)

【「わたしの概念の水玉」萩田蜂旭】
 水玉を軸にして人間の概念を語る珍しい小説。視覚的効果も考えた手法に意欲が感じられる。
【「海底遊泳」浅倉悠】
 節ごとに間隔をあけた文章で、行替えするほどでもないが、時間をかけて読ませるような独特の表現法。詩でも読む感覚になるが、物語は普通にある。これも手法に意識を傾けた作品。
【戯曲「宣言」渡辺勝彦】
 ドラマは天皇が国を治め、軍部が支配する日本という設定。原発事故が起きてその処理のなかで、米国やIAEAが暗黙のうちに軍部の核武装を認めている状況にある。日本の政治の混迷と原発事故を絡み合わせて、危機意識をもったシナリオになっている。
 「父帰る」などの戯曲を書いた菊池寛は、小説と戯曲のちがいについて次のように記している。
「子供が段々大きくなって行く成長の有様だとか、或る一人の女が結婚というものを挟んでの前後の心持の変遷とか、或る一人の老人が段々衰えて行く心の寂しさとか、小説は人生のあらゆる姿を書くことが出来るがしかし戯曲はそうではない。戯曲というのは人生の特別な形を書くものである。一言にしていえば、人生の劇しい所をを書いたものである。芝居を劇というが、劇という字は一体どういう意味から来ている字か知らないが、劇という字は劇(はげ)しいという字である。これは自己流の解釈であるかも知れないが、戯曲とはつまり人生において劇しい所である。」
【「経文禍」松岡博】
 空海を仏教に導いた道勤(どうごん)の日誌が昨年発見されたという。その高僧の一時期を小説にしたもの。道勤は、中国にわたり修行し、終わって蘇州から長崎に着いた。しかし、玄界灘を旅するところで遭難する。海岸の洞窟で雪の寒さから逃れる。そのために経文を燃やして暖をとり、命拾いをする。経文は彼岸にわたる船であるということをきいたことがある。それにしても中国に渡っても言葉に不自由をした様子がないのは、彼が中国から渡来した人たちであったためでもあったのだろうか。
紹介者「詩人回廊」北 一郎

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2013年11月19日 (火)

文学フリマはタイトルマッチ!「放浪息子」精読を販売

山川豊太郎が漫画「放浪息子」精読して書いた評論、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」、外狩、伊藤たちが第17回文学フリマに向けて文芸同志会で刊行した冊子の販売告知をしました。≪文芸同志会のひろば
 文学フリマ直後に出すべきであったが、山川の「『放浪息子』精読」が、現物がなくて写真ができなかった。文学フリマの会場で、1冊をそれようにもらって置いたのだが、見る見るうちに売れて行き、並べたものがなくなった。「すみません、さっき渡したんのを返して下さい」というので、返したら、それもすぐ売れてしまったのだ。店仕舞いに入った時にも買いに来た人がいた。が、もうないとわかって落胆していた。きのうやっと山川氏から1冊送られてきたので、セットで公開した。文学フリマのシステムは、入場者はまず参加者の作品を並べる見本紙コーナーにいって、買いたいものを探す。それが見つかれば、見本誌にブース番号が書いてあるので、そこに買いに行く。コーナーはスペースの関係で、3種しか置けない。だから、いかに目を引くタイトルにするかが、ポイントである。タイトルマチなのである。

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2013年11月18日 (月)

著者メッセージ: 酒井順子さん 『ユーミンの罪』

  ほのかに色気づいた十代半ばから二十代にかけて、私の青春はユーミンと共にありました。舞い上がった時も、落ち込んだ時も、そして醜い感情が渦巻く時も、常にユーミンはぴったりのBGMを用意してくれたものです。
  歌の中でユーミンは、何でも許してくれました。男をとっかえひっかえするのも楽しい。でも、「男より仕事」だってOK。女性の生き方に幅広い選択肢が生まれる時代に、その全てをユーミンは肯定してくれたのです。
  「何でもアリ」というその姿勢は、私達を励ましました。が、調子良く練り歩いてる時にふと思ったのは、「これでよかったのか?」ということ。「何でもアリ」の結果、我々は果たして何を得たのだろうか、と。
  「ユーミンの罪」は、バブル崩壊時までのユーミンのアルバムを聴きほぐしつつ、ユーミンが女性の生き方に与えた影響を考えた書。ユーミンって本当に罪深いんですけど、そこは惚れた弱みで、どうしても嫌いになれない
 んですアタシ。……ということで。 (酒井順子)(講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年11月15日号より)

