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2013年10月31日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」2013年10月30日(水)朝刊長野秀樹氏

題「短編小説の面白さ」
立石富生さん「遠きにありて」(「火山地帯」175号、鹿児島県鹿屋市)、水木怜さん「順平記 その一『つばき』」(「照葉樹」第2期4号、花書院)
和田奈良子さん「折り返し地点」(「海」第2期10号、花書院)、同誌より有森信二さん「幸福の詩」「海神」、有森さん「菩提樹の花の下で」(「全作家」90号、東京都)
「周炎」52号(北九州市)より暮安翠さんグレアム・グリーン「夢の王国」翻訳連載、古岡孝信さん「今、鐘を鳴らす」(「二十一せいき」22号、大分市)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年10月30日 (水)

文芸同人誌「海」第二期第10号(太宰府市)

【「海神」有森信二】
 中学生の健治少年は、葉煙草栽培農家の長男で弟がいる。家業があると長男は、家内労働力として親からあてにされる。親にしてみれば、義務教育を出たらすぐ家業に精をだしてもらいたいわけである。父親は、高校へ通いたかったが、その父、主人公の祖父が若くして急死したため、進学をおきらめ家業を継いでいた。そういう経験があって、健治の進学を認める。健治には、同級生の留美子という恋人がいて、その思春期の恋愛が描かれる。
 強い筆致でバランスよく、戦後日本の経済成長期前の青春が描かれている。同じ作者が「幸福の歌」を執筆して、これは現代における経済成熟期における家庭の姿と青春を描いている。ここでは主人公の性格に時代性を反映させて描く。有森作品をすべて読んだわけではないが、自分の印象では、次の作品に伸び代を期待させるようなものがあるように読める。これが作家精神の若々しさによるものであるらしい。「海神」の終わり方にもそれが見える、集中力をもって作中に入り込む力が強い。もっともこれはほかの同人誌にみられる作風との相対的比較の上であるが。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年10月29日 (火)

同人雑誌季評「季刊文科」第60号2013年9月30日発行

◆勝又浩氏「小説の困難な時代」
フジツカサ「umi-no-mita-yume」(「文藝軌道」4月号、神奈川県大磯町)・石井正美「スパイク」、寺本親平「加陽金府来訪記 埋木」(「彩雲」6号、浜松市)・村伊作「ブンガク駄虫」・深野ちかる「紙の魚」、大西智子「エスケープロード」(「カム」10号、西宮市)、宮城正枝「入り江のある町で」(「四国作家」45号、丸亀市)、納富泰子「蛇苺の紅--愛しい人たち」(「KORN」2号、福岡市)、「半月」(創刊号)より瀬戸みゆう「階段」・錺雅代「特別なおみやげ」、「30」(5号、東京都)より中村徳昭「朝の水」・石田出「精算」、島九十九「夾竹桃」(「午前」93号、福岡市)・青海静雄「向こう岸」
◆松本道介氏「陶然たる思い」
永井達夫「夏の色」(「VIKING」748号、高野町)、宇江敏勝「金色の耀う木」(「VIKING」749号)、「彩雲」(第6号、浜松市)より佐々木朝子の詩・寺本親平「加陽金府来訪記 埋木」、「文宴」(119号、松阪市)より中田重顕「休載の書」・松嶋節「じゃ、また明日」
今号は「追悼・大河内昭爾」と題して特集が組まれています。本誌は次61号から新たな体制での再スタートだそうです。内容については後日、紹介します。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年10月28日 (月)

文芸同人誌「北狄」363号(青森市)

【詩篇「月に沈む」倉谷ひろたか】
 東日本大震災を題材にした情念あふれる35の詩篇。藍碧の沈黙、地場の力、哀しき三日月、じごくのなぎさ、など自然力による郷土と命の破壊を、多角的な視線で、嘆き悲しむところにエネルギーを収斂させている。重厚さがある。
【「蛍火の島」青柳隼人】
 定年退職後に「蓮沼」という池のほとりにひとり住む男の生活ぶりを優れた散文精神で描く。「蓮沼」という沼を静謐環境描写をもって独自のイメージを形成する。、ありそうであり得ない神秘的なスポットに作り上げる。風景がそこにただあるのではなく、心が風物を映すことを示す文章。、晩年を迎え,社会活動から隔離したさびしい心境を浮き彫りにする。同時に生の向こう側の死が、断絶した無の世界ではなく、連続する出入り口として「蓮沼」が示されているようにも読める。高齢者社会での死への概念の変化を示すのかもしれない。
紹介者:「詩人回廊」北一郎

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2013年10月27日 (日)

