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2013年6月30日 (日)

詩の紹介 「ねぐるしい夜は」 原 満三寿

 ねぐるしい夜は      原 満三寿

ねぐるしい夜は/それはゆっくりうごきだす/おとこの襞にひっそりとかくれているそれは/すえた苔の匂いと/音のない跫音をたてはじめる/老いた蛍のように/死にどころをさがして/我が身に照らしをかけようか/ねぐるしい夜は/そんなことばかりおもいつづける
「騒」第90号より (東京/騒の会2012 年6月)
紹介者・江素瑛(詩人回廊
内なる生命力の萌えが騒ぎます、幾つになっても男性の愛の機能は気になる暗示がなされているようです。老いて死に場所に近づきつつも、生殖機能を失いつつ「おれは男だ」と意識しているような、愛する力の喪失への恐れでしょうか。伝聞によると、寝たきりの老人に治療としてエロティック映像を与えると、生きる力を増したとか。おそらくそれは、自己確信への力の源としての愛の可能性を認識するためなのかも知れません。


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2013年6月29日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」2013年06月27日(木)朝刊長野秀樹氏

題「原風景」
辻一男さん「笹の舟」(『メトロノーム』所収)、同著より「メトロノーム」
木村咲さん「孫の宿題」(第7期「九州文学」22号、福岡県中間市)
「九州文学」より波佐間義之さん「鉄冷え」・宮川行志さん「一番搾り」・同誌掌・短編特集より吉村滋さん「押し寄せるもの」・林由佳莉さん「振り子」
吉岡孝信さん「微笑み」(「『二十一』せいき」20号、大分市)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年6月28日 (金)

文芸時評6月(東京新聞6月27日付)沼野充義氏

熟成始めた震災後文学/木村友祐「猫の香箱を~」/岸本佐和子翻訳、文化超え新たな価値。
≪対象作品≫
木村友祐「猫の香箱を死守する党」(新潮)/平野啓一郎「Re:依田氏からの依頼」(同)/浅川継太「ある日の結婚」(群像)/ジュデョイ・パドニッツ「セールス」岸本佐和子訳(文学界)/ムハジャ・コフ「アイオワスパイシー・チキンの女王」上岡伸雄訳(すばる)/マブルーク・ラシュディ」中島さおり訳(文学界)。

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2013年6月27日 (木)

文芸同人誌「雑木林」第15号(枚方市)

【「あきらめない続・三」井上正雄】
 前号よりも重篤な症状になっていく記録である。見守る夫の喜怒哀楽の感情の波が表現されている。難しいことを言わず、長年連れあってきた妻という存在への強い愛は、何であるのか。長く生活を共にすることで、形を変えてくる情愛の形について、強く問いかけている。【「頚椎の異常」同】自分は、当初は腰が痛くなったが、親類の葬祭ごとがあって、痛み止めを飲んでん我慢していた。その内に左足で踏み込めないほど痛くなった。一段落して病院でレントゲンを撮った。医師がいうのには、加齢による腰椎変形で、基本的にほとんど直らないそうである。あてもなく、リハビリをして痛みを軽減している。こうした短い書きものでも、おお、やはりそうなのか、と身につまされる。多少の巧い小説よりこうした生活日誌の方が印象に残る。
【「遠い日」水野みち】
 病み上がりの身で転居したが、快復したらしい。自由な生活になって靖国神社に行った話。多くの人が行っているであろう神社。時代、季節の思い出が人によって異なる。こういうのも、テレビ番組の街歩きの活字版で面白く読める。
【「一口の水」村上節子】
 水分補給に必ず飲むから身近なものである。今は日田天然水を愛用して、飲み方に工夫をしている話。幾度もそれを楽しみして感謝して飲むという。なるほど、よい趣味を見つけたと思う。
【「花嫁」菅沼仁美】
 中国の古事から、大河小説の一部のような題材を、語り口を工夫してよい。短いにもかかわらず、味のある雰囲気に仕上げてある。話が楽しめた。
【「ふたたび北川荘平先生のこと」安芸宏子】
 「雑木林」の名称は、まるで雑誌の方向性を指し示したかのように、作品群が武蔵野の雑木林のような道に沿っている。前世紀の近代文学の時代には、同人雑誌は作家になるための修業の場であった。しかし、戦後とくに高度成長時代以後は、生活記録で自らの生き方を確認する手段としての機能を重視する方向になってきた。本誌はその典型的なものであろう。
 「雑木林文学の会」は、大阪ガスに勤務しながら作家をしていた故・北川荘平氏を講師とする文芸教室の生徒の会であるらしい。編集後記には、「我が会では小説を書く人があまりいない。みな小説を書く気がない。理由を問うと嘘っぽいからだという」とある。確かに本当らしく書いた虚構なら、プロの作家が腕をふるっている。ここに記されている北川氏のその入会条件の様子では、プロの作家のようになれ、というような指導はしていなかったようである。良い文章を書きなさい、くらいのものであろう。
 心の糧として、自分と向き合った生活日誌を記すことは、職業作家のように、何万人もの読者を必要としない。せいぜい同人誌仲間を入れて、何十人ほどの読者に理解されればよいのでは。本誌のどれも、読んでつまらない作品はない。『理恵子の事情』も小説風、身辺雑記的で、生活記録の範囲をでていないが、このようにした方が書きやすい面もあるのだろう。リアルではあるが、小説的な大ウソの創りがない。その意味で、本当は、小説の概念から遠いのではないか。
発行所=〒573―0013枚方市星丘3‐10‐8、安芸方。

