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2013年7月31日 (水)

文芸誌「法政文芸」第9号(東京)

 本誌を同人誌とは感じていなかったので、後記に中沢けい編集長が第8号掲載の長野桃子「僕の足元にはうさぎがいる」が、雑誌「文学界」の2013年上半期同人雑誌優秀作として5月号に転載されたとあるので、同人誌なんだと認識した。そのほか卒業生の門脇大祐が「黙って食え」で第44回新潮新人賞を受賞したという。
 発刊当時は、自分探しのようなテーマの習作的なものが多くて、大丈夫かなあ? まだ、大学生なんだから、大丈夫なんだろうなあーーという感じがしたものだ。同時に教室の指導の影響受けたような気配があり、安定感を漂せていた。
 それが、徐々に雑誌らしい企画力が発揮され、同人誌の雰囲気からは抜け出来ていた。成長ぶりが早い。編集長の中沢けい先生は多忙のようだから、そらくスタッフの体制が整ったのか。春の「超文学フリマ」(幕張メッセ)では、特定のブースがあまり盛り上がらない中で、カタログ配布所で、「中沢けい先生がツイッタ―で、こっちきているというんですが、どこに行けば会えますか?」と問い合わせて来る人が多かった。カタログを調べても「豆畑の友」は参加していない。豆畑はかなり動員力があるらしかった。
 本誌の読みどころは、インタビュー本谷有希子「楽しんで、考えて、生き抜いてきた」。大江健三郎賞の対談を聴いたので。なかにもタイトル話があるが、このタイトルも「生き抜いてきた」というのがすごい。30代でね。一区切りはあるだろうけど、抜いてはいないでしょう。我々高齢者の世界は抜けきって「あの世」なのかもしれない。
 「鉄割アルバトロスケット」の戌井昭人も小説の映画化について書いている。
【「亡国」中村瞳子】
 現代人が、小学校時代から、いじめという現象の苗床になっているのは、このような状況であるからか、ということが文学的に理解できる。きっちりと、卒論みたいに着実に書き進んでいく。「野ブタ。をプロデュース」(白岩玄)のオマージュみたいなところもある。
まず、冒頭で自分が自分で好きになれないことが書かれている。自己像の自己否定、自己嫌悪、自己批判的な部分を母親は、すべて見て知っている。主人公は、自己像にもっと御世辞を入れて語って欲しい。あるがままでは嫌で、お姫様的な扱いを夢見る。努力しないで、自己実現したい、天才でありたい。だから自分が肯定できない、という発想が語られる。なるほど、そうなると、いま「自分を好きになる方法」のような本が売れるのもわかる。
 そういう自己の容認をしない気分から、お姫様グループのなかに入る。グループには嫉妬と自己所属の位置を確認をしあう。小説として書きやすいので、そうしたのであろうが、はからずも、ある主流グループに所属することで、自己満足を得るという仕組みの上で、話が進む。こういう書き方も可能なほどの社会的な閉塞感をもって亡国としたらしい。登場人物が、仲間外れになって、自由な幸福感をもつということがあってもいいと思わせるので、アニメの世界に向けても、主人公の姿勢と対立軸なくてが絵になりずらい。だから文芸なのか。小さい世界の物語で亡国という大きな物語と対比させたのか。書く姿勢の根気のよさと、窮屈な世界をきちんと書いているのが印象的。こういう限定的な空間を舞台にしたものはライトノベルかアニメの世界に近いのでは。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年7月30日 (火)

ゲンロン思想地図β vol.4-1の「チェルノブイリ本」予約千部

7月4日に発売の『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』(本体1400円)が現在、アマゾンのオンラインサイト上で一時品切れとなっていると、「新文化」が伝えている。随時追加補充を行なっているが、同社の公式ショップや全国の書店での購入も促してる。同書はゲンロンの東浩紀、ジャーナリストの津田大介、社会学者の開沼博の3氏がチェルノブイリの原発跡地を取材し、まとめたもの。発売前から話題となり、1000冊超の予約となっていた。初版は2万部。
 これくらい売れてくれると活動資金になるでしょうね。「文芸思潮」51号もアマゾンで品切れだそうです。ネットは品切れがないので、たまには読んでください。≪ITOのポストモダン的情報≫原発の実情をまとめています。最近ではいちばん読まれています。

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2013年7月29日 (月)

平野啓一郎「Re:依田氏からの依頼」=石原千秋(早稲田大学教授)

絶妙な、小説の終わり方(産経新聞2013.6.30) 久しぶりに目鼻立ちのしっかりした小説に出合った。平野啓一郎「Re:依田氏からの依頼」(新潮)である。小説家・大野が演出家・依田総作の未知恵夫人から、小説を書いてくれと依頼され、そうして書かれた小説が入れ子型に組み込まれている作品である。特別な工夫ではないが、細部がしっかりしていて、みごとな出来栄えになっている。

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2013年7月27日 (土)