詩の紹介「水瓶の底に」大塚欽一

    
水瓶の底に  大塚欽一
夜の深い底でぼくはふたつの眼差しを感じて目が覚める/それが僕の水瓶の底からだと気が付いたのはいつだったか
はじめは星が映っているだけと思ったが/まちがいない あれはあなたの眼差し/それはいつも哀しみを湛えていた だが手を差し込んでも掬い上げることはできない
あなたは狂気に彩られた歴史の闇に足を開き/ 血にまみれながら次々と産み落してきた/ 悲しみの塊りを/ あなたの深い悲しみを誰か分かちえよう/ あなたの呻き声が聞こえてくるよう
もし抱きしめることができるなら/ぼくは喜んでこの腕に抱いて温めてやりたい/あなたがもっと幼く小さかったら/膝の上に乗せてやさしく揺すってあげたかったけれどぼくは自分のことばかり悩んでいた/あなたのことを考えてやることもしなかった
ぼくは食えない奴だ/孤独で自分のことばかり考えていて/けれど決して傲慢じゃない/多くの人から誤解されるが/ちょっとした哀しみにも胸が痛む/些細な中傷にも傷つく/たぶん人一倍ナイーブな神経をもっている/丘に咲いて天使の青い足跡みたいに
いつごろからか水瓶から水が洩れはじめた/罅が入った水瓶は長くはもたないだろう/何とか修復したいがたぶん駄目だろう/丘の上では黎明を告げる鐘が鳴っている/おおきな杭(スクウワロス)につりさげ/今夜もじっと見つめているあなたの/哀しそうな目と向き合いながら/罅割れた水瓶に/せめて一茎の百合を挿そう
大塚欽一詩集「世界の片隅で」より(2013 年8月 水戸市 泊船堂)

読み人・「詩人回廊」江素瑛
 ひび割れた水瓶の底に映された「ぼく」の哀しい目と向き合う寂しい姿。忙しい毎日の心の深層にいる孤独なもう一人の自分を視るのです。
「今夜もじっと見つめているあなたの/哀しそうな目と向き合いながら/罅割れた水瓶に/せめて一茎の百合を挿そう」は、李白の詩「挙頭邀明月」、「對影成三人」と異曲同工である。

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2013年10月26日 (土)

総合文芸誌「岩漿」21号(伊東市)

 本号は5月発行である。その間、ずっと手元に置いていた。なぜか、と自分でも不思議思って開くと、中に栞が挟んであって、その中の1編が読み終わっていない。そのままにしてあるのだ。読んでいる途中で用事があると中断し、また読むときは筋を忘れているので、最初から読み直し、また用事ができて中断し、再び読む時はまた筋を忘れているのだ。
【「八重桜」椎葉乙虫】
 大阪の造幣局の中の桜の名所は有名だが、そこで殺人事件が起きる。ミステリーである。かなり長い作品で、労作である。読むのに時間がかかった。同人誌にミステリーを書くのは、おそらく周囲からは評価されないであろうが、文章力の鍛錬にはなる。昔と違って、仕掛けやトリックに新規性がなく、犯人が出てくるのは決まっている。それで途中をキャラクターづくりで読ませるか、ひねりの利いた文章を使いまわす、とかしないと最後まで読んでくれない。中だるみを超えるのが大変で、その辺のスピードアップに工夫がいる。その工夫が書く方の隠れた楽しみでもある。よく粘って書いたなと感心する一方で、書く方も楽しいが読むのも楽しいというところでは、もうひと押し頑張ってほしいものがあった。
発行所=〒414-0031伊東市湯田町7-12リバーサイドヒグチ306 木内方、岩漿文学会編集部 
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年10月25日 (金)

「新同人雑誌評」勝又浩氏・伊藤氏貴氏対談「三田文學」第115号・秋季号・2013.11.01

《今号で取り上げられた作品》島田奈穂子「ナナフシ」(「mon」2号、大阪府大阪市)/飯田未知「スポットライト」(同上)/小野和子「土筆誰の子」(「峠」63号、愛知県名古屋市)/武田純子「習作のとき」(「安藝文學」82号、広島県広島市)/西村恵美子「白炎の記憶」(「佐賀文学」30号、佐賀県嬉野市)/八重瀬けい「あたしと祖母の四十九日間」(「九州文学」22号、福岡県中間市)/岸睦子「漱石の実父夏目直克のまなざし」(同上)/長田礼子「覧冥録」(「タクラマカン」50号、兵庫県芦屋市)/島尾伸三「夢をみました」(同上)/萩原康則「髪を切る女」(同上)/佐藤靖子「庭の中」(「サボテン通り」13号、北海道函館市)/難場田節子「つばめ」(「遠近」50号、東京都練馬区)/花島真樹子「山里にて」(同上)/国府正昭「浄水場にて」(「海」87号、三重県いなべ市)/紺谷猛「ととよし食堂」(同上)/菊田英生「泪橋」(「新現実」116号、東京都文京区)/石毛春人「遊びをせんとや生まれけむ」(同上)/池戸亮太「鳴石」(「あるかいど」49号、大阪府大阪市)/森岡久元「深夜音楽」(「酩酊船」28号、千葉県柏市)/松嶋節「じゃまた明日」(「文宴」119号、三重県松阪市)/中田重顕「休載の書」(同上)/岡田雪雄「たそがれ前」(「弦」93号、愛知県名古屋市)/田中壮二「昨日、私は三十歳だった」(「西九州文学」34号、長崎県長崎市)/齋藤澄子「ここはどこの細道じゃ」(「飛行船」13号、徳島県徳島市)/高尾祥平「君の歌へる君のふるさと」(「柘榴」14号、広島県広島市)/中丸悠太「みれんの徒」(「樹林」580号、大阪府大阪市)/石和純「あいつ」(「橡」14号、群馬県伊勢崎市)/宮下スエ子「風車」(「顔」75号、長野県上田市)
●ベスト3
勝又氏:1.島田奈穂子「ナナフシ」(「mon」)・2.八重瀬けい「あたしと祖母の四十九日間」(「九州文学」)・3.西村恵美子「白炎の記憶」(「佐賀文学」)
伊藤氏:1.国府正昭「浄水場にて」(「海」)・2.島田奈穂子「ナナフシ」・3.八重瀬けい「あたしと祖母の四十九日間」と中田重顕「休載の書」(「文宴」)
●「文学界」推薦作:前回の「無灯火」(「詩と眞實」)と「ナナフシ」・次点は「あたしと祖母の四十九日間」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年10月24日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2013年10月04日)白川正芳氏

