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2013年7月 2日 (火)

豊田一郎「日輪賛歌」に読むロマンと虚無の門

 作家・豊田一郎の資質が特徴的に見えるのが「詩人回廊」の「日輪賛歌」である。彼の小説には、熱情とニヒリズムの間を、時代に挟まれながら往き来きする人間精神がよく描かれる。
 この小説は、その前の短編「君が代」と強いつながりをもっている。エピソードの芯となるところに、同じ問題提起がなされている。
 「君が代」では、年老いて施設に入っている父親が、自分の誕生祝いの会で、君が代を絶唱して、施設から出て行方不明になる。彼は、自分自身の世界が展開する自宅に帰れているのか。
 これは、作者の持ち味であるドライハードな乾いた文体にもかかわらず、語らざる人間の運命への悲惨、男の無念というか、哀切の情というか、読んでしばらくは、その余韻に茫然とするしかない。すでに答えのあるものは、貸借対照表であり、算数であって、文芸ではない。ああ、あの「君が代」よ、あの力に満ちた情熱は、生命力は何であったのか……。私は共感の情に打たれ、傑作短編と思った。
 そして、「日輪賛歌」おいて、このテーマはまだそこにある。
 小説の主人公は現在は年老いて、原始生命体としての側面では、子孫の増殖の役目を終え、平和でありながら倦怠感漂う隠居生活にある。過去には、熱い情念をもって、天皇陛下万歳と叫び人びとに囲まれていた。共同体として民族の誇りの共有に満ちていた。現人神の息子として戦場に出た記憶をもつ。
 「神は死んだ」と言ったニーチェは、ワーグナーの音楽のように、力強く活き活きと生きよと説いた。しかし、志高く勇ましく出陣した戦場は、理想もなにも吹き飛んでしまう矮小な、自己保存のためだけの戦いであったのだ。
 やっと生き残って得た平和のなかで、他人事となった他国の戦いへの抗議の象徴、ピカソの「ゲルニカ」を観にいく。そして、かつてあの情熱をかきたて、生きる力を与えてくれた貴きお方は、まさに他人事のように時の中を通り過ぎていく。
 その一方、天照大神以来、日本民族の原始生命体を継承してきた妻は、充実し何のこだわりもなく自信をもって、日輪のごとく燦然と輝く。
 今それが、なぜそうなのか。問いかけをせずにはいられないロマン。仕方がないというニヒリズムもそこにあって、それも否定できない。まさに、豊田一郎の作家精神は、その問いかけの門の前に佇むのである。

 

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