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2013年6月26日 (水)

著者メッセージ: 上田秀人さん 「奥右筆秘帳」シリーズ

 奥右筆秘帳最終巻『決戦』を出させていただきます。第一巻『密封』から足かけ七年の長きにわたり、ご愛読いただきましたことを心より感謝いたします。まだまだ書きたいことはございましたが、惰性となるまえに、一度けりを付け、また新たな気持ちで著作したいと考え、一つの区切りをつけさせていただきました。
 七年といえば、長く、そして一瞬でありました。この間にわたくしの作風も変化をいたしました。『密封』と『決戦』をお比べいただくと、その差にお気づきいただけるかと思います。もちろん、未熟であることは変わりません。
 ただ少しでも読んでくださった方々がおもしろいと感じてくださればとだけ願い、夢中でやってきました。
 どうぞ、最終巻にこめました併右衛門の工夫、衛悟の苦悩、冥府防人の想い、一橋治済の決断、家斉の覚悟をお楽しみください。
 感謝をこめて  上田秀人       (講談社『BOOK倶楽部メール』 2013年6月15日号より) 

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2013年6月25日 (火)

小説の書き方の本について(下)

 森村誠一『60歳で小説家になる。』(幻冬舎新書)には、「出世できなかった人ほどデビューのチャンスあり」の帯がある。自己顕示欲が強く、調和を重んじる会社組織からはみ出す人の方が、ストレスを作品に昇華できる可能性があると説く。新聞の読み方の工夫など、実作のアイデアを生む心がけも参考になる。
 優れた書き手になるには、読み手としてのセンスを磨かなくてはならない。ロシア語と英語で創作した多言語作家、ウラジーミル・ナボコフの名著『ナボコフの文学講義』(河出文庫)と辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社文庫)は今年、文庫化された。著名な作家は、どんな小説に影響されたのかがわかる。
 辻原さんは「近代の三大長篇(ちょうへん)小説」として、セルバンテス『ドン・キホーテ』、フロベール『ボヴァリー夫人』、ドストエフスキー『白痴』を論じている。
 最後は翻訳家の柴田元幸さんと作家の高橋源一郎さんが、文学について自在に語り合った『小説の読み方、書き方、訳し方』(河出文庫)。様々な小説が書き尽くされ、「文学は終わった」と言われる時代に、高橋さんの言葉がペンを持つ勇気をくれる。
 ベテラン作家の森村誠一さん(80)に聞いた。創作の初心者の場合、本を通してテクニックを知ることは上達の近道になる。例えば「財務諸表」について書く場合、単なる説明では読むのが苦しい。代わりに、株主総会で登場人物が議論する場面にすれば楽しい。このように小説の「説明」の問題など、作家の先達から学べることは多い。
 一通り学んだら、好きな作家を見つけて作品を研究すること。最終的には小説を好きな人が生き残る。書くこと以外、何もしたくないタイプの人です。
 小説は結局、人間を描くものです。ミステリーのトリックは人工的に作れても、犯人は人間。どんな作品にも、自分が投影されるものです。ヤジ馬根性や好奇心が旺盛なのも大切でしょう。ヤクザの家の防犯カメラに映ったら何分で反応があるか、私は執筆のために試したことだってあります。
(2013年4月19日 読売新聞・待田晋哉記者)