≪対象作品≫高橋道子「砦麻呂の末裔たち」(「仙台文学」82号)、久保輝巳「試し傘」(「龍舌蘭」185号)、後藤康二「短編小説と能」(「試想」8号)
小松陽子『ひとひら』(自家版)、さとうゆきの「大貝弥太郎の絵画」(「海峡派」128号)、猿渡由美子「風の訪れ」(「中部ペン」20号)、福島昭午「「気」とは何か」(「人間像」183号)、柳沢藍「花市」(「まくた」281号)、葉山郁生「埴生雄高と小川国夫」(「藤枝文学舎ニュース」82号)
《馬の骨さん、コピーをありがとうございます。》
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年10月22日 (火)

デジタル化と本の市場= 「ネット上のコミケ」

 “SS”(ショートストーリー)は、TVアニメに登場するキャラクターなどを使って書かれた2次創作の短篇小説。ほとんどは数千字程度で、キャラ同士の性愛やネタ的な会話のかけあい。
 商業出版では短篇小説やSSの需要は少ない。しかし、スマホやガラケーで、隙間時間に無料で気軽に読み書きできるマイクロコンテンツとして、SSには莫大な需要がある。書き手も読み手もベースになるキャラを共有しているため、説明の手間を省いて好きな世界に浸れることが人気の一因だ。著作権と1篇の分量の問題から出版社が踏み込むのは難しいが、ネット上の投稿・閲覧プラットフォームでは人気を博している。
アニメやマンガが好きな層向けのイラスト投稿・閲覧SNSとしての印象が強いpixivはこのジャンルの大手サイト。2010年7月に実装された小説部門は順調に成長を続け、今ではpixiv全体のアクセスの15~20%にあたる月間6.1億PV(ユニークユーザーは650万)を誇る。トータルで約280万作品、今も1日4000弱の作品が投稿されている。 pixiv小説機能を利用しているユーザーの男女比は3対7程度、年齢は10代が25%、20代が60%近く、30代以上が15%(大学生が一番多い)。
 ピクシブ・取締役副社長の永田寛哲氏は「pixivは最初は『イラストのSNS』でしたが、『ネット上のコミケ』『創作支援SNS』たるべく、次に漫画、そして小説と、サービスを拡張してきました」。
 「昔は同人の世界でも『漫画が描けないとダメ』だったのが、今では『イラスト1枚でもOK』に変わった。それと同じで、小説も『ライトノベル1冊分書けないとダメ』なのではなく、もっとカジュアルでいい。pixivに投稿していた2次のイラストを出版社の編集者が見たことがきっかけになって、ラノベのイラストレーターになった人は多いですが、同じように、気軽に小説を書き始めてみた人のなかから最終的にプロになる人が出てくれば、また違うフェーズに行くと思いますね」(「新文化」2013年9月12日号掲載)

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2013年10月21日 (月)

豊田一郎「屋根裏の鼠」に読む「文芸的社会史観」(1)