市民文芸愛好者の「文芸同人誌」の周辺・運営編(5) 外狩雅巳

 多くの文芸同人誌六月・七月と私のところへ送られてきました。十誌を超えています。年二回の発行が主流です。
 かっての文壇予備軍的な意気込みは現在の文芸同人誌にはほとんど無く、中高年の趣味として結成され運営されているのが実態です。
 その為、身の丈に合わせた運営という事で年間に二回発行が無理のない線なのでしょう。とはいえ担当者の負担はとても大きいのです。
 会員も仲間意識が保てる十人程度が多いようです。文学街のような五百人規模の会は例外です。相模文芸も30名程度です。
 運営の最重要課題は同人誌の発行配布です。そしてその合評会。さらに会費徴収・会報通知などの組織結束です。担当役員もいます。
 しかし、趣味の会とは言え一部役員または代表者・編集長・主宰が献身的に支えている事も事実です。高齢者の頑張りに頼っています。
 市販の文芸誌に負けない装丁と内容量をもつ同人誌もあり、発行費はかなり掛かります。二百ページ・三百部で六十万円ていどでしょう。
 同人誌は殆ど売れません。内部で分担し負担しているのが実情です。会費・掲載負担金・買い取りなどで賄うノウハウもわきまえましょう。
 大別して以下の四種類があるでしょう。
① 主宰者の負担の多い会
 代表者・数人の賛同者で結成する会はこの手の運営もあります。一人雑誌などを発行する人もいます。熱意で続けます。
② 掲載負担金の会
 一ページの実費は二千円~三千円程度です。作品参加者が負担します。
③ 会費で運営する会。
④ 各種折衷型の会
 殆どの会は会費も合わせた全体会計系の中で苦労して運営しています。
◎文芸好きな方は是非とも自作を活字にしてみてください。仲間と同人会活動を行ってください。
 雑誌ができたら、集まって合評会を行い楽しいひと時を過ごしてみてください。
≪参照:外狩雅巳のひろば
                ☆
  伊藤のコメント=市民文芸という地域を背負ったものだと、体裁を良くするためか、経費がかかるようですね。高いな、と思います。同人誌がそんなに送られてくるなら作品を紹介して下さい。会員ですから、利用可能です。その原則ですが、もしその雑誌を買ったののであれば、読者として批判はOKです。「金をだして読んだのになんだこれは?」というスタイルですね。ただ、向こうが郵送費負担での無料贈呈は、批判しないということです。だって、自分で出費して書いたものです、誰にも迷惑をかけていないのですから、出来がどうであろうと、それは書き手の勝手です、いやなら読まなければいいのです。そこは私のチェックが入りますが。文芸同志会は、全員が集まることがなく、楽しいひと時はないのが、残念のような…。ここも情報交流の場です。でも帰りに今日は時間の無駄だったと悔むこともないのです。

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2013年7月26日 (金)

文芸同人誌「弦」第93号(名古屋市)

【「来たり人」木戸順子】
 主人公の女性は56歳、都会暮らしから鹿森村に草木染めをしたくて転居してくる。旦那の退職金で購入した住まいだが、夫はすでに他界し、一人暮らしである。村では、他所者扱いだが、それなりに近所の趣味の合う住民と交流をする。ちょっとしたことが、気になり、場合によれば何事が起きるかも知れないという緊張感と村暮らしの日々が、静かな文章運びで綴られていく。
 ここでは、小説として自分のスタイルを構築しつつあるという印象の書き方で、安定した筆運びである。ただ、主人公と交際する男性や、女性友達のそれぞれのキャラクターの線が薄い。それが意図的なのか、作品全体のトーンを統一させるためのものか、曖昧な段階のように思える。雰囲気小説としては、面白い物語性を排除して成功している。ベダンチックな芸術性へ向かう一里塚か。
(なお、根保さんのコメントいただき、ありがとうございます。修正しました。どうもご指摘のとおり、「石榴」の木戸順子さんと同姓異名でした。別人ですね。私は勘違いし、てっきり作風を変えたものだと思い、器用な方だと思っていました。木戸博子さんの「石榴」第14号は、別途紹介します。)
【エッセイ「大学にて(2)セクハラ」喜村俶彦】
 各地から同人誌の贈呈を受けるが、最近一番印象に残ったのがこのエッセイである。エッセイではあるが、末尾に(本稿は、いずれも事実を大胆にカムフラージュしてあり、限りなくフィクションに近いものであることをお断りしておきます)とある。つまり、エッセイ風フィクションだということだ。大学の学部長をしている筆者が、セクハラ行為をした講師がいるという噂のあることを知る。そのうちに、地元新聞が大きくそれを取り上げ、全国紙の地方版にも取り上げられて、取材攻勢を受けることになる。結局、筆者は学部長を退任したあとに形式的な懲戒をうける。
 象牙の塔のパワハラ、セクハラ問題は珍しいことではない。このエッセイが、文芸作品としての品質を問題にするなら、書き方が具体的なようで曖昧模糊としているので、取り上げられることはないであろう。ところが、ここは作品を紹介するところである。品質の問題はそれほど大きな比重を持たない。それにしても、おそらく書いた人は、紹介されることをそれほど望まないであろうな、と私は考えた。それではなぜ書くのか、というところに同人誌サークル活動特有の特質があるように思う。ひとつは少人数の仲間にだけ、という気持ち。さらに自からが書くことで、この問題への気持ち整理してみたくなったのかも知れない。皮肉なことに、この文章には職場環境に対する自意識の緊張感が強くにじみ出ている。この作者の自意識緊張感こそ文芸の品質向上の素因があるように思うのだが……。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、中村方。「弦の会」
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年7月25日 (木)

「超文学フリマ」現場レポートを雑誌「文芸思潮」51号(伊藤昭一)発表

 雑誌「文芸思潮」51号に4月に開催の「超文学フリマ」の参加者に独自にインタビューしました。「密閉空間」、「密閉地帯」などのオタクジャンルから始め、増刊号『ヱヴァンゲリヲンのすべて』を発売した『BLACK PAST』、「無職透明」、「男一匹元気が出るディスコ」、「北城駿・わらがいきみと」、「草露の宿り(そうろのやどり)」、「本棚の蔭」、「大正大学文芸同好会」、「傾奇者八人衆@世界制服」、「上智大学紀尾井文学OB会」の大橋崇行さん、「大東文化大学国文学研究会」その他のひとたちに文体論の質問をし、「『超文学フリマ』に観た日本文学の潜在力への挑戦」(作家・ジャーナリスト伊藤昭一)として評論レポートにしました。≪詳細:文芸同志会のひろば
 おそらく「文学フリマ」関連で、10ページにわたる記事が書かれることは稀でしょう。とくに大手メディアは、あまり大きく取り上げることはなかったようです。知ってっている人はしっているのですが、ここでは、それを恐れず一般人にもわかるように社会現象としてに意義が伝わるように、大きな流れを書いています。ただ、新聞記事と同じでは仕方がないので、興味をそそるように、文章にうねりを持たせています。うねりすぎて宙返りをしているところがあり、そこは五十嵐編集長に助けていただきました。
 我が師の作家・詩人の伊藤桂一先生は今年の8月で96歳、私は71歳です。一字違いで親戚と間違われるので、文学活動は北一郎でやっています。こんど、北一郎詩集を自費出版するので、先生に2~3行の跋文をお願いしたら、10枚分も書いてもらえた(「グループ桂」同人のよしみで)。中味を読むと、「北一郎は詩人の言葉を使わない」ーーとしている。そう、私は「手垢のついた言葉」でしか書けない男なのだ。先生は、ちゃんと読んでいるのだ。私も加齢による腰椎変形で腰が痛いが、頑張るしかない。