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2013年6月23日 (日)

小説の書き方の本について(上)

 「60歳で小説家になる」森村誠一・著(幻冬舎/ 798円)/「小説講座売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない」大沢在昌・著(角川書店/ 1575円)/「小説を書くための基礎メソッド 小説のメソッド〈初級編〉」奈良裕明/著(編集の学校/監修 雷鳥社/ 1680円 )/「東京大学で世界文学を学ぶ」(辻原登・著 集英社/ 819円)/「小説の読み方、書き方、訳し方」柴田元幸・高橋源一郎・著(河出書房新社/ 777円)(2013年4月19日 読売新聞・待田晋哉記者)
 75歳で黒田夏子さんが芥川賞を受賞し、定年退職者ら熟年層の書き手に刺激を与えたようだ。誰でも、小説を書いてみたいと思うことはあるだろう。
 奈良裕明著、編集の学校監修の『小説を書くための基礎メソッド』(雷鳥社)も役立ちそうだ。物語のプロットを作るため「ハコガキ」を推奨する。場面ごとに、場所、時間、出来事、人物、セリフなどをメモ用紙に書く。これを何枚も作り、並べ替えて話の流れや伏線を作るという。
 「視点」「プロット」など、指南本には強調する点に濃淡がある。それが、作家の文学観を反映しているようでもあり、興味を引く。
 大沢在昌『売れる作家の全技術』(角川書店)は、7刷で3万2000部の売れ行き。1回に4000部刷るという計算だ。文学関連書では、これでも売れている方であろう。プロの作家も購入しているとの噂(うわさ)もある。担当編集者の三宅信哉さんは「エンターテインメント小説志望者には必須の一冊」。講義形式で会話文、キャラクターなど小説技法を紹介。特に「視点の統一」を論じた章の基本がある。

 伊藤の感想は、とくにないが、強いて言えば「そんなに苦労するのは、やだなあ」というもの。だからダメなだというのは、わかっている。同人誌情報で外狩氏が、下手な作品を論じるべきと主張しているが、それはどういう考えかわからないが、もし巧いからだめなのだ、という考えなら一理ある。出版社が新人を募集するのは、下手なエネルギーが欲しいからで、巧い作家ならすでに沢山既成作家にいる。

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2013年6月21日 (金)

デジタル化と本の市場について=ケータイ小説から文庫へ

 紙の本の読者層には、クレジットカードを持たない層も多い。それがデジタルを書籍することで売れ行きを伸ばす要因かもしれない。本ケータイ小説の多くは書籍化する際、横書きで出していた。『王様ゲーム』は縦書きで、書店では一般文芸の棚に並ぶようなつくりで刊行。双葉社の宮澤震氏は「営業と相談して、山田悠介の隣に置かれるように、という戦略を立てました」――ふだん本を読まない10代男女を狙った戦略は的中した。『王様ゲーム』は単行本5冊と文庫5冊合わせて186万部、コミックスは第1シリーズが全5巻で220万部、新シリーズ「終極」が1巻目で25万部のヒット作に成長、映画化もされた。
 宮澤氏はYoshiや『恋空』に代表される、いわゆるケータイ小説とそのコミカライズを仕掛けてきた編集者。その後、小説投稿プラットフォーム「モバゲータウン」にあった金沢伸明「王様ゲーム」と出会う。ふだん本を読まない10代男女を狙って山田悠介の隣に置かれる戦略を立てた」。 現在はモバゲータウンの流れを汲むネット小説プラットフォーム「E★エブリスタ」の人気作品の書籍化、コミカライズを手がけている。
 岡田伸一『僕と23人の奴隷』はコミカライズが1巻目にして15万部を突破するなど、『王様ゲーム』に続く作品も現れている。メインの読者層は中高生男女。必ずしもネットで読んでいた層が書籍や漫画を買っているのではないという。
 作品を選ぶときには、PV(アクセス数)はもちろん、自身で中身を読んで判断している。基準は「わかりやすくて、エグいもの」。大人向けの本格ミステリーなどでは、既存の作家にはかなわない。だから、その人たちは絶対に書かないが、しかし本を読まない中高生は食いつきそうなものを狙う。
 「ケータイ小説と違ってネット小説は『ブーム』ではないと思います。書店に“ネット小説の棚”はありませんから。単品勝負をしているうちはブームじゃないですよね。逆に言えば、『王様ゲーム』『僕と23人の奴隷』に続く作品を“セット売り”して仕掛けていかなきゃ、と準備しているところです」
 ネット小説を刊行する双葉文庫の文庫内新レーベルは、今年中に始動する見込みである。
資料 【新文化」2013年2月21日号(飯田一史・ライター)】

