暴走する資本主義にプロレタリア文学選集7巻を刊行(森話社)
大正時代後半から昭和にかけて、社会の格差や厳しい労働の現実を描いた文学の選集「アンソロジー・プロレタリア文学」の刊行が森話社で始まった。「戦争」「事件」などテーマ別に7巻を予定する。
「貧困」と題した第1巻は、左翼文学運動に傾倒して逮捕され、拷問により29歳で死去した小林多喜二の「龍介と乞食」をはじめ、宮本百合子、葉山嘉樹(よしき)など13人の作品が並ぶ。
宮地嘉六(かろく)「ある職工の手記」は、継母と折り合いが悪く家を飛び出して職工を目指す少年の姿をつづり、胸を打つ。伊藤永之介「濁り酒」は、秋田の農村を舞台に警察による密造酒の取り締まりを描く。
編者の文芸評論家の楜沢(くるみさわ)健さん(47)によると、プロレタリア文学は、東西冷戦が終わってから20年、過去の遺物として読まれない時期が続いた。その後、リーマン・ショックが起きた2008年、オホーツク海の悲惨な労働実態を描く多喜二の『蟹工船(かにこうせん)』がブームとなる。
楜沢さんは「『蟹工船』は近年、弱い者から効率よくやりたい放題に奪い取る『暴走する資本主義』の象徴として読まれた。ブームは過ぎたと言われるが、それは『蟹工船』的なものが東日本大震災後、大きくなり過ぎて見えなくなっただけではないか」と問題提起している。
(読売新聞10月10日付け)
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コメント
(≧ヘ≦)<暴走する資本主義>つまり日本の新資本主義は米国資本主義の悪い典型のみを真似て、格差社会を造り上げた結果、現在のデフレ社会を招いてしまった、ということですから、<蟹工船時代>よりももっと悲惨な実情になってます。上部構造に住む者はそのことに気付かず生活してますが、下部構造の生活者は、非正規社員の悲哀、臨時雇いの悲哀に甘んじた<競争社会>で生活しているわけです。
そのような実情では、<蟹工船>が読まれるのは当然で、かつてあったこととして読まれているのではなく、俺たちと同じではないか、という意識で読まれているということでしょう。
文芸評論家もほとんどが上部構造に属しているので、下部構造の実態を把握していないため、底辺の読者の精神構造を理解できないのでしょう。
上下二極に乖離した社会構造では、天上とアンダーグラウンドの地下生活者ほどの意識の差が生まれていますので、<蟹工船>が読まれている現実を意外に思うのでしょう。困ったものです。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年10月13日 (日) 23時59分