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2013年7月24日 (水)

「親知らず」  西杉夫     ~読み人・江素瑛

「詩人回廊」詩流プロムナードに移行しました。 「親知らず」  西杉夫    ~読み人・江素瑛

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2013年7月22日 (月)

デジタル化と本の市場= ユーザー無料で、広告「前期の売上げは1億円越え」

 ネット小説の投稿・閲覧プラットフォームを運営する㈱ヒナプロジェクト。「小説家になろう」サイトは、日次で2000万PV、ユニークユーザー80万人を誇る。作家登録者は30万人を超える。「なろう」を運営するのは代表の梅崎祐輔氏が学生だった2004年にサービスを開始、09年に法人化を果たした。
 10年、同サイトに掲載されていた佐島勤「魔法科高校の劣等生」がアスキー・メディアワークスの電撃文庫から刊行され、爆発的なヒット作になってから。とくれば、ユーザーはライトノベルの読者や作家志望と重なっているかと思いきや「高校生や大学生の利用者は多いですが、作家登録者が書ける日記ページでは、既存のライトノベルの話をしているのをあまり見かけません」という。
 ネット小説独自の生態系のなかで日々、膨大な作品が書かれ、読まれている。投稿・閲覧プラットフォームで、重要なのは運営力。たとえば、作品を“自由に”投稿できると言っても、2次創作をはじめとする権利問題、わいせつ表現に関する法規などは無視できない。それらへの対応を、ユーザーとの信頼関係を崩さぬよう迅速に行っていく必要がある。「ネットサービスの提供経験の蓄積がモノを言う世界ですから」、後発の参入者に対する脅威は感じていない。
 同社の収益源は、ほとんどが広告収入。「サイトのユーザーに課金するつもりはありません」。「なろう」はスマートフォン、フィーチャーフォン、PCいずれにも対応し、すべての機能が無料で利用できる。「営利を優先するのではなく、半分ボランティアだと思ってやっています」と冗談めかす。徹底したユーザー志向を。それこそが莫大なアクセス数を生み、その副産物としての広告収入を生んだ。10年以降、右肩上がりの成長を達成しており、「前期の売上げは1億円を越えています」。
 コンテンツビジネスと言えば、作品を有料で販売し、ユーザーへの課金で収益をあげるモデルを出版社の人間は考えがちだが、同社の発想はまったく異なる。「投稿作品の紙での書籍化は、我われにとってはメディアミックス先のひとつという認識ですね。ネット上のサービスを展開している会社ですから、版元になるつもりはありません」。「新文化」2013年5月16日号掲載.
資料 【新文化」2013年2月21日号(飯田一史・ライター)】

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2013年7月21日 (日)

文芸月評6月(2013年7月5日 読売新聞)

生きることを知る
≪対象作品≫若松英輔(44)連載評論「生きる哲学」(文学界)/太宰治賞受賞者オーストラリア在住KSイワキ(42)「さようなら、オレンジ」(『太宰治賞2013』=筑摩書房=収録)/浅川継太(33)「ある日の結婚」(群像)/門脇大祐(27)「蛸の夢」(新潮)/松波太郎さん(30)「LIFE」(群像)/平野啓一郎さん(38)「Re:依田氏からの依頼」(新潮)。(文化部 待田晋哉)

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2013年7月20日 (土)

コメントへの応答

 西田さんのコメントに「柴田錬三郎、安岡章太郎、山田風太郎、僕らはどこかに小説のおもしろさを置き忘れてきたのでしょうかね?」とありました。安岡章太郎が面白いとは、相当の文学オタクですね。そうなのです。大衆が面白いと思うものが、細分化してきているのです。
 古書を販売する友人の話ですと、少し前までは、松本清張、柴田錬三郎、山田風太郎をおけば、店頭で必ず売れたそうです。この人たちこそ天才で偉大な作家だ、といっていました。そして困るのが、持っている本がもったいないと、素人がヤフオクで10円で販売してしまうことだそうでした。営業妨害ですね。さらに、腹を立てていたのは、テレビ特集などでなんでも判り易く簡単に専門分野のことを解説し、わかったような気にさせてしまうので、本物の専門書が売れなくなったことだそうです。これは偽の教養であると言っています。
 こうした現象を経済マーケティングの視点で見ると、時間消費型産業のなかで、消費者の時間消費配分が、変わってきて、読書時間が減っているのです。衰退産業になった分野に逸材は出てきません。それと世界が英語圏にあるため日本語文学は市場が小さいのです。
 日本語を世界共通語にすれば市場が拡大し、作家は年に一冊本を書けば優雅に暮らせるようになり、有能な人材が集まるのではないでしょうか。日本人はタダで小説を書くほど、書き手はいます。コンテンツの宝島です。中国がどうの、韓国がどうのという前に、日本語を世界語にすれば、文化的な世界制覇ができます。天下統一から、世界天下統一ができます。アメリカ人の作家や俳優は、日本のためにだけ本を書き、映画を作っています。流石ですね。日本は文化的な市場では、アメリカより大きいのです。アメリカといえども大衆層に文化人は少ないのでしょう。