 豊田一郎の「屋根裏の鼠」を「詩人回廊」(豊田一郎の庭)で連載をしはじめた。これは作者の個人誌「孤愁」第9号(平成二十三年十月発行)に掲載されたものである。
 これは人間学における「人間主義歴史観」として、短くその骨子を文字化したという作業は、同人雑誌界でも唯一のものであろう。
 作家・豊田一郎は、ある時期からこのような史観に基づいて小説を書いてきたようだ。その思想の源点をこのようにまとめて表現するという試みをするのは豊田一郎のみであろう。本編には現代思想の根本命題がいくつも含まれている。
 図書新聞2011年11月1日付け「同人雑誌評」で、たかとう匡子氏は次のように論評ししている。
『今月、力作として注目したのは「孤愁」第9号の「屋根裏の鼠」だった。3・11以後だけでなくこの列島に住まいする私たちにとっては、地震だけでなく、もっとたくさんの災害の中にいる。これを書いたのは3・11以前だったそうだが、はからずもそこを予見させることになった。人間が生きるとはどういうことかを考えさせる。感心しながら読んだ。おおいに勉強させてもらった』
 なんでも「同人誌時評」には毎回100冊を超える同人誌が送られてくるそうで、そのなかで、よくぞ注目したと、たかとう氏の視野の広さに敬服するものがある。
 作品の内容を、ここではマルクス主義思想による社会の発展段階論と比較してみよう。マルクス主義思想では、「これまで存在したあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史」であるとする。
それと、それが文学作品であっても、すべて物であり、社会の歴史的発展段階の産物であるという見方をする。
 共産党宣言には、「歴史の初期の時代には、社会はさまざまな階層、社会的な地位の多様な序列へと複雑に編成されていた。古代ローマでは、貴族、騎士、奴隷がいたし、中世には、封建領主、封臣、ギルドの親方、職人、徒弟、農奴がいた。こうした階級が、副次的な序列にわかれていた」
 「私たちの時代、ブルジョワジーの時代は、階級対立を単純化した。社会は全体としてますます、敵対する二大陣営に、互いに直接対抗する二大階級、ブルジョワジーとプロレタリアートに、分かれていく。中世の農奴から、初期の都市の特許市民が生まれた。こういう市民から、ブルジョワジーの最初の構成部隊が発展してきた。」と、している
 「屋根裏の鼠」では、なぜ国家の統治がおこなわれるようになったかと、原始共同体からの変遷を考察しているのが、特徴である。

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2013年10月20日 (日)

「わが進化論」清水省吾 ~~~江 素瑛

わが進化論    清水省吾

いつ からか/手足が痺れ わたしの腕や脛がちぢんでくる/おまえの手足は老衰し/魚の胸の鰭から 進化した上肢の手/魚の腹の鰭から 進化した下肢の足/おまえはいま先祖がえりしようとしている/閉じた鉛のレントゲン室をでると/整形外科の電気器具が わたしの鰭の咽喉笛をふるわせ/腰の骨にあたる尾鰭を引っ張り/電圧の帯がわが背筋を曳き伸ばす
夏の土用稽古に 冬の寒稽古に/硬い樫の木刀を振るったわたしの腕は/シーラカンスの 胸鰭を腕にし 腹鰭を太腿に仕立て/デボン紀から白亜紀に/わたしが育成し 進化させてきたものだが/海洋から陸上への這上がる 鰭類の一群に/先祖がえりしている
わたしを透視したMRが/磨耗した脊椎の《滑り症》を鮮やかに写しとる
標高三千メートルの氷雪に埋もれていた/アイスマンの肢体から《脊椎滑り症》の痕跡がみつかり/何者かに追われている症状がわたしと似ている/なにを食べていたのか 胃袋の残物を 腸内を/着ていた狩猟による毛皮の衣類から/数百を採取して/先人からの進化を解明しようと
研究員は全長1.5メートル古代魚の解剖から/ときめきを止めたシーラカンスの/小さな心臓を持ち帰る
詩誌「幻竜」第18号より(2013 年9月 川口市 幻竜舎)

読み人・江素瑛
 古代の大昔の人間を含めて生物の姿を今に残されたているものは自然死で、自然氷凍などしたものが多い。将来研究学者に今の人間のサンプルを求めたいのなら、骨壺か骨灰塵から探さなくてはなりません。
作者の進化のイメージは、時間がターンして胎児に戻る魚のようです。ちぢまっている老人の手足。子宮の羊水に浮かんでいる胎児は短い手足は、胸腹鰭のようになっている。療養病棟に見る手足がちぢみ、脳が血管神経障害に犯され寝たきり老人患者ばかり。「お前は先祖がえりしようとしている」どころか、胎児に戻ろうとしている。いくら宿命から逃れようとしても、神さまから与えられるものはいずれ取り上げてしまう・・・・。
■関連情報=
「詩人回廊」詩流プロムナード

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2013年10月19日 (土)

北一郎が独断的な作品評論に取り組む

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 会員の作品に対しては、作品紹介とは異なる視点で同時に作品分析評論を行うようにすることは前に述べた。そこでまず「詩人回廊」≪外狩雅巳の自分伝説(九)≫にあるように、「この路地抜けられます」を手始めした。北一郎は,大学で資本論の経済学批判と、政治活動「共産党宣言」の革命論とは、理論的に関連しないということを研究していた。つい先日の10月5日、現代史研究会の内田 弘・専修大学名誉教授の「初期マルクスと『資本論』とは「対称性」で連続する」という講義を受けてきたばかりだ。「資本論」研究も新資料が出て進んでいるようで、大変参考になった。そのレジュメは「ちきゅう座」に掲示されている。同じ日に的場昭弘・神奈川大学教授の『初期マルクスから「資本論」へ』「マルクスとプルードン」があった。今、プルードンを批判した『哲学の貧困』、そして『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』に取り組んでいるという。まるで、大学生に戻ったような気分ですごく楽しい。
 外狩氏は組合活動を通して、政治活動を学んできたようだ。組合活動は、所得の分配の問題であり、政治活動は社会制度改革の問題である。そのため、理屈はともかくストライキをするか、デモに参加するか行動が重要で、なぜそうなるのかという理論的なことにはあまり関与してこなかったようだ。今回、外狩氏は私の評論を少し読んで、まるで偉い学者みたいだ、と言っていたが、別に偉くはないが、現代思想の動向には少しは詳しい。それと、長年、伊藤桂一氏の創作理論に接してきたこともあり、それらの二点を合わせた評論にしたい。 