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2013年11月16日 (土)

「文学フリマ」では物語が消費される

 このほど「詩人回廊」で「文学フリマ物語消費」の連載を開始している。これはもちろん大塚英志の「物語消費論」を意識したタイトルである。
 私自身、1960年代後半から70年にかけて、企業のブランドイメージアップ戦略として、商品誕生や使用法について長文のコピーライを執筆した。ニュース化と物語化である。取材が長期にわたり、、そのうえ企業の内情や来期の販売戦略まで知ることになるので、秘密の管理もあり特別任務であった。大塚氏解説は、この物語化の手法が、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」に「物語ソフト」として機能したことを述べている。当会では、会員の支援情報を発信するのに、この物語化を行っている。同時に、ここでは、私は散文の活用法を開発しようと、文体にも工夫をするつもりで、徐々に文章と内容を変化させ最終的に物語にしてみようと思う。読者は、そういうことに興味のある人を想定している。ライターとして以前から「詩人回廊」をブランド化出来たらいいな―と考えていたのに、多忙でやらなかった。ヒマが出来たので――最近は気分転換に銭湯にまで通っている。

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2013年11月15日 (金)

労働者の実態告発としてのプロレタリア文学=外狩雅巳

 11月16日付の「図書新聞」で伊藤 計劃(いとうけいかく、本名伊藤 聡、1974~2009)の業績を巡る座談会が掲載されています。サブカルチャーについて興味の無かった私には理解できません。
 しかし、私が出版した「外狩雅巳の世界ガイド2013」のあとがきでは北一郎氏が少し触れています。セカイ系の物語・ポストモダンなどと言う言葉も使用されています。
 なので、私の作品との対比として書かれたこのあとがきには著者として理解する必要もあろうかと考えています。
 プロレタリア文学作品に感化されて小説を書いてきました。現代の労働と労働者の実態告発とその地位の向上を願って書いてきました。
 しかしそれは、現代とはどんな時代かを知らなければ作品的な悲劇になると指摘されたのです。でも、馬の耳に念仏なのです。
 当初、北一郎評をどこ吹く風と受け流していましたが、文学フリマに参加したり「図書新聞」を読んだりで少し立ち止まりました。
 敵を知り己を知る必要を感じました。有効な発信を行うためには必要だと考えました。遅まきながら学習をします。
近代文学の手法をもって、現代文学に挑むとどのようなものになるかと北一郎氏が問う課題に向き合ってみました。
 未来に向けた社会改革の道筋を探求しなければならない。とも評されました。その探求はプロレタリア文学論考で試み中です。
 ウェブで発信しガイドで一部紙に定着させましたがまだ周辺を探っている段階にとどまっています。
 今回、評論同人誌にも寄稿しました。「群系」という同人誌は評論主体の定評ある会が年二回刊行する同人誌です。
 ここで、これまでの文芸同志会で発信した内容をまとめ、自身の意向を書き加えました。来月発行です。
 文芸同志会では、伊藤昭一代表が私の個別の作品をテクストにしながら現代への有効性を探っています。九月に発行したガイドは配布しつくしました。残部は保存用のみです。改定増刷に取り掛かっています。
 その後の伊藤昭一代表の発信や私の自伝なども加えています。テクストの作品も掲載します。大幅改定増刷です。
 今月末に完成予定です。前回感想返信者20名を中心にもう一度配布し、私の主旨を問うつもりです。読者と一体になりテーマに迫りたいと思っています。これも、文芸同志会の会員としての盛り上げ方かと思っています。
≪関連情報:外狩雅巳のひろば

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2013年11月14日 (木)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(3)

