北一郎が独断的な作品評論に取り組む
会員の作品に対しては、作品紹介とは異なる視点で同時に作品分析評論を行うようにすることは前に述べた。そこでまず「詩人回廊」≪外狩雅巳の自分伝説(九)≫にあるように、「この路地抜けられます」を手始めした。北一郎は,大学で資本論の経済学批判と、政治活動「共産党宣言」の革命論とは、理論的に関連しないということを研究していた。つい先日の10月5日、現代史研究会の内田 弘・専修大学名誉教授の「初期マルクスと『資本論』とは「対称性」で連続する」という講義を受けてきたばかりだ。「資本論」研究も新資料が出て進んでいるようで、大変参考になった。そのレジュメは「ちきゅう座」に掲示されている。同じ日に的場昭弘・神奈川大学教授の『初期マルクスから「資本論」へ』「マルクスとプルードン」があった。今、プルードンを批判した『哲学の貧困』、そして『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』に取り組んでいるという。まるで、大学生に戻ったような気分ですごく楽しい。
外狩氏は組合活動を通して、政治活動を学んできたようだ。組合活動は、所得の分配の問題であり、政治活動は社会制度改革の問題である。そのため、理屈はともかくストライキをするか、デモに参加するか行動が重要で、なぜそうなるのかという理論的なことにはあまり関与してこなかったようだ。今回、外狩氏は私の評論を少し読んで、まるで偉い学者みたいだ、と言っていたが、別に偉くはないが、現代思想の動向には少しは詳しい。それと、長年、伊藤桂一氏の創作理論に接してきたこともあり、それらの二点を合わせた評論にしたい。
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