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2013年6月20日 (木)

「北海道同人雑誌懇話会」の動向=「札幌文学」坂本順子氏

 ~「札幌文学」79号・坂本順子氏の編集後記より(抄録)~「北海道同人雑誌懇話会」は今年で4年目。道内の同人雑誌の推薦作品を掲載した「北海道同人雑誌作品選集」は3号まで発刊され書店で売られている。巻末にはこの1年間に発行された同人雑誌が紹介され、最新号の主要目次や懇談会参加同人誌の動向が掲載されている。毎年10月には、「同人雑誌作品選集」の新刊発行記念を兼ねて懇親交流会が開催されている。今年も懇話会として第四集「北海道同人雑誌作品選集」を発刊する見通しとなった。
 (中略)インターネットでの同人雑誌をめぐる活動も活発で、激しい議論も飛び交っている。そのなかには道懇親会への辛口評があり、呼びかけ人の意図とは違う論に異議を感じつつも全国の同人雑誌界活況には後方で拍手している1人である。ともあれ北海道の同人雑誌の活性化をめざすゆるやかな懇話会活動の目的はみのりつつあると言えるのではないか。
発行所=〒001-0034札幌市北区北三十四条西十一丁目、札幌文学会

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2013年6月19日 (水)

文芸同人誌「札幌文学」79号(札幌市)

【「春の夕陽」海那智子】
 書き出しの10行ほどを読んで、さらっとした文章だな、と目が止まった。そこで読み進んだのだが、その流麗な文章に惹かれて、最後まで読んでしまった。お互いに、愛を失い、愛をさがしている男女の話。そこはかとない人恋しさをもつ人情を浮き彫りにする。やわらかな肌触りのような文章。筋を語るのは野暮な思いがするので、読んでみてください。古風と言えば古風だが、春男という男の語り口を独立させて、構成の工夫にセンスがある。
「ーー今度はあんたの番よ。
 胸に広がる声なき響きに耳を澄ませ、咲き誇る桜花に沙穂はそっと微笑み返した」
という終章などは、余韻が濃く残って、楽しめた。いいですね。
 本誌の編集後記に「北海道同人雑誌懇話会」について坂本順子氏が、現状を記しているので、まずそれだけを文芸同人誌情報として、そのまま紹介しようとしていたのだが、「春の夕陽」をつい読まされてしまった。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2013年6月18日 (火)

