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2013年6月13日 (木)

外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学論考」(1)について

 外狩氏の「我が創作とプロレタリア文学論考」(1)について、感想を述べてみましょう(会員ですから)。最初に思うのは「そうなんですか」ということですね。要するに、プロレタリア文学の文体が好きなことと、自分が労働運動をしたことがあるので、外狩氏の作品に影響をあたえたようです。
 ここでの話は、文学論ではなく、社会・政治運動の話としての文学作品執筆のことのようです。なかに「先ごろの『蟹工船』ブームはまさに喜劇としてしか展開しませんでした。出版資本が大儲けしただけの喜劇だと思います。」というのは、説明不足ですね。プロレタリア文学への読者回帰によって、出版社が潤うのは多いに結構だと思いますけれど…。
 それに「蟹工船」がヒットしたのは、それを原作にしたマンガがヒットし、それに触発されて原作小説が注目されたのです。マンガ・コミックの時代にコンテンツ不足が招いた現象でしょう。そして、ちょうど、ホラー小説が流行っていますので、あれが労働者のタコ部屋の恐怖話として、受け入れられたのだと思います。それに小泉政権が、製造業に派遣制度を認める法律を成立させたので、肉体労働者がホームレスになり、年越し派遣村の騒動が起きて、労働者の立場の弱さと恐怖が理解できたためでした。
 現在は、原発労働者のなかにそれが起きています。そして、それを現代の視点でみると、小林多喜二の描いた労働者の虐げられた実態を生々しく描くという手法と、いまの市井の人の生活を描いた作品と比較できるということです。おそらく外狩氏の作品は、労働者の視点で作品を描くということだけが共通しているのではないでしょうか。我々の生活の裏に潜む恐怖を描くことは、意味があると思います。外狩氏は、現代においてどのような視点をもつのでしょうか。
 この手法の訴求力の強さは、当時の芥川龍之介などの芸術ディレッタンッティズム派をも脅かすほどの強さがあったのです。その強みは、現在にも受け継がれています。結局、日本人は、生活描写中心文学がすきなのでしょう。
 ただ、小林多喜二は、銀行員でブルジョワであったと思います。また、思想犯で刑務所暮らしはしましたが、葉山嘉樹もまた、娑婆に出れば酒池肉林の贅沢三昧をして暮らしました。
 それでも、かれの「海に生きる人々」、」小林多喜二を上回る天性の文才を感じさせます。多くの人が、冒頭の漁船からみた港の夜景の描写については、称賛しています。横光利一が構想した新感覚派の先がけでした。
 

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コメント

伊藤さんの外狩さん評はなかなか正鵠を射ていますね。
( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年6月13日 (木) 04時03分

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