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2013年10月18日 (金)

同人誌作家のあり方を試行錯誤

雑誌「文学界」11月号の「同人雑誌評の果した役割」(勝又浩)によると、同人誌評で、作品を批判すると、その担当がやめるまでは、同人誌を送らないという怒りの手紙がきたりしたらしい。「我々からすれば、言われたくなければ雑誌を送ってこなければよいだけのことだが、書き手の側としては何か言ってほしい、だが批判は聞きたくない、ということなのだろう。しかし、身銭を切ってやっているからといって、それゆえに立派だとも、批判してはならぬというべき理由にはならないだろう。」と記している。当会では、すでに作品紹介の役目は終えたと考え、多忙な場合は、目を通して参考にさせてもらう程度しか対応できなくなってきている。
 ただし、会員の場合は要望さえあれば、批評的な内容で長めに論評をしている。その場合、読者に作家への認識を高めてもらうため、会員個人のページ作成に力を入れようとしている。そこで「豊田一郎のひろば」を制作した。ネットでの関連情報を集めて、同時にオピニオンがあれば述べてもらおうというものだ。それでどうなるというものでもないが、試行錯誤できるのがネットの面白さでもある。

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2013年10月16日 (水)

東浩紀「クリュセの魚」気分が変わらなければ、世の中は動かない

<震災でぼくたちはばらばらになってしまった>。安易に「絆」を強調するより、震災後にむき出しとなった人々の生活・社会的格差に目を向けるよう自らが編集長を務める雑誌「思想地図β」でいちはやく発言した。原子力発電所の事故の悲劇を忘れないよう「福島第一原発観光地化計画」の可能性も模索する。
 「僕は小説を書くような夢想的な人間で、『引きこもり的な世界観』の持ち主であることは今も変わっていません。ただ震災後、人々の気持ちを正確につかみ、解説することに興味がなくなった。人々の気分を変えることが大切だと考えるようになりました。震災で人々がばらばらになったなら、もう一度つなぐ物語を作りたい。本来の文学者の仕事はそこにあるはずです」
 「お金の流れや制度を変えるのは政治です。『世の中を変える』とは、一般にこの部分の話と思われている。でも、気分が変わらなければ、世の中は本当には動かない。気分はとらえどころがありません。だからこそ、想像力や文学が大切なんです」です 。
(読売新聞10月15日付け 「クリュセの魚」を刊行 東浩紀さん


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2013年10月15日 (火)

雑誌「文学界」11月号で「同人雑誌評の果した役割」(勝又浩)掲載

 雑誌「文学界」11月号で「同人雑誌評の果した役割」(勝又浩)が掲載されている。≪関連情報:文芸同志会のひろば≫東京新聞の「大波小波」でも話題にしている。そのなかで、「三田文学」で同人雑誌評を継続している勝又浩氏が、地域に分散する文芸同人誌に中央司令塔的なものがあった方が良いと書いている。「文学界」での同人雑誌評欄のなくなった後の体験として、おそらく感じるものがあるものと思われる。
 その他、文芸同人誌の作品が、時代の傾向を強く反映しているという指摘もある。本サイトもその時代の傾向をどう反映しているのか、商業出版と同人誌の比較研究の意味で、作品紹介はじめたので、送られてくる同人誌は「贈呈」という「贈与」であり、作品紹介はその「返礼」というコミュニケーションの形になっていると考えている。

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2013年10月14日 (月)

著者メッセージ: 山崎ナオコーラさん 『昼田とハッコウ』

 毎日、仕事をするということ。
  サラリーマンは毎朝、身支度をして出社する。アスリートは毎朝、ジョギングをする。魚屋さんや花屋さんは毎朝、市場に出かける。作家は毎朝、机に向かう。拙著『昼田とハッコウ』に出てくるのは、「町の本屋さん」で、
 毎朝、シャッターを上げる。
  この小説は、二年と一ヶ月の間、毎月、発表していった。ストックは作らず、その前の月に起きたことを発表するという体だ。そのため、「日常淡々系」ながら、選挙や震災が入ってきた。架空の街の、想像上の本屋なのだが、時代や天候の風を受けた。
  小説もだが、会社も店もきっとそうだろう。電車が止まったり、台風に悩まされたり、異動があったり、「日常を大事に、毎日を同じようにやろう」と考えていても、自分の思うようには行かない日がある。それでも、とりあ
 えずは毎朝身支度をするということが、日常への強い支持の表明になるのだと思う。(山崎ナオコーラ) (講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年10月1日号より)  

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2013年10月12日 (土)