外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学(詩抄)に対応して

 会員の外狩さんが、「詩人回廊」に次のような意見を述べています。そこで、私が特別に(?)対応して意見を述べてみます。外狩さんは、
 「私はこのプロレタリア論考を続けたのは読者の深い認識と意見が欲しかったのです。私が学んだ事は講師の書物や党の発表で何度も周知された物です。
 図書館に行けばプロレタリア文学の詳しい解説書はいくらでも読めます。きっとこのサイトの読者は熟読していると思い書いてきました。
 しかし、コメントを見る限り、プロレタリア文学の理論を基礎にしたり戦前戦後の共産党文化政策に熟知したアドバイスはいただけませんでした。
 当初書いた、正しい方法での文化運動での勝利の件は今回の事です。政治と文学論争で決着がついていないのではないでしょうか。」≪参照:我が創作とプロレタリア文学(詩抄)(5・完)外狩雅巳
 これには外狩氏の作家としての問題意識が書かれています。文学的表現は、あくまで個人的なものであり、他人と同じテーマで同じように書く人はこの地球上にはいません。もし、私が外狩りさんと同じ意識でいたら、アドバイスなどしないで、それに沿った作品を書いて発表しているでしょう。そうすると、外狩さんの作家としての存在は不用となります。外狩氏の主張は、自らの表現にかかわる問題意識を他人に考えて欲しいということなのでしょうか。誰も反応しないのは、外狩さんという作家が、この問題に関して世界でただひとりであることの証明だと思います。文学は個人だけの自己表現で、そこに仲間はいません。男も女も孤独に表現を磨いて勝負しましょう。
 ちなみに、最近の労働者文学の動向を探ってみたら、下記のような現状もあるようです。若者たちもも現代の「蟹工船」に挑戦しているようです。
 学生の就職難、非正規雇用の増加などを題材に20~30代の新鋭作家たちが現代の職場を描き、社会のひずみを浮き彫りにする作品を書いている。『スタッキング可能』(河出書房新社)が第26回三島由紀夫賞候補に選ばれた松田青子氏(33)。2万部売れているそうです。
 三島賞候補で次点の小山田浩子氏(29)の『工場』(新潮社)も、敷地内をバスが走る巨大な工場で働く従業員個々の仕事はこと細かく描かれるのに、全体として何をつくる工場なのかは一向に分からない。仕事が極度に細分化された社会で働く不条理を描いているそうです。作者は広島大学卒業後、編集プロダクションや眼鏡店など複数の職場を転々とした。そのうち派遣社員として1年弱働いた地元の自動車工場での体験が下敷きになっている。「外から見たら変だなと感じるはずの職場のコードに、何日もすると自分も同化してしまう。それは、おもしろくもあり恐怖でもある」そうです。
 このサイトもそうした時代の空気を読む手掛かりとして読んでいただけたらーーと思います。

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2013年6月17日 (月)

デジタル化と本の市場について=「自分でも書けるかも」と創作者に

(株)エブリスタはDeNAとdocomoが共同出資して2010年4月に設立した。運営する小説とコミックの閲覧・投稿プラットフォーム「E★エブリスタ」では、日次のユニークユーザー100万人、毎日1万人以上の人が作品を投稿している。 ヒット作のコミカライズが月額210円で読み放題になる有料会員が収益を支え、設立から1年半で単月での黒字化。最近は作品ごとの従量課金モデルを試験的に導入、クリエイターが作品を販売するプラットフォームとして収益性が見込んでいる。Docomoの運営するポータルサイトに、E★エブリスタへ誘導するボタンを置いているほか、ドコモショップ店頭でも携帯電話の契約時にサービス利用を薦めている。現状ではE★エブリスタへの投稿作品は、ソーシャルゲームのプラットフォーム「Mobage」でも読むことができるが、この4月からは、さらにdocomoが運営する「dクリエイターズ」でも閲覧可能となり、会員数をさらに1・5倍には伸ばしたい意向。
 「ユーザーは20代、次いで10代と30代が同じくらい。男女比は45:55程度。ケータイ小説ほど読者の郊外比率は高くなく、都市部の人間はそこまで多くない。さらに、「2ちゃんねるやニコニコ動画のユーザーよりはデジタルに強くない、ライトな『一般人』」という。女性は恋愛ものを、そして男性はやや過激な作品を好む傾向にある。E★エブリスタの人気作品は、双葉社刊の『王様ゲーム』(金沢伸明)をはじめ各社が書籍化、ベストセラーにもなっている。 池上社長は「版元になるつもりはありません。紙向けの作品づくりやビジネスのノウハウは、出版社や書店がすばらしいものを持っていますから。ただ、E★エブリスタ発の作品は、ふだん小説を読まず、まして書いてみようと考えたこともない層にもリーチしています。それを出版社の力を借りて書籍化していただくことで、新たな才能発掘に貢献できるのではないかと思います」。
スマートフォン向けの小説やコミックなど、最終的なアウトプットが紙であることを前提としないデジタルコンテンツにも力を入れていくという。
 人気作品の読者が「自分でも書けるかも」と感じて創作者になり、次の人気作品を生むというサイクルができており、ユーザー数は前年度比50%増と伸長傾向にある。池上社長は、デジタルのコミックや小説のマーケットは今後2000億円を超える規模にまで拡大していくだろうと見込む。
資料 【新文化」2013年2月21日号(飯田一史・ライター)】