  「屋根裏の鼠」(詩人回廊)における豊田史観では、人間がものを造ってきたことを強調している。道具を発明する。そこでは、「そうした我々の存在を位置づけようと、我々は宗教と哲学を生み出している。そこから派生して、数学や科学、そして医術が生まれる。それらを学問と称し、我々は知識の集積とその拡大に狂奔するようになる。芸術もまた、その分野に含まれている。しかし、我々は今、我々が作り上げて来たあらゆるものに絡みとられて、身動きが取れなくなっている」――というのだ。
  つまり、作者は人類の行き詰まり感を表明している。過ちを犯しているという発想がある。これは作者が身近に感じている生活的な情報をつなぎ合わせ紡ぐことで、そこに意味をつたえるものだ。生活の中の断片的な情報をつなぎ合わせ意味づけをすることは、人類が「神話」としてそれをもっているように、自己存在を位置付ける意義がある。これはこれで、神話的な「物語」をしているのである。ただ、一般的な小説は個人の具体的な行為を描き、人物像を浮き立たせるものである。そうした人物が自分の世界観を語るように仕組むものだが、これは直接作者が前に出ている。小説につきものの描写の奥に寝ていられない心境のものなのであろう。
 こうした見方そのものは、作家の高村薫が、阪神大震災を経験して、都会に高層ビルが必要なのか、新幹線は、リニア新幹線は本当に必要なのかと、疑問を呈しているのと同じであろう。
 これをテクストとして読むと、そこで一貫している。もともとテクスト論というのは、その作品周囲を考慮せずに、―書かれた文章のみを取り上げれば、様ざまに解釈できる―とするもので、書かれたときに、それはすでに矛盾を内包しているという発想である。私はあまり同感はしないが、本来は止まることなく揺れ続ける心や気分は、言葉にしたことによって、……まさにそのことによって、心境が変化するということは事実である。したがって書かれたことを現在形で評価することは、誤解のもとになる。

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2013年11月13日 (水)

第17回文学フリマ参加レポート!純文系は減る=外狩雅巳

 文学フリマに行ってきました。五、六年前に一度見学はしましたが。著書の宣伝販売を行うのは初めてです。
 ブースの大半は学生などの若者グループで占められていました。純文学系の文芸同人誌は以前より減っていました。
 七百もの参加団体の中でほんの一握りになっています。多くの文芸同人会が参加し存在をアピールしてほしいものです。今回も「銀座線」と「文学市場」が健在で同人誌や個人誌・フリーペーパーを並べ同人会員が多数売り子として群れていました。
 私は文芸同志会員としてブースに展示させてもらい店番をしました。文学フリマ用に制作の手作り冊子「外狩雅巳世界ガイド2013」が三冊売れました。他のブースのフリーペーパーより貧弱なホチキス止めの冊子が五百円で売れたのには驚きと感激でした。
 文学クループの文芸同志会に入会し、サイトを分けて貰いその中での発信を紙に定着させた小冊子です。
 装丁・造本等とても書店店頭に並べられるものではありません。それが商品価値を持ったのです。文学フリーマーケットと言う場所に驚きました。
 入場者も3千人以上と見られ大変な盛況でした。机半分のブースに本を並べただけの場所が輝いて見えました。
 若者のブースに並ぶ冊子は、ライトノベル系の作品で私たち中高年の文芸同人誌の作品とは異質なものでした。
 そんな若者たちの漫画系の作品が並ぶコミケットには二十万人もの入場者が来ると報道されています。場違いな感じもして落ち着かない店番でしたが、大変良い経験になりました。来年も参加したいと思います。
 若者たちと合作した三人詩集ギフトを来春に改定増刷する予定です。若い女性が企画中です。 これをフリマで宣伝したいと思います。私家版の自費出版本を宣伝する絶好の場所だと考えています。
≪関連情報:外狩雅巳のひろば

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2013年11月12日 (火)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(2)

 豊田一郎「屋根裏の鼠」を「詩人回廊」に連載中である。これは小説なのか、評論なのか、そこを考えてみた。内容は豊田・人類史観であり、18世紀から続いてきた「人間主義史観」の一種と言える。人は自分の存在を確認しないではいられない。自己確認にもいろいろな方法があるが、特に文芸においては、自己の存在を通して読者の存在感を刺激すること、それが読まれる重要な要素である。
 「屋根裏の鼠」において、存在感を刺激する要素はどこにあるか。おそらく、通常の読者にはその要素は希薄であろう。この作品は、作者と同じく、書くことと世界人類の存在意義について考える読者向けである。人間は生きているうえで、自分の存在するこの世界について、その人なりに把握し理解しているものである。無意識のなかにおいてでもある。
 ましてや想像的な作品を書く場合には、まずこの世界観を背景に書いている。若者の「セカイ」系作品というのも、作品成立条件を限定してお話の「セカイ」を区切っている。これにはそれなりに現代の時代性がある。
 それとは別に「屋根裏の鼠」は、限定のない自由な感性による世界観の話をしている。世俗的な「小説」とは異なるように見えて、それは人間についての「物語」なのである。一日本人の視点で人類の歴史をたどり、その未来を展望している。基本は、西欧思想と根本的に異なる日本人のアニミズム精神である。物語と小説とはどう違うか、それはべつのところで論じたい。
 一般的に、ものを表現する姿勢には、この世界が自分を抑圧し、圧迫していると感じてそれに反抗、抗議するか、それとも、世界は自己存在を自由にし、解放してくれるからと、賛美するかどちらかである。では、「屋根裏の鼠」は、どのような立場なのか? そういう視点で読む必要があるのだ。

