穂高健一「千年杉」(地上文学賞作品)がネットで読まれる理由
日本ペンクラブ・電子文藝館の『小説』コーナーに昨年9月より掲載された穂高健一の「千年杉」(地上文学賞作品)が、いま突出した1位で読まれていると、クラブの事務局次長が明らかにしているという。
このネットサイトには、初代会長・島崎藤村、志賀直哉、川端康成、現代では井上靖、浅田次郎などの小説も掲載されている。
それらを押しのけて「千年杉」が1位で読まれているというのは、興味深い。
この作品は受賞した時、平岩弓枝や長部日出男、井出孫六など著名な選者が全面一致で賞賛し、珍しいと受賞作だと言わしめたものだ。昨年、電子文藝館で校正する2人(大学教授)が、「校正の意識が外れて読まされてしまった」とするエピソードもあるという。後半の盛り上がりと感動から、読み手の心に強く響いたというのだ。≪参照:日本ペンクラブ・電子文藝館「千年杉」 ≫
作者のサイトである「穂高健一ワールド」(当サイト右下にリンク)は、ここ数か月、大阪からの閲覧者が多くなったという。こうしたことから考えると、穂高氏が文章教室の講師をしていることで、その経歴をみて、どのような作風のものを書くのか知りたいということがあるであろう。また、受賞作品ということで、この賞に応募しようとする人が参考に読んでいることが考えられる。
さらに文章教室の講師は、リーダーあるからその実力を見てから受講しようと考える人もいるであろう。いまの若い人は、そういうことにこだわる傾向がある。最近では穂高氏は本欄でも紹介しているように「海は憎まず」という災害小説を刊行している。そのタイトルが変だ「海は憎まず」でなく「海を憎まず」が正しいのではないか、ということで、論議を呼んだ。その影響もあるかも知れない。
穂高氏の作品には、まず取材する機動力が活かされていること、そこに取材で得た感触から、普通人のようでいてちょっと風変わりな人物を作り出す。主人公の考えていることは我々と同様なのだが、その立場を特別に設定するので、興味を誘うのである。これが大衆性をもたせるのだ。公募文学賞に強い秘訣がそこにあるように思う。
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コメント
*「海は憎まず」は、皆様御存じのように、日本語にある用法です。擬人法ではなくて、海が目的語で、主語は、私、人間と取ることができます。
僕はメロンだ。
勿論、<僕はメロンである>ではない。何を食べるかと いう状況で、「僕はメロンを食べる」。どの果物が好き かと訊かれて、「僕はメロンが好きだ」
メロンは食べる(食べず)。メロンは好む(好まず)。
主語が隠され、メロンが目的語。
投稿: 一読者 | 2013年7月14日 (日) 17時04分
「海は憎まれず」「海は憎まず」
どちらも文法的には問題がない。海を擬人化すると、海が憎む、という言い方も可能だ。
憎むのは人間。しかし海が人間を憎むという言い方もある。
なぜ問題になったかの経過は知らないが・・表現だけ観ると、以上のように考えられるのだが、さて?
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年7月13日 (土) 10時14分