暴走する資本主義にプロレタリア文学選集7巻を刊行(森話社)

 大正時代後半から昭和にかけて、社会の格差や厳しい労働の現実を描いた文学の選集「アンソロジー・プロレタリア文学」の刊行が森話社で始まった。「戦争」「事件」などテーマ別に7巻を予定する。
 「貧困」と題した第1巻は、左翼文学運動に傾倒して逮捕され、拷問により29歳で死去した小林多喜二の「龍介と乞食」をはじめ、宮本百合子、葉山嘉樹(よしき)など13人の作品が並ぶ。
 宮地嘉六(かろく)「ある職工の手記」は、継母と折り合いが悪く家を飛び出して職工を目指す少年の姿をつづり、胸を打つ。伊藤永之介「濁り酒」は、秋田の農村を舞台に警察による密造酒の取り締まりを描く。
 編者の文芸評論家の楜沢(くるみさわ)健さん(47)によると、プロレタリア文学は、東西冷戦が終わってから20年、過去の遺物として読まれない時期が続いた。その後、リーマン・ショックが起きた2008年、オホーツク海の悲惨な労働実態を描く多喜二の『蟹工船(かにこうせん)』がブームとなる。
 楜沢さんは「『蟹工船』は近年、弱い者から効率よくやりたい放題に奪い取る『暴走する資本主義』の象徴として読まれた。ブームは過ぎたと言われるが、それは『蟹工船』的なものが東日本大震災後、大きくなり過ぎて見えなくなっただけではないか」と問題提起している。
(読売新聞10月10日付け)

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2013年10月11日 (金)

デジタル化と本の市場について=消費者の可処分時間の奪い合い

 柿内芳文氏は、星海社新書編集長。慶應大学卒業後、光文社に入社。光文社新書『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』などを手がける。2010年、星海社へ移籍。星海社新書『武器としての決断思考』『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』などがある。
 『「若者が本を読まなくなった」の言葉は、本当でしょうか? 僕は大嘘だと思います。事実、僕が光文社新書時代に編集した本は、大学生や20代によく売れていました(新書の平均読者層は50代)。それは「若い人にメッセージを伝えたい」という著者と編集者の強い思いがあり、その層に響く構成・タイトル・文体・コピー・ビジュアル・営業施策などを徹底的に考えたからだと思っています。若者は本を読まないわけではない。単純に、彼らが求める本がないだけだーー』
 『今は消費者の可処分所得ならぬ可処分時間を、コンテンツが奪い合う時代。本は「誰が」「何を」「どういう風に」語るかが命ですが、同様に「誰のために」「何が」「どのように」語られているか、読者はシビアに見極めています。』
 『2年が経った今、断言できるのは「やっぱり若い人は本を読むし、もっと読みたいと思ってもいる」ということ。「武器としての教養」というコンセプトを設定したのも、大学生協をメインの販売場所にしているのも、なるべく若手の新人に書いてもらうのも、若者が集うイベントを定期的に開催するのも、すべては「未来を担う次世代にメッセージを伝える」という目的を実現するため。あくまで本も一つの手段にすぎません。一番大事なのは、やはりなんと言っても、「目的」なのです。』
 (冨田薫氏取材=「新文化」2013年8月1日号より)

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2013年10月10日 (木)

同人誌時評(8月)「図書新聞」(2013年10月05日)志村有弘氏

題「古代を舞台とする中・短編歴史小説に注目」
≪対象作品≫K・ドリー「熟田津」(原点第102号)、西穂梓「玉の髪飾り-天平女人系譜-」(中部ぺん第20号)、川高保秀「盗人三態」(呼第4号)、子形夏世「夢判断」(水晶群第65号)、吉田洋三「吾作」(播火第88号)、村田凛「震える手」(回転木馬第23号)、高山順子「霊能者」(法螺第68号)、平山洋「いじめの風景」(風第15号)
<エッセイ>小川悦子の連載「『杏花村』(2)-眞鍋呉夫先生の思い出-」(新現実第117号)、上原和恵「宮地嘉六と佐賀の関係」(詩誌「扉」別冊文芸特集2013・6月号)、「MOKUTO」第2号は小山龍太郎特集
<短歌、詩は省略>
「大衆文藝ムジカ」創刊。「AMAZON」第460号が西川正明、「詩遊」第39号がみやさかとう子の追悼号。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年10月 9日 (水)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2013年09月06日)白川正芳氏

≪対象作品≫「コブタン」36より須貝光夫「鳩麼羅什の足跡を訪ねる旅」、倉谷ひろたか「詩篇 月に沈む」(「北狄」363号、青森市)、「多島海」(京都府京丹後市)10号、中村靖則「或る本屋の日常」(「青梅文学」28)、「群系」31号の明治の文学特集より永野悟「明治期の出版・ジャーナリズムと文学」・間島康子「国木田独歩」
斎藤洋由起「誕生」(「大衆文芸ムジカ」創刊準備号)、高橋博夫「『無為』のプリズム 現代美術家・間誠論」(「同時代」34)、熊谷のぶよし「『ネヴァ河の幻』出現の経緯」(「ドストエーフスキイ広場」22)、陶山竜子「記憶」(「孤帆」21)、伊藤文子「ものづくりに伝わる先人の心意気」(「ほほづゑ」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年10月 8日 (火)

