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2013年7月17日 (水)

豊田一郎「再会」に読む戦争の不条理の見せ方

 短編小説「再会」(豊田一郎)は、人間の意識の飛躍する特性を前提に、出来ごとの関係づけと断絶に照明を当てている。≪参照: 「詩人回廊」豊田一郎の庭
 太平洋戦争で、日本の本土を空襲したグラマン爆撃機のパイロットが、地上の牧場にいた少年を射撃するが、不成功に終わる。狙われた少年は、戦後になってアメリカに行き、カジノで遊ぶ。すると、そこでかつてグラマンのパイロットであった男に会い、その男が自分を狙撃した男だと知る。
 リアリティを問題にすれば、現実離れしていて、まずあり得ない設定である。この二人の関係つくりだしたのは、作家の創作力である。物語的な関係づけの意識をもって読まされると、ありそうであり得ない虚構をもって、それが信じられるのである。短い話なのでコントにも読めそうだが、そうでなく受け取れるのは何故か。
 なぜグラマンの操縦士は、打ち損じた少年のしかめっ面を、嘲りと見たのか。そこに日常性を破壊する戦争に狩り出された、非日常的な兵士の心理が見える。同時に少年が観た「赤鬼」は平和な時には、姿を消す悪魔であった。
 つまり、作者は戦争という不条理を、神の視点をもって関係づけて可視化した。そこにこれがコントでなく、小説らしい小説たる所以がある。

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