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2013年8月12日 (月)

文芸同人誌「海馬」第36号(兵庫県)

【「ウイスキーをくれた男」・「魚の名前」小坂忠弘】
 両方の作品とも、いわゆる散文及び散文小説の部類である。「ウイスキーをくれた男」は、街角で覚えのない男に親しげに声をかけられ、山原ですよ、と言われるが記憶にない。詐欺師かと疑ってみたりするが、その男は競馬で儲けたという札の二つ折りの塊を見せる。警戒心をもって曖昧なまま、男と別れる。そこから、作者のいろいろな記憶が呼び起こされ、その男は本当に知り合いであったかも知れず、そうではないかも知れない様子が語られる。
 「魚の名前」は、近隣にケア付きマンションが出来たというので、入居する状況にもなく、好奇心から見学にでかけ、そこから魚の名前と漢字のうんちく話になる。
 文章家による物語のない話、いわゆる散文の世界をたくみに展開する。このような物語構造のない話は、手法を意識しないと書けない。いわゆる散文精神である。<散文精神>というのは、作家・広津和郎が 昭和11年ころ説いたもので、「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、行き通して行く精神──それはすぐ得意になたりするような、そんなものであってはならない」「じっと我慢して冷静に、見なければならないものは決して見のがさずに、そして見なければならないものに慴えたり、戦慄したり、眼を蔽うたりしないで、何処までもそれを見つめながら、堪え堪えて生きて行こうという精神であります」と説いた。
 「結論をつけるということは、人間の心理的にいって、割合に易しいことである。というよりも、人間の心理は、つい結論に走りたがるものである。結論に走らずには堪えがたくなるものである」
 これらは時代のいやな空気に対して、自分の身近なところを意図的に記して、大衆のムードから一線を画す抵抗精神による手法であった。文章技術が必要で、それを再認識させるところがある。
【「ある精神病日記」山下定雄】
 彼と云う男を意識して、目立ったことをしてやろうと思い、鉄棒にぶら下がるうウンテイをするのだが、その運動の途中経過が心理描写や憶測を交えて詳しく説明される。私自身、腰痛のリハビリに、街角で鉄棒のある公園をみつけると、かばんを脇に置いて、まずぶら下がってみる。そのせいか面白く読んだ。それが精神病とどういう関係があるのか不明だが、まあ、もともと絶対に正しい精神というのが、存在するかどうかも疑問でもある。
発行所=〒657-1116兵庫県加古郡稲美町蛸草1400-6、海馬文学会。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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