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2013年7月19日 (金)

「TSUTAYA」「蔦屋書店」の2013年上半期1位「色彩を持たない」

 カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は7月17日、「TSUTAYA」「蔦屋書店」のうち書籍・雑誌を販売する702店舗の2013年上半期(13年1月1日~6月30日)販売冊数ランキングを発表。
 「書籍総合」の1位は村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)、2位は百田尚樹『海賊とよばれた男 上』(講談社)、3位は『同 下』、4位は近藤誠『医者に殺されない47の心得』(アスコム)、5位は『できる大人のモノの言い方大全』(青春出版社)だった。
 「文庫総合」の1位は百田尚樹『永遠の0』(講談社)、2位は東野圭吾『真夏の方程式』(文藝春秋)、3位は有川浩『県庁おもてなし課』(角川書店)、4位は東野圭吾『カッコウの卵は誰のもの』(光文社)、5位は湊かなえ『夜行観覧車』(双葉社)。

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2013年7月18日 (木)

「第十七回文学フリマ」(11月4日東京流通センター)出店申込み開始

 参照:公式サイト 「第十七回文学フリマ」出店受付開始!(文学フリマ出店要項をよくお読みの上、お申込下さい。)申込締切は2013年8月4日、カタログ編集締切は2013年9月2日。
 今年は一部のサークルは、幕張メッセの「超文学フリマ」の体験後のため、対応策がどう変わるか。変わらないのか、興味津々です。文芸同志会は参加ができれば参加、できなければそれなりに情報を発信していきます。

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「生きているだけで」  相川祐一  

「詩人回廊」の詩流プロムナードに移行~詩の紹介「生きているだけで」  相川祐一~  

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2013年7月17日 (水)

豊田一郎「再会」に読む戦争の不条理の見せ方

 短編小説「再会」(豊田一郎)は、人間の意識の飛躍する特性を前提に、出来ごとの関係づけと断絶に照明を当てている。≪参照: 「詩人回廊」豊田一郎の庭
 太平洋戦争で、日本の本土を空襲したグラマン爆撃機のパイロットが、地上の牧場にいた少年を射撃するが、不成功に終わる。狙われた少年は、戦後になってアメリカに行き、カジノで遊ぶ。すると、そこでかつてグラマンのパイロットであった男に会い、その男が自分を狙撃した男だと知る。
 リアリティを問題にすれば、現実離れしていて、まずあり得ない設定である。この二人の関係つくりだしたのは、作家の創作力である。物語的な関係づけの意識をもって読まされると、ありそうであり得ない虚構をもって、それが信じられるのである。短い話なのでコントにも読めそうだが、そうでなく受け取れるのは何故か。
 なぜグラマンの操縦士は、打ち損じた少年のしかめっ面を、嘲りと見たのか。そこに日常性を破壊する戦争に狩り出された、非日常的な兵士の心理が見える。同時に少年が観た「赤鬼」は平和な時には、姿を消す悪魔であった。
 つまり、作者は戦争という不条理を、神の視点をもって関係づけて可視化した。そこにこれがコントでなく、小説らしい小説たる所以がある。

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2013年7月16日 (火)

「新同人雑誌評・対談」勝又浩氏・伊藤氏貴氏「三田文學」夏季号2013.08.01発行

《今号で取り上げられた作品》
中村徳昭「産業祭」(「30」4号、東京都江東区)/石田出「双子」(同上)/柳瀬直子「地獄曼荼羅」(「季刊作家」79号、愛知県稲沢市)/吉田真枝「無灯火」(「詩と眞實」764号、熊本市南区)/橘雪子「お産婆池」(「小説π」11号、さいたま市大宮区)/淘山竜子「在り得べき日」(「婦人文芸」93号、東京都品川区)/斉藤よし子「ゆらめき」(同上)/野元正「年神さんの時間」(「八月の群れ」56号、大阪府島本町)/葉山ほずみ「後追い同情クラブ」(同上)/高木康衣「Allegro Vivace」(「ガランス」20号、福岡市博多区)/朝岡明美「落とし物を捜して」(「文芸中部」92号、愛知県東海市)/折合総一郎「音の記憶」(「法螺」67号、大阪府交野市)/西村郁子「ロータスルート」(「せる」92号、大阪府東大阪市)/川上一翁「憲法二十七条のピラミッド」(「TEN」98号、名古屋市緑区)/乾夏生「奇妙な恩人」(「槐」29号、千葉県佐倉市)/天見三郎「二十年目の落とし文」(「黄色い潜水艦」57号、奈良県奈良市)/山田梨花「揺れながら」(「とぽす」53号、大阪府茨木市)/塚越淑行「あの日の彼遠い町」(「まくた」279号、横浜市戸塚区)/鮎川とも「血赤サンゴ」(同上)/崎本恵「残照の帳」(「糾う」15号、熊本県天草市)/北島去男「オトツイ、来やがれ」(「ふくやま文学」25号、広島県福山市)/木島丈雄「ヒーヒー族の伝説」(「九州文学」21号、福岡県中間市)/小野誠二「日曜日でも参りまーすッ」(「北狄」361号、青森県青森市)/古田留美子「ドゥクンドゥクン」(「ちょぼくれ」67号、群馬県前橋市)/滝沢玲子「空を見上げて」(「あべの文学」16号、大阪市天王寺区)
●ベスト3
勝又氏:1.吉田真枝「無灯火」(「詩と眞實」)、2.中村徳昭「産業祭」(「30」区)、3.橘雪子「お産婆池」(「小説π」)
伊藤氏:1.吉田真枝「無灯火」(「詩と眞實」)、2.中村徳昭「産業祭」(「30」区)、3.朝岡明美「落とし物を捜して」(「文芸中部」)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年7月15日 (月)