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2013年6月16日 (日)

文芸同人誌「海」87号(いなべ市)

【「浄水場にて」国府正昭】
 教師らしい「ワタシ」という語り手が、うつ病かなにかになり、片田舎の浄水場に一時的に職場替えになった。出だしのあたりは地方公務員労働者小説のようだが、どこか現実批判的な皮肉な語り口である。その仕事場の退廃寸前の雰囲気が作者の視線により具体的に描かれる。そして、物語の最後に彼らは、天罰のような災害に襲われる。何でそうなるの? 何か悪いことでもしたのか? それを読者に問いかける。知的な満足度を得られる作品で、大変興味を惹かれて読んだ。
【「目白」遠藤昭巳】
 思春期の交際相手の彼女との縁で知った庶民の自由人の男の末路に出会い、男の放蕩者としての人生のはかない部分を語る。彼女への隣人愛と同化した純愛をほのめかす語り口で、詩情の漂う叙情小説。まさに詩因のある散文の見本のような作品である。話がそれるが、先日「新田次郎賞」の授賞式のために神戸から作家・詩人の伊藤桂一ご夫妻が上京した。そこで同人誌「グループ桂」の有志が集まり、短い時間だが懇談をした。そのときに千代美夫人から詩誌「花筏」の編集を遠藤氏が行うことになったという話が出た。本誌の後書にあるように遠藤氏は中部ペンクラブ講演があって、多忙で打ち合わせ時間を調整するのに苦労されたようである。本作品も清澄感のある詩的散文で、詩人としての特長が良く出ている。
【「芥川龍之介の死をめぐって」間瀬昇】
 芥川龍之介の自死の原因について、よく調べている。要するに自死するということは、備わった生存欲が喪失するという精神疲労性神経衰弱である。本書ではそこを、芥川には独自の死生観があったという視点で資料を集めている。私はロシアのミステリ作家アクーニンを知っていたが、グリゴーリイ・チハルチシヴィリという名で「自殺の文学史」という本を出しているの知らなかったので参考になった。こういう評論を短く書くのは難しく、それを巧くまとめている。欲を言えば、お上品でジャーナリスティックな面が足りないということか。
 私の母も精神に変調をきたしてたが、なんとか普通の人生を過ごした。医師から病名を告げられ、病院を紹介された。そのとき、19歳ごろだった私はなんと思ったか、「気をつけないと、おれは芥川のような天才作家になってしまうかもしれない」ということである。ある時テレビで芥川・直木賞の受賞作家を報道して騒いでいるのを観た。隣にたまたま義母がいた。私は「あんなふうに人に騒がれると近所の迷惑だし、日常生活が不便で自由がなくなる。そうならないように気をつけなければいけませんよ」と、いったそうである。それを聞いた義母は妻に「あんたの亭主はとんだフーケ者だ」と言ったそうである。フーケ者の意味は知らないが、褒めた形容詞でないらしいことは私にもわかる。そのおかげで、芥川より2倍くらいは長生きをしている。
発行所=〒511―0284いなべ市大安町梅戸23
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年6月15日 (土)