村上春樹の比喩、隠喩の特性について

 村上春樹はノーベル文学賞候補の筆頭にあるらしい。国際的な評価に加え、今では日本では国民的な大作家と言えるであろう。昔は「宮本武蔵」や「平家物語」を書いた吉川英治が国民的作家と言われた。若い頃、汗かきの友人がいつも汗ふきタオルと吉川英治の「宮本武蔵」の何巻かの1巻を身に携え、人生の指針としていたのを思い出す。純文学とはいいながら、村上春樹はライフスタイルに影響を与えるのだから、大衆小説並みである。文章の比喩が、村上式で詩の一部のような、わかったようでわからないところが、読者を楽しますのかも知れない。
≪参照:「村上春樹 読める比喩事典」刊行で何が見えるのか≫
 こういうファンもいるので、読者を楽しませる術に長けているのである。中には笑ってしまうような奇妙なものもある。植山良氏≪参照:村上春樹さんの例え、比喩、メタファー、名言集

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2013年10月 6日 (日)

文芸同人誌「砂」第123号(東京)

【「九蓮宝燈」木下隆】
 サラリーマンの村田幸治は、会社帰りに職場の仲間と麻雀の最中から小説が始まる。3年ほどの経験であるが、なんと「九蓮宝燈」をテンぱってしまうのだ。手が震え、動作がロボットのようにぎこちなくなる。この書き出しは素晴らしい。スリルと緊張感がたっぷりだ。そして、見事ロン牌が出た。あがりだ。これで、社内でやや軽んじられていた同僚の間で、一目置かれるようになる。高揚感にひたる。しかし、麻雀で同僚から大勝ちして金を巻き上げていることが課長に知られててしまう。やや不安になる。落ち込み感。そして、友人から「九蓮宝燈」をやった人は間もなく死ぬという都市伝説がある事を教えられる。阿佐田哲也も「麻雀放浪記」でその例を書いいている。えっ、となってがーんである。また緊張感。道を歩くにも、信号を渡るにも、細心の注意が必要だ。そんなある日、麻雀で夜遅く帰ると、駅の改札で赤ん坊を抱いた女が立っている。それは、アパートの鍵を失くした妻が、部屋に入れず寒空の下2時間も夫の帰りを待ち続けていたのだ。おお、なんという愛しくも切ない女心だ。しかも、彼女は家計をを切りまわすお金を紛失してしまっていた。村田は麻雀で得た金をそれに充当することにする――。めでたし、めでたしである。これは予想もしない予定調和の結末で、またびっくり。
 じつは私は、この「砂」の形ばかりの同人で、久しぶりに合評会に出たことがある。木下さんの前作を「よくできた作文」と評した。それというのも、彼が文芸作品を書きたいと言ったように思えたからである。それなら、これは作文で文芸ではない、と感想を述べたのである(実にへそまがりな自分である。友達ができないのが当然だ)。すると彼は不当な評価だと怒ってしまった。文章教室の講師も褒めたという。本当は良い作品なのだった。ところが、私の根性が良くない。文芸評論家がほめようが、読者として、最初から結論のあるものなら、社会論文にすればいい。これでは文芸にはならない、と言いがかりをつける。そして「次に私をぎゃふんと言わせるものを書けばいいではないですか」と言い放った。当然であるが、彼はそれに腹の虫がおさまらず、しばらく投稿がなかった。(我ながら悪い奴だと思う)。それが久しぶりに投稿したのが本作である。大げさにいえば、これは短編ながら読者の心をゆさぶり惹きつける「うねり」のつくりは、ドスエフスキーの「罪と罰」に匹敵する。とにかく、木下さんには「ぎゃふん」といわされました。一般論として、大会社に定年まで勤めて、退職後に文学をやるという人はには、自分に文学的センスがないことに気づかない人が少なくないと思っていた。しかし、木下氏の例を考えると、どうもセンスがないのではなく、眠っているだけで、努力でそれを磨きだすことが可能なのだ。それにしても何処までも学んで前進する姿勢には感銘を受ける。木下氏の社会人としての大人の対応に比べ、なんという自分の子供じみた言動なのだろう。ただ懺悔するしかない。いまさら遅いのであるが、いつも自分は反省が遅すぎるのである。
発行所=〒134-0091東京都江戸川区船堀1-3-3-204、牧野方。
紹介者「詩人回廊」北一郎。

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2013年10月 5日 (土)

小説と評論「カプリチオ」第40号2013年夏(東京)