文芸同人誌「相模文芸」第26号(相模原市)

 本誌は相模原市を拠点とする地域の文芸愛好家による同人誌である。これこそ「民芸文学」であろう。地域の文化的な施設やショップに置いてあるようだ。たしかに、相模湖の行楽スポットの土産物店に、この雑誌が置いてあっても、ごく自然に感じるであろう体裁である。おそらく、合評会を行っても、作品の芸術性よりもサークル活動の充実性を重んじるはずである。風土にあった民芸作品が多く掲載されている雑誌に思える。
 ところが実際は、あまりそういう地域性こだわった作品はほとんどない。自由に純粋な文芸活動の成果が盛り込まれている。全体的には、相模の文人たちという感じである。
【「原稿用紙にかけた夢」登芳久】
 作家の原稿用紙にまつわる話を、豊臣秀吉の時代から現代までを股にかけて引用、事例を挙げて解説している。事例と引用があって、それが大変文学的で、その調査力には、驚かされる。現在の原稿用紙に近いものができたのは頼山陽が考案したもので、古いものでは、藤原貞幹が「好古日録」を作成するときに使用したもので、20×20の木版刷り。静嘉堂文庫に現存するという。また、与謝野晶子の「乱れ髪」の誤植にも触れている。さらにここでは、森敦「月山」の下書き302枚の事や、最近では田中慎也エッセイ集「これからもそうだ」(西日本新聞社)で「読書が教養として定着していた時代は高度成長とともに終わったのだから、筆一本で生きてゆくのは非常に厳しい」と記していることが書いてある。
【「水の上」五十嵐ユキ子】
 あの世とこの世の境目を題材した話。口語文体が活き活きとしていて、退屈しない。
【「ピラミッドの謎探求―何でも探偵団第1弾」竹内魚乱】
 何かと思ったら、エジプトの旅行記をガイド本がわりに探索記にしたらしい。一工夫というところか。
【「“粋”なお話」出井勇】
 有名人の裏話で、へえ、へえ、と感心するばかり。芸能記者をしていたのだろうか。事情に詳しい。普段のメディアは、芸能ニュースが欠かせない。それを入れないと、視聴率が取れないからだ。そういう意味で、一般読者にはこの作品が一番魅力があるような気がする。
【「血を売る」外狩雅巳】
 ネット「詩人回廊」で発表したものを、加筆してエッセイにしたもの。「詩人回廊」では、詩的な飛躍があった。今はない売血という歴史的な出来事が象徴的に感じさせるものがある。本誌では、それを判り易く説明を加えエッセイ調を強めたものになっている。時代の移り変わりと叙情的な味をつけた貧困ばなしに移行しているようだ。
【「大泉黒石著『オランダ産』の中の『ジャン・セニウス派の僧』をめぐって(一)」中村浩巳】
 大泉黒石という人が、太平洋戦争について、偽装反戦論を唱えたらしい。どこの国でも国民をかっとさせないと、戦争をしようとしない。しかし、一度その気になった空気のなかで、反戦を主張したら国賊扱いされる。とめるのはむずかしい。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年7月14日 (日)

モデルの押切もえ氏が小説家としてデビュー

  モデルの押切もえ(33)が小説家としてデビューするという。8月7日に小学館から処女小説『浅き夢見し』を発売するが、「その出来がかなりいい」(編集関係者)と評判。 「小学館が出版するファッション誌『AneCan』が押切の本拠地ですから、通常ルートから発売することになったようですが、本人は文学賞の新人賞に応募することも考えたようです」モデルがエッセーを出したり、ファッションブックを出したりすることはお決まりの稼ぎ方だが、「イベントのたびに結婚願望を口にしていた押切が、なかなか結婚できない。どうも男運がない」とファッション関係者も残念そうに明かす。

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2013年7月13日 (土)

詩の紹介 「きみはもう歳をとらない」 北原 溢郎

 「きみはもう歳をとらない」   北原 溢郎

きみはもう/歳をとらない/きみは僕のなかで変幻する/僕は若くなる
ふたりは/紀伊半島の/知らない海岸の砂浜にいる/大きな足跡/小振りな足跡砂浜につづいている/そして/きみの足跡が消えてしまった
きみはもうもう歳を取らない/もう/こんなにも歳の差が大きくなってしまった
「松本詩集」第十四号より(2013年 6月 松本市 松本詩人会)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
麗しい少女少年の時期であったのでしょう。亡くなったきみに捧げる詩のようです。記憶の永遠なイメージに胸に潜めた愛おしさと無念さ。「歳を取りたくない」と人々よく嘆きますが、人間は死ぬまで歳を取る、死んだ後、悲しくも歳を取ることができなくなる。人はやはり生きて歳を取りたいものです。ああ、年々歳々、歳を取ってゆく人々よ、感謝しましょう。

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2013年7月12日 (金)

