文芸誌「法政文芸」第9号(東京)
本誌を同人誌とは感じていなかったので、後記に中沢けい編集長が第8号掲載の長野桃子「僕の足元にはうさぎがいる」が、雑誌「文学界」の2013年上半期同人雑誌優秀作として5月号に転載されたとあるので、同人誌なんだと認識した。そのほか卒業生の門脇大祐が「黙って食え」で第44回新潮新人賞を受賞したという。
発刊当時は、自分探しのようなテーマの習作的なものが多くて、大丈夫かなあ? まだ、大学生なんだから、大丈夫なんだろうなあーーという感じがしたものだ。同時に教室の指導の影響受けたような気配があり、安定感を漂せていた。
それが、徐々に雑誌らしい企画力が発揮され、同人誌の雰囲気からは抜け出来ていた。成長ぶりが早い。編集長の中沢けい先生は多忙のようだから、そらくスタッフの体制が整ったのか。春の「超文学フリマ」(幕張メッセ)では、特定のブースがあまり盛り上がらない中で、カタログ配布所で、「中沢けい先生がツイッタ―で、こっちきているというんですが、どこに行けば会えますか?」と問い合わせて来る人が多かった。カタログを調べても「豆畑の友」は参加していない。豆畑はかなり動員力があるらしかった。
本誌の読みどころは、インタビュー本谷有希子「楽しんで、考えて、生き抜いてきた」。大江健三郎賞の対談を聴いたので。なかにもタイトル話があるが、このタイトルも「生き抜いてきた」というのがすごい。30代でね。一区切りはあるだろうけど、抜いてはいないでしょう。我々高齢者の世界は抜けきって「あの世」なのかもしれない。
「鉄割アルバトロスケット」の戌井昭人も小説の映画化について書いている。
【「亡国」中村瞳子】
現代人が、小学校時代から、いじめという現象の苗床になっているのは、このような状況であるからか、ということが文学的に理解できる。きっちりと、卒論みたいに着実に書き進んでいく。「野ブタ。をプロデュース」(白岩玄)のオマージュみたいなところもある。
まず、冒頭で自分が自分で好きになれないことが書かれている。自己像の自己否定、自己嫌悪、自己批判的な部分を母親は、すべて見て知っている。主人公は、自己像にもっと御世辞を入れて語って欲しい。あるがままでは嫌で、お姫様的な扱いを夢見る。努力しないで、自己実現したい、天才でありたい。だから自分が肯定できない、という発想が語られる。なるほど、そうなると、いま「自分を好きになる方法」のような本が売れるのもわかる。
そういう自己の容認をしない気分から、お姫様グループのなかに入る。グループには嫉妬と自己所属の位置を確認をしあう。小説として書きやすいので、そうしたのであろうが、はからずも、ある主流グループに所属することで、自己満足を得るという仕組みの上で、話が進む。こういう書き方も可能なほどの社会的な閉塞感をもって亡国としたらしい。登場人物が、仲間外れになって、自由な幸福感をもつということがあってもいいと思わせるので、アニメの世界に向けても、主人公の姿勢と対立軸なくてが絵になりずらい。だから文芸なのか。小さい世界の物語で亡国という大きな物語と対比させたのか。書く姿勢の根気のよさと、窮屈な世界をきちんと書いているのが印象的。こういう限定的な空間を舞台にしたものはライトノベルかアニメの世界に近いのでは。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一
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