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2013年11月11日 (月)

「変色効果」(東京)

 今年の文学フリマで店番をしていたら、女流文芸サークル「鉄塔」の山田景子さんが、挨拶に見えた。山田さんは、4月に幕張メッセで開催した「超文学フリマ」で、運営ボランティアに参加し、前夜遅くまで机の配置をしていた。新社会人になったばかりのひとだ。日本大学芸術学部文芸学科出身の七人による女流文芸サークル。ブースに行って作品を買ってみた。若いのに「女流」という歴史的なイメージを使うのは今は洒落ているのだろうか。
【「ばかもの」古仲アラタ】
 中学生時代、思春期の異性を意識した、はかなくも消える貴重な時間。云うに言われぬ時間の記憶の表現は、たしかに文芸作品である。短く終わるような表現対象を長く書きのばしても、質を落とさないセンスはいい。人生のひと時のせつなさは、「時の過ぎゆくままに」と歌にもよくある。精神の伝達力はある。注文をつけるとすれば、これで、文学的深みを付けるのが難しいということ。たとえば「車輪の下」を書いたヘルマン・ヘッセが、題は忘れたが、別の小説で、思春期の少年の家に、学校の休み中に遠くから親戚の女学生がやってきて、そこで共に楽しく遊ぶ。彼女が去ったあとで、彼は自分が恋をしたことに気付く。そして、自分がこれまでいかに物を想わぬ子供であったか、と呟くのである。精神が大人の世界に入る状況をかなり工夫して表現しているのだが、それでも「だからどうしたの」という読後感が残った。自分は、短詩にするようなものを、俗的な表現の小説にするには、不足があると思う。
【「世界のおわり、そして彗星」天野蒼】
 遊園地と宇宙がこなんなに近いものとは、と思わせる面白さ。ごちゃごちゃと言葉をあやつりながら、亜空間域に想念を遊ばせてくれる面白さがある。個性的な現代詩に読める。
サークルには「鉄塔」ブログがある。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2013年11月10日 (日)

大阪文学フリマと大塚英志の思想

 東京流通センターで開催の第17回文学フリマは、参加者がかなり常連化している感じだ。とくに大学の文芸部の参加が増えた。おそらく部の活動証明になる記念参加の意義があるのであろう。イベントをするには、会場使用料や運営に費用がかかるので、資本主義社会ではどうしても大資本に頼ることが多い。そのなかで、文学フリマは資本独立系で珍しい。大阪でも来年9月、堺市で第2回が開催される≪参照:大阪文学フリマ事務局≫人が集まるので町も活気が出るのではないかと思う。
 自分としては、文学フリマの独自性は、発案者の大塚英志氏の当時の思想にあると思うので、参加活動と同時に、そこを再認識するような解説レポートをしていきたいものだ。「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2013年11月 8日 (金)

