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2013年9月 8日 (日)

文芸同人誌「群系」第32号(東京)

 このところ心身ともに朦朧としてきて、読んでも書くことができない。過去に読んだことがあると思っていた「群系」であるが、もっと柔らかいイメージがあった。勘違いかも知れない。当方の歯が弱くなったのか、読んでも硬くて歯がたたない研究・評論が多い。ただ、読むと。ああそうか、教えられることが多い,。各評論が良く言えば多彩でにぎやか、悪く言えば誰もが気ままでばらばらに語る。自由なサロン文学の集いであろう。うらやましいような感じがしないでもない・
【「お嬢吉三にはなれない」土倉ヒロ子】
 亡くなった祖母と同年代の女性を専門にしたホストクラブを経営し、そのひとりの相手をする若者の行為と心情を描く。生と死と退廃と老生とーー。ボードレールの「悪の華」の世界か。ただ、退廃の美的強度がもうすこし欲しいような気がする。
【「映画『下町』プレスシート」野寄勉】
 この映画は見ていないが、パンフレットをまる写ししているところがあるので、まるで映画館にいるような気にさせられる。楽しく読んだ。原作者・林芙美子の小説の文章は、私はかなり研究的に読んだ。ざっくりしとした生活的な書き方なのに、人間的底辺の詩情と文学性がある。「めし」と一緒に幾度も読んだ。いじましいことだが、当時は、自分だって下積みの苦労があるのだから、彼女の文章世界に迫りたいと思ったことがある。自分の人間的な限界が文章の限界になっていることさとらされた。私が他者の文章に向けて、冷やかなところがあると感じさせるものがあるとすれば、それは自分の限界に対する負け惜しみであろう。
【「国木田独歩―人間独歩・もうひとりの明治人」間島康子】
 独歩は、詩的な散文精神をもって小説に拡大しようとして未完成で世を去った。その生活的な成行きがわかる。私自身は、独歩散文の延長線上に日本文学の展望があると、いまだに考えている。箱根に行くと、湯河原の万葉公園に寄ったものだ。そこの文学館には芥川龍之介に小説材料を提供した文学青年のことや独歩の足跡があって好きな場所であった。本評論で、惜しむらくはタイトルが散漫である。書いてからタイトルを決めるとそういうことがある。ピタッと来るタイトルが出来るまで待って、あらためて推敲すると焦点が合うことが多い。
紹介者=「詩人回廊」 北 一郎

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