文芸同人誌「季刊遠近」第50号記念特集号

 本号には「バックナンバー一覧」がある。創刊号は1996年、その目次に久保田正文「古い記憶の底から」がある。編集後記によると、本誌は朝日カルチャーセンター「小説の作法と鑑賞」講座の久保田正文講師からはじまったという。久保田氏が故人となってから、当時、法政大学教授で文芸評論家の勝又浩氏が合評会に迎えられているーーという経過がわかる。今回は過去の掲載作品を推敲や改稿したものが多いらしく、いくつか既読感のある作品があった。
【「文化の力」勝又浩】
 勝又氏は、私の母校である元法政大学の文学部の教授である。私はマルクス経済学専攻であったので、文芸の芸術性よりも社会的な意義を重視してきている。それでも、ここに記された、日本画や能の美についての話は納得できた。日本人の伝統的な文化力に俳句や短歌を生活に組み入れてきた流れに文芸同人誌の存在があるとするのだ。たしかに江戸時代「北越雪譜」(鈴木牧之)の生まれた地域の社寺には、何十万という俳句が奉納されているそうである。私のかつての体験でも、黒姫山から一茶記念館に向かう街道の家並の軒には筆の俳句と提灯が下げてあった。その詩心表現の民衆の意欲と根深さに、感銘を受けた記憶がある。私なりにこうした日本人の精神を柳宗悦に倣って「民芸文学」と名付けている。文芸同人誌も範疇に入るのだが、この用語を使ってまだ評論を書いていない。
 ついでに、「文芸同人誌評」と私の「文芸同人誌作品紹介」との違いを一部記しておこう。文芸批評や同人誌評における「評」には評価であり、価値を論じるという意味がある。経済学でいうと価値とは市場価値である。もうひとつ芸術的価値というものがある。おそらく尾崎紅葉が同人雑誌を作った時代背景には、作品に「市場価値」と「芸術価値」が同時に存在するという考えや仕組みがあったのであろう。
 ところが、私が昭和40年代に所属していた同人雑誌の会の主宰者は、書くことそのことによって人生を有意義に過ごそうという思想の持ち主であった。そのため、同人雑誌に書くと「よく書きましたね」という、メモが必ず入っていた。書くという行為を評価したのである。であるから「仕事や生活に追われて、書くことができない」という悩みを打ち明けると、「それなら頭のなかで書いていなさい。心になかで書いていなさい」と説いたものである。市場価値や芸術的な価値の評価以前のものであった。
 私はこの主宰者の指導に傾倒した。今でもその思想に従っている。ここから、私は社会環境を反映した生産物の紹介「作品紹介」という発想を持ったのである。このことは、同人誌を「民芸文学」として位置付けることと矛盾しないと思う。そして、書くという行為によって書き物を生産するのであるから、その品質の良いものを生産したいという発想が生まれる。そうすると、経済社会には「品質工学」というジャンルがあって学会まである。今回、たまたま難波田節子氏の小説が掲載されていたが、彼女の小説が、多少のバラツキがあるものの、高品質なところで安定しているのは何故か?ということも分析できる。――長くなるので、これまでにします。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2013年7月11日 (木)

穂高健一「千年杉」(地上文学賞作品)がネットで読まれる理由

日本ペンクラブ・電子文藝館の『小説』コーナーに昨年9月より掲載された穂高健一の「千年杉」(地上文学賞作品)が、いま突出した1位で読まれていると、クラブの事務局次長が明らかにしているという。
 このネットサイトには、初代会長・島崎藤村、志賀直哉、川端康成、現代では井上靖、浅田次郎などの小説も掲載されている。
 それらを押しのけて「千年杉」が1位で読まれているというのは、興味深い。
 この作品は受賞した時、平岩弓枝や長部日出男、井出孫六など著名な選者が全面一致で賞賛し、珍しいと受賞作だと言わしめたものだ。昨年、電子文藝館で校正する2人(大学教授)が、「校正の意識が外れて読まされてしまった」とするエピソードもあるという。後半の盛り上がりと感動から、読み手の心に強く響いたというのだ。≪参照:日本ペンクラブ・電子文藝館「千年杉」 ≫ 
 作者のサイトである「穂高健一ワールド」(当サイト右下にリンク)は、ここ数か月、大阪からの閲覧者が多くなったという。こうしたことから考えると、穂高氏が文章教室の講師をしていることで、その経歴をみて、どのような作風のものを書くのか知りたいということがあるであろう。また、受賞作品ということで、この賞に応募しようとする人が参考に読んでいることが考えられる。
 さらに文章教室の講師は、リーダーあるからその実力を見てから受講しようと考える人もいるであろう。いまの若い人は、そういうことにこだわる傾向がある。最近では穂高氏は本欄でも紹介しているように「海は憎まず」という災害小説を刊行している。そのタイトルが変だ「海は憎まず」でなく「海を憎まず」が正しいのではないか、ということで、論議を呼んだ。その影響もあるかも知れない。
 穂高氏の作品には、まず取材する機動力が活かされていること、そこに取材で得た感触から、普通人のようでいてちょっと風変わりな人物を作り出す。主人公の考えていることは我々と同様なのだが、その立場を特別に設定するので、興味を誘うのである。これが大衆性をもたせるのだ。公募文学賞に強い秘訣がそこにあるように思う。

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2013年7月10日 (水)

同人誌季評<小説>4~6月「毎日新聞」西日本地域6/22(土)朝刊・古閑章氏

題「人間模様」共生の思想に支えられ
斉藤てる「百年の綿菓子」(『詩と眞実』第766号)、野見山潔子「台地からの風」(『火山地帯』第173号)、岩男英俊「蛇と注連(しめ)縄」・木島丈雄「ヒーヒー族の伝説」(ともに『九州文学』第21号)、西村敏道「遙かなるそよ風」(『飃』第92号)、松本文世「芹さんのショール」(『南風』第33号)、藤民央「当世高齢者気質」(『原色派』第67号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年7月 9日 (火)

TPPでどうなる? 「青空文庫」と電子書籍、コミケ

日本では小説、コミック、音楽など著作権の保護期間を死後50年、映画は公表後70年と著作権法で定めている。ネット書籍の「青空文庫」は、この法律に基づき、電子書籍のコンテンツ不足をカバーし、市場に貢献している。
 それが、日米事前協議の前に日本政府は、著作権は「保護期間を少なくとも権利者の死後70年間とする」と明記したという。(日本経済新聞情報)そうなると、保護期間を延ばすには著作権法の改正が必要だ。
 著作権の保護期間は世界では死後70年が主流だという。半面、2次創作やパロディー作品が取り締まりの対象になりかねず、創作活動の妨げになるとの指摘もある。≪参照:暮らしのノート「文芸同志会」のひろば
 

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2013年7月 8日 (月)