外狩雅巳このごろ活動報告と北一郎のコメント

 会員の外狩雅巳氏が、精力的に情報発信をしています。北一郎は、彼が文芸同人誌のなかで、悲劇的な立場にあると、書きました。「血を売る」は、小説として大したことがない作品と位置付けました。実際に、やっと散文詩としてぎりぎりセーフの作品だと思います。彼は、これをもっと長くして詳しく書く試みを同人誌に発表したそうですが、それはよほどのインスピレーションの幸運と天才に見舞われない限り徒労に終わるでしょう。とにかく始まりと終わりに変化がなく、中は思い出ばなしですから、小説としての問題提起がない。せいぜい、叙事的な詩情をふくらませるだけと予測します。この構造のままいくらいじくってもよくならないのは法則としてあると考えています。
 いずれにしても、このような文芸同志会と外狩氏のコラボは、今後≪外狩雅巳のひろば≫で展開していきます。これから先の論は、外狩氏の裁量でしか読むことができません。形式として、北一郎が評論家となって、作品を評論し、存在を承認して、指し示す。その見解を世に問うという試みです。外狩氏も評論活動ををしたいそうですから、評論家ドンキホーテがふたり誕生しそうです。どんな勝負になるか、路上パフォーマンスになるのか見ものです。
【外狩雅巳の便り】
 ―「外狩雅巳の世界ガイド2013」は、60ページの小冊子です。百冊発行して四万円という安価で製作しました。すでに二十人以上の方が感想をくれました。
 結果は北一郎氏があとがきで予想したとうりの感想文がほとんどでした。私のこれまでの小説観は人並みだったのです。やはり短絡な失敗作だったのか。
 北一郎氏はーおそらく、多くの読者は・血を売る・と・私が殺した男と女たち・を面白く読んでその優れたところを評価するであろう。と書いてくれました。
 感想のひとつは、エピソードを追加すれば良くなる。さらにもう一人は、本歌どりだ、私が書き直さなければ自分がエピソード入りで書くと手紙で届きました。
 ならば、やるしかないとペンを取り三倍に膨らませました。いづれ同人雑誌に発表します。まだまだ私はストーリー重視から抜けられません。
 又、同人雑誌の世界を紹介した文章は概ね良い感想が来ました。私の中ではきれいごとしか書かない上辺の紹介と思っていましたので少し驚きました。プロレタリア文学について書いた文章は反応は少なく落胆しました。北一郎氏が私の作品的悲劇と分析した事が難しくて読者の意見が出なかったようです。
 私は、現代文学論が少ないので体験的に書いたつもりでしたが伝わりませんでした。過去の作家論は多いのですが現代と現代文学の展望が知りたいのです。
 プロレタリア文学は大正期から昭和初期にかけ盛んになり、労働者階級の向上と社会制覇の展望を理論として確立し作品で実践しようとしました。
 小林多喜二は理論に忠実に書き上げました。図式小説との評もある程労働者の政権奪取に向けた道筋を作品化しています。官憲に狙われて当然でしょう。
 では、現在の格差社会の逆転は可能なのか。これが私のテーマです。下積み労働者の倍返しを政権奪取の文学論待望を書き連ねたのです。
 政治と文学の現代版を夢想しています。小冊子なので深まりませんでしたが来年も文芸同志会での発信は続けたいと思っています。
 文学フリマ後の年末は新企画を考えます。さらに多くの検索があり、コメントも貰えるように頑張ります。

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2013年11月 7日 (木)

文芸同人誌「澪MIO」第2号(横浜市)

 11月4日の文学フリマの店番をしていたら本誌の同人、大城さんが挨拶に来られた。私は会の代表をしているので、これまで話題にしてきた同人誌関係者によく挨拶をされるが、ほとんどそれがどなたであるか覚えていない。それで、「せっかく挨拶をしたのに」と、結構むっとされてしまうことがある。とくに、この作品紹介などは、いつどれを紹介したなどは覚えていない。大城さんのおかげで、「澪MIO」2号引っ張り出して、紹介する気になった。読んではいたので、すぐ書ける。
【評論「川島雄三論Ⅱ」石渡均】
 筆者がプロの映像作家ということで、専門的な記述で映画監督・川島雄三の人柄と作風、評論を連載。私自身は観賞しようと思いながら、見なかった作品の多い監督である。今回は「逃亡―積極的逃避」が印象的で、映画監督は肉体的な年齢に合わせて作品を作るとある。小説も似たところがあるような気がする。逃亡の映像での表現の難しさに触れているのも興味深い。
【「石蕗(つわぶき)」大城定】
 認知症になった父親との関係交流を描く。映像性を意識してか、カットバックのようなイメージを挟んで、清澄性のある文章で、失われた父親の精神を惜しむ心情を描く。本質的に詩人体質のようで、散文詩のようなもの。詩情を大切にしているので、問題提起性はなく、親子の情念のほんの一部という印象であった。
【評論「ポオの美について(ノート)(Ⅱ)」柏山隆基】
 文章と美意識は深い関係があるが、同時に想像力と現実という関係も重要である。ポオの天才的な想像力が体質なのか、生活スタイルから生じたものかを知る手掛かりがある。神経的な体質がすでにあって、特異なイメージ力をもち、アルコールや薬物は従属的な要素のような感じなのがわかる。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年11月 6日 (水)