【「花鳥」荻悦子】
 作品は「訪れ」と「赤い嘴」の2編で、ほとんど散文詩である。「訪れ」はこの世では光が落ちる場所があるという。それで言葉は完成しているのだが、それでは世界が構成されない。そこで私の世界を展開する。永井隆夫という画家に教えを受けた彼と私の空間。ここにある私は、鏡の中の私であって、しかもその裏側に存在する。鏡のなかからは花を差し出すが、それを受け取るには鏡の世界に入らねばならない。光と花が映って反射している。「赤い嘴」では、私は鏡の反射投影の作りだした世界に入ってしまう。私はベルギー人となって、白鳥の「赤い嘴」に犯されることを夢見る。詩人の心は時空を飛ぶ。
【特集「NINJA『忍者』という生き方】
 百地三太夫の話が面白い。私自身、信州戸隠山の百地の伝説があると聞いて、取材に出向いた経験があり、そこから上杉と武田の対決に興味をもった。文芸味としては万リー「半分現地、半分自宅の小さな旅」が、うまい。
【「サハリン 埋もれ行く風景」谷口葉子】
 丁寧に書かれているので、読ませられる。叙情のスケールが大きいのが良い。
その他の創作もそれぞれ味わいがある。
発行所=〒156-0044世田谷区赤堤1-17-15、二都文学の会。
紹介者「詩人回廊」北一郎

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2013年10月 4日 (金)

文芸同人誌「人間像」183号(北海道北広島市)

【「天然理心流」石塚邦夫】
 新選組の近藤勇の父周助が内藤新宿の近くに天然理心流の試衛館という道場を開いていたが、他の流派の道場は流行っても、これは三流道場とされ人気がなかった、という。しかし、実戦的であったのか新選組の近藤隊長や土方歳三などの戦いの強さの要因であったという。剣豪に興味のある人には、興味深い資料なのではないだろうか。
【「宮沢賢治の秘密」根保孝栄】
 宮沢賢治といえば「雨にも負けず」の詩が有名だが、これは詩作品として発表されたものでなく、手帳にあったメモで、資料に過ぎないことと、詩として政府によって教科書に採用し、戦争中の国民忍苦の正当化に利用された話がある。その他、宗教的な側面と、異常感覚的な短歌の存在を記している。特に女性に対する心の持ちように独特な精神性をもっていたことが記されている。
【「脱原発へのシナリオを」日下邦子】
 道内の出版社「寿郎社」が「北海道(泊原発)の問題は何か」、「原発を拒み続けた和歌山の記憶」(汐見文隆・監修)を刊行していることがわかり、それを読んで、電力に対する認識が深まる。
【「ヘラクレスは来なかった」福島昭午】
 泊原発に反対運動をしてきたリーダーの記録。その一部を引用して、情報として「文芸同志会のひろば」に紹介しています。
発行所=〒061-1148北海道北広島市山手1-1-10、人気像同人会

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2013年10月 3日 (木)

著者メッセージ: 藤野可織さん 『おはなしして子ちゃん』

 小説は武器だと思っています。
  衣食住にひとまず問題がなくても、生き残っていくためにはおはなしが必要です。それは単純に他人とおしゃべりをし合うことであったり、なんらかの出来事や現象を理解するためにひとまとまりのおはなしをあつらえるこ
 とであったり、おはなしと一口に言ってもいろいろな形がありますが、なかでも小説はたいへん便利な実用品です。
  表題作「おはなしして子ちゃん」には、おはなしをしてもらうとどんどん元気になって力が湧いて来る女の子(仮)が出て来ます。その子がどうなっちゃうかは別として、本書に収録されている10篇が、この世界に無数にあるさまざまなおはなしと共に、あなたを強くするのに役立ちますように。 (藤野可織) (講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年10月1日号より)  

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2013年10月 2日 (水)

西日本文学展望「西日本新聞」2013年09月27日朝刊長野秀樹氏

題「題材への共感」
≪対象作品≫さとうゆきのさん「大貝彌太郎の絵画」(「海峡派」128号、北九州市)、岡林稔さん「中村地平『霧の蕃社』と台湾映画『セデック・バレ』について」(「龍舌蘭」185号、宮崎市)
角田真由美さん「エンプティ・ネスト」(「詩と真実」771号、熊本市)、第7期「九州文学」23号(福岡県中間市)より宮川行志さん「ギンヤンマ」・波佐間義之さん「柿」 。
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年10月 1日 (火)

ボイルドエッグズ新人賞「小さいおじさん」(尾崎英子著)落札出版

 村上達朗さん(60)の主宰する「ボイルドエッグズ新人賞」の受賞作を売り出す出版社を決める日本初の競争入札を今春に実施。落札した文芸春秋から、「小さいおじさん」(尾崎英子著)が10月に刊行される。(「文学賞作品の出版権を競争入札」産経ニュース2013.9.30) 
 入札には6つの出版社が参加。作品の改稿案や初版部数などを提案し、出版権を競った。
 初めてエージェント契約を結んだのは、後に直木賞作家となる三浦しをんさん。早川書房時代に担当した入社試験で、ユニークな作文を書いたが採用に至らなかった女子学生を後日、「サポートするので、小説を書いてみないか」とスカウトした。三浦さんに続き、新人賞で才能を見いだした万城目(まきめ)学さんも次々とヒット作を生み出している。

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