詩の紹介 「帰郷――石原吉郎に」郷原宏

帰郷――石原吉郎に      郷原宏 

そこに立つ/そこに座る/そこにうずまる/川を見る/ただ川を見る/風を聴く/ただ風を聴く/なにも考えない/あるいは/なにも考えないことについて考える/そこがあなたの位置/そこがあなたの姿勢
その川はアンガラ河の支流/アンガラはバイカル湖に源を発し/凍原を貫いてエニセイ河に注ぐ/ユニセイは北流して北極海に至る/北極の氷は溶けて日本へ流れる/川のほとりでその海を見る/海を流れる川を見る/何も望まない/あるいは/何も望まないことを望む/それがあなたの条件/それがあなたの姿勢
そして八年/窓の外でピストルが鳴り/待ちかまえた時間がやってくる/川はあふれて岸を浸し/風は渦巻いて脊柱をめぐり/馬たちは空洞を走り/クラリモンドは自転車にまたがり/ロシナンテは故郷をめざす/最も善き人々をあとに残して/それがあなたの沈黙/それがあなたの耳鳴りのはじまり
「郷原宏詩集」より(2013年5月30日,東京・土曜美術出版販売)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
 戦争中シベリアに八年拘留、肉体的強制労働に従事させられた石原吉郎の精神につながる詩です。その苦難時代に体現した、望郷の情念を胸に収めては川の流れに連れられて帰郷する想い、「そこに立つ/そこに座る/そこにうずまる/川を見る/ただ川を見る/風を聴く/ただ風を聴く」と詩が流れていくなか、「その川はアンガラ河の支流/中略/北極の氷は溶けて日本へ流れる/川のほとりでその海を見る」どうにもならない放心状態の石原吉郎のその時代にとって唯一の欠かせない存在、位置を確認しています。

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2013年7月 7日 (日)

文芸時評(6月)毎日新聞(6月25日)田中和生氏

書き手たちの成果/「いま」語られたい言葉
≪対象作品≫
 楊逸「流転の魔女」(文学界」連載・(文芸春秋)/藤野眞功・作品集「アムステルダムの笛吹き」(中央公論新社)/蜂飼耳・作品集「空席日誌」(毎日新聞社)/門脇大祐「蛸の夢」(新潮)/浅川継太「ある日の結婚」(群像)/伊東祐史・評論「『大菩薩峠』を都新聞で読む」(論創社)。
         ☆
 伊東祐史・評論「『大菩薩峠』を都新聞で読む」(論創社)という本には、中里介山の大河小説が、都新聞に連載さたものとちがって、単行本では初出の半分ほどに削ってあるという。初出の方が圧倒的に優れていることを論証しているのだという。ええっ、と驚く話である。

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2013年7月 6日 (土)

同人誌時評(6月)「図書新聞」(2013年06月29日)志村有弘氏

題「歴史・時代小説、現代小説の佳作多数」
森岡久元「中橋稲荷の由来」(別冊關學文藝第46号)、野見山悠紀彦「柳雪暗闇草子 残日の抄」(九州文學第544号)、五十嵐崇「春宵夢幻 高藤の内大臣の語」(断絶第112号)、木島丈雄「ヒーヒー族の伝説」(九州文學第544号)、鈴木重生「クロイツェル・ソナタ」(小説家第138号)、前之園明良「夢の世なれば…」(酩酊船第28号)
評論では「詩界」第260号「地域からの視点」より及川馥「茨城の詩人たち」・佐々木久春「秋田の詩人たち」、同誌より載山田兼士「大阪八尾と萩原朔太郎」、「タクラマカン」第50号より島尾伸三「夢を見ました」・寺内邦夫「開門」・萩原康則「髪を切る女」
「酩酊船」が28集で終刊
創刊は「きせがわ」、「CROSS ROAD」
追悼号は「天塚」第218号が楠田雅一・橋詰定雄、「碑」第100号が上坂高生、「海峡派」第127号が永吉豊、「相聞」第49号が宮崎徳子、「ドストエーフスキイ広場」第22号が小山だチカエ、「女人随筆」第129号が大重千寿子、「文芸長良」第26号が山田賢二・吉田幸平
詩・短歌の記述省略
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年7月 5日 (金)

文芸同人誌評「週刊読書人」(2013年05月31日)白川正芳氏

塚田吉昭「横須賀線に乗って、村上春樹について考えたこと」(「カプリチオ」39号)、水口道子「結婚騒動」(「あらら」4号、香川県三豊市)、「MON」2号より水無月うらら「あらたま」
創刊号は「きせがわ」、「CROSS ROAD」
伊藤幸雄「PPK」(「海峡派」127号)、岡田安里「仕事とお金」(「婦人文芸」93号)、登芳久「昭和文人の記憶」(「文芸軌道」4月号)、今川英子「宗左今のふるさと」(「左岸」50号)、「芹さんのショール」(「南風」33号)、上原和「ヨハネス・フェルメールへの慕情」(「成城文芸」221号)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)

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2013年7月 3日 (水)

穂高氏が、高間省三と最新式短銃の貴重な写真を公開

 午前中は東京ビッグサイトの国際ブックフェアの取材で、午後は秋葉原で穂高健一氏など伊藤桂一氏の指導による同人誌「グループ桂」のメンバー会合に出席。穂高健一氏は歴史小説の執筆に取り組んでいるそうで、取材活動のなかで、貴重な写真の所在をつき止めたという。≪参照:穂高健一ワールド「高間省三と最新式短銃=龍馬すらも写していない」≫ 現在、歴史小説は、売れる手堅いジャンルとされ、現代物しか書かなかった作家が時代小説を手がけるようになった。上田秀人氏は歯科医のかたわら、時代小説を書いて売れる作家の仲間入りを果たしたようだ。村山記念小説教室の出身だ。ずいぶん沢山矢継ぎ早に書いていたのだが、それでも3、4年前までは歯科医の収入に及ばなかったという噂をきいたことがある。8年目となれば、もう中堅で刊行する出版社の数が増えている。穂高氏は「海は憎まず」を刊行したばかりだが、期待の新人作家になる道筋ができつつあるようだ。