第17回文学フリマ(平和島・TRC)店番記

 文芸同志会は、久しぶりに4人体制の店番になった。店番をするのは、読者層感覚の会得に重要視している。自分のためにだけ書くのであれば、その必要がない。大衆社会で文学活動をしようと思う人は、やはり自分の作品が社会的にどのような位置にあるのかを知っておいた方が良いと思う。文学フリマでは、人はちょっと寄ってぱらぱらと並べた本を見て、すいすいと去っていく。1時間に一冊の割合で買う人がいればオンの字である。≪参照:文芸同志会のひろば
 今回は外狩雅巳氏と小野友貴枝氏が参加をしてくれた。外狩氏は文学作品で社会制度を意識し、変革の意思を重視する作風である。現在、詩人北一郎が外狩作品『「この路地抜けられます」の読み方』を書き、テクストとしてその作品を収録した本を制作中である。
 小野さんは、最近入会した方なので、私はまだ作品全部を読んでいないが、人柄も作品もなかなか華を持っている。人間観察がしっかりしていて、読ませる。公務員で福祉関係では専門家のようだ。よい編集者に出会えば作家でもある程度成功しているのではないかと思わせるが、商業作家になるより社会福祉で貢献しているのであるから、その方が偉いのではないか。作品を読むと、女性仕事人として、腹が据わっており、かなりの手腕を発揮したことがわかる。
 文学フリマで、店番をしていると、世の中が刻々と変化していることがわかる。時代の空気や風潮の定点観測になる。当会ブースでは、山川豊太郎氏の評論に関心が集まった。どうも文学フリマでは、創作より評論が有利である傾向がある。いわゆる巨大商業コンテンツに寄りそって、評論を書くと一定の読者が付くということだ。山川式評論「放浪息子」への関心の高さには驚いたが、考えてみればTRCのその日のイベントにマンガ展があったのである。その流れが文学フリマにきた可能性もある。アニメのファンが、作品に意味づけをしてやると、活字でも読むという現象が、見えてきた。それにしても「放浪息子」ってマンガをそんなに読んでいるのか、と驚かされた。


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2013年11月 4日 (月)

第17回文学フリマ(東京流通センター)参加してきました

 第17回文学フリマに参加してきました。≪参照:文芸同志会のひろば
 ブースに来ていただいた方々には、ありがとうございます。近年は、伊藤昭一と山川豊太郎のふたりで、企画やアピールをすることが続いていました。当会は、作家・個人を個別で支援する方針で、会合をもちません。しかし、今回は新入会員の外狩雅巳と小野友貴枝が店番にきてくれ、実質的に会合にもなりました。山川豊太郎の評論書2冊は、人気で売り切れ、伊藤の評論もそこそこ売れました。これからネットでも販売を開始します。
 現在メインのパソコンが故障し、キャパのないサブで入力をしています。まず、修理に出してからネット活動を再開します。

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2013年11月 3日 (日)

【文芸月評】「あらゆる手」使う新人(読売新聞)

【文芸月評】 (10月)読売新聞≪対象作品≫桜井晴也「世界泥棒」/上田岳弘「太陽」/村田喜代子「屋根屋」/奥泉光の「東京自叙伝」など。

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2013年11月 2日 (土)

外狩雅巳「自分説話」は、路上パフオーマンス

 詩人回廊「外狩自分説話」が一段落した。これは、ネットサイトという形式があるから書いたようなもので、同人雑誌向けには書かなかった筈のものである。書く場所がスタイルを引き出すという事例であろう。
 もし、これが同人誌であったら、ただ自分をアピールするだけのものと、否定するところもあるかも知れない。しかし、ネットでは自分のことについて知って欲しいという気持ちで書くのは自然であり、同人誌の下手なエッセイや小説よりもずっと面白く読める。実際に読者数が増えた。世間は、個人の身の上話に興味を持つ。
 それが、同人誌で発表することと異なるのは、不特定の誰かに語るという路上パフォーマンスの要素である。おまけに発表する前に、編集人がまず読んで、公開性に問題があれば変更を提言する。そこで、発表の前に編集人のいることを意識する。
 作者はプロレタリア文学の手法を取り入れている。それで作風はメッセージ性をもつ。読む対象が決まっている。その対象を理解しない人には縁がないので的外れな感想が出る。もっともその対象であるプロレタリアートという概念はもうない。同時に文学からメッセージ性が排除されるようになった。私自身は、誰に向けて何を言いたいのかわからない作品を否定をしないが、それを書くならそのことへの自意識が必要であると考えている。

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2013年11月 1日 (金)

文芸時評10月「東京新聞」10月31日、沼野充義氏

川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」世界の構図鮮やかに。
綿矢りさ「いなか、の、すとーかー」残酷さと、心優しさと。
≪対象作品≫川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」(新潮)/綿矢りさ「いなか、の、すとーかー」(群像)/田中康夫「33年後のなんとなくクリスタル」(文藝冬号)/。

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