« 「わが進化論」清水省吾 ~~~江 素瑛 | トップページ | デジタル化と本の市場= 「ネット上のコミケ」 »

2013年10月21日 (月)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(1)

 豊田一郎の「屋根裏の鼠」を「詩人回廊」(豊田一郎の庭)で連載をしはじめた。これは作者の個人誌「孤愁」第9号(平成二十三年十月発行)に掲載されたものである。
 これは人間学における「人間主義歴史観」として、短くその骨子を文字化したという作業は、同人雑誌界でも唯一のものであろう。
 作家・豊田一郎は、ある時期からこのような史観に基づいて小説を書いてきたようだ。その思想の源点をこのようにまとめて表現するという試みをするのは豊田一郎のみであろう。本編には現代思想の根本命題がいくつも含まれている。
 図書新聞2011年11月1日付け「同人雑誌評」で、たかとう匡子氏は次のように論評ししている。
『今月、力作として注目したのは「孤愁」第9号の「屋根裏の鼠」だった。3・11以後だけでなくこの列島に住まいする私たちにとっては、地震だけでなく、もっとたくさんの災害の中にいる。これを書いたのは3・11以前だったそうだが、はからずもそこを予見させることになった。人間が生きるとはどういうことかを考えさせる。感心しながら読んだ。おおいに勉強させてもらった』
 なんでも「同人誌時評」には毎回100冊を超える同人誌が送られてくるそうで、そのなかで、よくぞ注目したと、たかとう氏の視野の広さに敬服するものがある。
 作品の内容を、ここではマルクス主義思想による社会の発展段階論と比較してみよう。マルクス主義思想では、「これまで存在したあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史」であるとする。
それと、それが文学作品であっても、すべて物であり、社会の歴史的発展段階の産物であるという見方をする。
 共産党宣言には、「歴史の初期の時代には、社会はさまざまな階層、社会的な地位の多様な序列へと複雑に編成されていた。古代ローマでは、貴族、騎士、奴隷がいたし、中世には、封建領主、封臣、ギルドの親方、職人、徒弟、農奴がいた。こうした階級が、副次的な序列にわかれていた」
 「私たちの時代、ブルジョワジーの時代は、階級対立を単純化した。社会は全体としてますます、敵対する二大陣営に、互いに直接対抗する二大階級、ブルジョワジーとプロレタリアートに、分かれていく。中世の農奴から、初期の都市の特許市民が生まれた。こういう市民から、ブルジョワジーの最初の構成部隊が発展してきた。」と、している
 「屋根裏の鼠」では、なぜ国家の統治がおこなわれるようになったかと、原始共同体からの変遷を考察しているのが、特徴である。

|

« 「わが進化論」清水省吾 ~~~江 素瑛 | トップページ | デジタル化と本の市場= 「ネット上のコミケ」 »

コメント

「全作家」賞の豊田さんの選評読んで感心しました。
文学作品評価の本質を理解しておられる方であることが分かり見直しました。
<見直した>という言い方少し変ですが、彼の作品には秀作、佳作は目にしましたが、<凄み>を余り感じたことがなかったので、改めて<見直した>という感想持ちました。( ̄ー+ ̄)

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年10月24日 (木) 09時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「わが進化論」清水省吾 ~~~江 素瑛 | トップページ | デジタル化と本の市場= 「ネット上のコミケ」 »