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2013年7月 2日 (火)

豊田一郎「日輪賛歌」に読むロマンと虚無の門

 作家・豊田一郎の資質が特徴的に見えるのが「詩人回廊」の「日輪賛歌」である。彼の小説には、熱情とニヒリズムの間を、時代に挟まれながら往き来きする人間精神がよく描かれる。
 この小説は、その前の短編「君が代」と強いつながりをもっている。エピソードの芯となるところに、同じ問題提起がなされている。
 「君が代」では、年老いて施設に入っている父親が、自分の誕生祝いの会で、君が代を絶唱して、施設から出て行方不明になる。彼は、自分自身の世界が展開する自宅に帰れているのか。
 これは、作者の持ち味であるドライハードな乾いた文体にもかかわらず、語らざる人間の運命への悲惨、男の無念というか、哀切の情というか、読んでしばらくは、その余韻に茫然とするしかない。すでに答えのあるものは、貸借対照表であり、算数であって、文芸ではない。ああ、あの「君が代」よ、あの力に満ちた情熱は、生命力は何であったのか……。私は共感の情に打たれ、傑作短編と思った。
 そして、「日輪賛歌」おいて、このテーマはまだそこにある。
 小説の主人公は現在は年老いて、原始生命体としての側面では、子孫の増殖の役目を終え、平和でありながら倦怠感漂う隠居生活にある。過去には、熱い情念をもって、天皇陛下万歳と叫び人びとに囲まれていた。共同体として民族の誇りの共有に満ちていた。現人神の息子として戦場に出た記憶をもつ。
 「神は死んだ」と言ったニーチェは、ワーグナーの音楽のように、力強く活き活きと生きよと説いた。しかし、志高く勇ましく出陣した戦場は、理想もなにも吹き飛んでしまう矮小な、自己保存のためだけの戦いであったのだ。
 やっと生き残って得た平和のなかで、他人事となった他国の戦いへの抗議の象徴、ピカソの「ゲルニカ」を観にいく。そして、かつてあの情熱をかきたて、生きる力を与えてくれた貴きお方は、まさに他人事のように時の中を通り過ぎていく。
 その一方、天照大神以来、日本民族の原始生命体を継承してきた妻は、充実し何のこだわりもなく自信をもって、日輪のごとく燦然と輝く。
 今それが、なぜそうなのか。問いかけをせずにはいられないロマン。仕方がないというニヒリズムもそこにあって、それも否定できない。まさに、豊田一郎の作家精神は、その問いかけの門の前に佇むのである。

 

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2013年7月 1日 (月)

文芸同人誌「奏」2013夏

【書評「勝呂奏著『評伝小川国夫―生きられる“文士”』阿部公彦】
 表題の書(勉誠出版)は、著者であり、本誌の編集者でもある勝呂奏氏が、2013年度静岡県文化奨励賞を受賞している。紀伊国屋のHPからの許諾済み転載である≪参照:書評空間≫ 東京新聞でも、芹沢光治良の研究会のメンバーとして、活動が紹介された。また(産経ニュース20013年5月29日)では、下記のような記事になっている。
 『小川作品を掘り起こす動きは盛んだ。昨年10月にはデビュー前の未発表短編を集めた『俺たちが十九の時』(新潮社)と、桜美林大学教授の勝呂奏(すぐろ・すすむ)さん(57)による『評伝 小川国夫 生きられる“文士”』(勉誠出版)が刊行された。季刊誌「アナホリッシュ国文学」(響文社東京分室)でも、未発表で未完だった小説「無題」が連載されている。戦時中に学徒動員された自身の体験が投影された原稿用紙190枚の中編で、編集長の牧野十寸穂(ますほ)さん(70)は「死が心に張り付いた少年の震えとざわめきを、声高な戦争批判ではなく、透明感のある乾いた調子でつづる。未完とは思えないほど完成度は高い」と話す。9月発売予定の第4号で連載は終了するが、単行本化に向けた話も進む。
 小川さんは同人誌「青銅時代」を創刊し、昭和32年に小説『アポロンの島』を自費出版。作家、島尾敏雄(1917~86年)に新聞紙上で激賞されて本格デビューを果たしたのは37歳のときだった。自宅の資料整理を依頼され、一連の未発表原稿を見つけた勝呂さんは「文壇に認知されるのが遅い分、発表のあてがなく書かれた草稿は多い。未発表作品がさらに出る可能性はある」と話す。』
 本誌でこれまで、もし短編小説が掲載されていなかったら、文体研究書としての紹介であったかも知れない。私は、それほど小川国夫の作品を読んでいるわけではないが、小川作品の文体の特徴を知ることができた。私にとっては高度過ぎる内容だが、文体に興味のある人にはお勧めである。私自身はかつてコピーライターをしていた時期に、いかに判りにくい言葉を避けるか、という視点やその時代の文章リズムを吸収するという作業に関心があり、別の意味で文体には関心が強かったのである。
【掌編二つ「ペッサァ遺文」「She has gone……」小森新】
 この2編は、故・小川国夫の文体を模したという但し書きがある。見事と言うか、ここまで文体がトレースできるということは、作者名はペンネームであろうと、思うしかない。「ペッサァ遺文」は、聖書を題材とした宗教的な古事を語る。文体は「アポロンの島」の系統で、視線が地上と天との中間点というか、一定の時間的な距離感をとって安定している。神を意識した宗教的な色彩もつ。
「She has gone……」の方は、地上人である男の愛の揺らぎを独白体で語る。詳しい知識はないが、小川国夫の後期を意識したのかも知れない。
 その他、今号には芹沢光治良に関するものや小川国夫の資料原稿「ノルウェーの旅」など貴重なものがある。
発行所=〒静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂片、
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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