« デジタル化と本の市場について=「自分でも書けるかも」と創作者に | トップページ | 文芸同人誌「札幌文学」79号(札幌市) »

2013年6月18日 (火)

外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学(詩抄)に対応して

 会員の外狩さんが、「詩人回廊」に次のような意見を述べています。そこで、私が特別に(?)対応して意見を述べてみます。外狩さんは、
 「私はこのプロレタリア論考を続けたのは読者の深い認識と意見が欲しかったのです。私が学んだ事は講師の書物や党の発表で何度も周知された物です。
 図書館に行けばプロレタリア文学の詳しい解説書はいくらでも読めます。きっとこのサイトの読者は熟読していると思い書いてきました。
 しかし、コメントを見る限り、プロレタリア文学の理論を基礎にしたり戦前戦後の共産党文化政策に熟知したアドバイスはいただけませんでした。
 当初書いた、正しい方法での文化運動での勝利の件は今回の事です。政治と文学論争で決着がついていないのではないでしょうか。」≪参照:我が創作とプロレタリア文学(詩抄)(5・完)外狩雅巳
 これには外狩氏の作家としての問題意識が書かれています。文学的表現は、あくまで個人的なものであり、他人と同じテーマで同じように書く人はこの地球上にはいません。もし、私が外狩りさんと同じ意識でいたら、アドバイスなどしないで、それに沿った作品を書いて発表しているでしょう。そうすると、外狩さんの作家としての存在は不用となります。外狩氏の主張は、自らの表現にかかわる問題意識を他人に考えて欲しいということなのでしょうか。誰も反応しないのは、外狩さんという作家が、この問題に関して世界でただひとりであることの証明だと思います。文学は個人だけの自己表現で、そこに仲間はいません。男も女も孤独に表現を磨いて勝負しましょう。
 ちなみに、最近の労働者文学の動向を探ってみたら、下記のような現状もあるようです。若者たちもも現代の「蟹工船」に挑戦しているようです。
 学生の就職難、非正規雇用の増加などを題材に20~30代の新鋭作家たちが現代の職場を描き、社会のひずみを浮き彫りにする作品を書いている。『スタッキング可能』(河出書房新社)が第26回三島由紀夫賞候補に選ばれた松田青子氏(33)。2万部売れているそうです。
 三島賞候補で次点の小山田浩子氏(29)の『工場』(新潮社)も、敷地内をバスが走る巨大な工場で働く従業員個々の仕事はこと細かく描かれるのに、全体として何をつくる工場なのかは一向に分からない。仕事が極度に細分化された社会で働く不条理を描いているそうです。作者は広島大学卒業後、編集プロダクションや眼鏡店など複数の職場を転々とした。そのうち派遣社員として1年弱働いた地元の自動車工場での体験が下敷きになっている。「外から見たら変だなと感じるはずの職場のコードに、何日もすると自分も同化してしまう。それは、おもしろくもあり恐怖でもある」そうです。
 このサイトもそうした時代の空気を読む手掛かりとして読んでいただけたらーーと思います。

|

« デジタル化と本の市場について=「自分でも書けるかも」と創作者に | トップページ | 文芸同人誌「札幌文学」79号(札幌市) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« デジタル化と本の市場について=「自分でも書けるかも」と創作者に | トップページ | 文芸同人誌「札幌文学」79号(札幌市) »