「意志」 崔龍源

意志  崔龍源

風に吹かれていても/かなしいだけだ 風といっしょに/行き着く場所などありはしない/いやいつもおれは岬の突端にいる/ぎりぎりのところに立って/飛ぼうか それとも踵を返そうか/迷っているめまいしそうな/きりぎしの上父の骨の灰を/まいたこともある 父から/受け継いだ恨を断ち切ろうと/人知れず泣いたこともある/植民地史を読みながら 国籍が/日本であることを恥じたことも/岬の上の松のように 歪曲して/おれのこころはあるようだ/進むにしても海/父が渡って来て 敗れた海/郷愁に身をまかせても/コリア・モッポ・ゲンカリ面までは/泳ぎきれない 戻るにしても/日本の土 償いもなく/しているすべてをうやむやに/この国のかたちを憂うるほかはなく/海を前にして おれは立ち尽くすしかない/枯れたあら草のように/おれの存在は病んでいるようだ/岬の突端で 妻のなかの/潮だまりを恋いながら/アリランを口ずさみ うさぎ追いしと/うたいながら/寄る辺ないもののように/風に吹かれているほかはない/迷いのなかにとどまるのではなく/つねに引き裂かれている意志を/巻き上げるために
季刊「コールサック」75号より (2013年4月 東京都・コールサック社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
韓国の日本植民地時代の父親から痛恨の血が受け継いで、二世の平和のなかに日本生まれのようで暮らしている。どうやって自分のこころの矛盾と彷徨を取り除くか、一生抜けることができそうもない。代々伝わっていくのか憎しみは。「おれの存在は病んでいるようだ」と立ち尽くす詩人。はたして、この世間に、健康な存在者はいるのか。政治などに利用され、まさに国際の間、民族紛争の種である。難しい問題を作者が、大勢の同じ境遇の二世達に発信したのでしょうか。しかし時を経て難しさが薄まるのはいつのことでしょう。

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2013年6月14日 (金)

外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学(詩抄)」に変更

 外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学論考」という題は、編集者の一存でつけたのですが、(2)について良く読んでみると、ひらめき思考の産物と思われるところが多く、これは編集者のミスと考え、これを「我が創作とプロレタリア文学(詩抄)」(2)に変更しました。あとで、小冊子にまとめるにしてもこの方があっていると思う。
 この部分は事実にそっていながら時間的なものを飛び越えて、イメージ化していて面白い。私は若い頃、広告業界にいてジュークボックス部門で「セガ・アミューズメント」の人と会った記憶がある。それがいつ頃であったか、よくわからない。ジュークボックスは消滅し、ゲームのセガはその後、企業拡大して大鳥居付近に本社にしていたようだ。赤井は高級テープデッキで有名で、ティアックと競争していた。ベルテックというのは、そういわれれば、カーステレオだった。当時、おそらく私は、大学を卒業後、定まった就職先もなく、生活費を稼ぐために行き当たりばったりでアルバイト的な仕事を転々としていたような気がする。外狩りさんのこのエピソードは、それより時間的に後の事だと思う。日本の社会が、あまりにも短期間で激変したので、記憶が追いつかずつながらないということか。そうか、そうか、外狩氏と同じ地域を這いずっていたのかと、感慨無量である。私はその後も、アルプス電気、パイオニアと縁が続いたのであった。

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2013年6月13日 (木)

外狩雅巳「我が創作とプロレタリア文学論考」(1)について

 外狩氏の「我が創作とプロレタリア文学論考」(1)について、感想を述べてみましょう(会員ですから)。最初に思うのは「そうなんですか」ということですね。要するに、プロレタリア文学の文体が好きなことと、自分が労働運動をしたことがあるので、外狩氏の作品に影響をあたえたようです。
 ここでの話は、文学論ではなく、社会・政治運動の話としての文学作品執筆のことのようです。なかに「先ごろの『蟹工船』ブームはまさに喜劇としてしか展開しませんでした。出版資本が大儲けしただけの喜劇だと思います。」というのは、説明不足ですね。プロレタリア文学への読者回帰によって、出版社が潤うのは多いに結構だと思いますけれど…。
 それに「蟹工船」がヒットしたのは、それを原作にしたマンガがヒットし、それに触発されて原作小説が注目されたのです。マンガ・コミックの時代にコンテンツ不足が招いた現象でしょう。そして、ちょうど、ホラー小説が流行っていますので、あれが労働者のタコ部屋の恐怖話として、受け入れられたのだと思います。それに小泉政権が、製造業に派遣制度を認める法律を成立させたので、肉体労働者がホームレスになり、年越し派遣村の騒動が起きて、労働者の立場の弱さと恐怖が理解できたためでした。
 現在は、原発労働者のなかにそれが起きています。そして、それを現代の視点でみると、小林多喜二の描いた労働者の虐げられた実態を生々しく描くという手法と、いまの市井の人の生活を描いた作品と比較できるということです。おそらく外狩氏の作品は、労働者の視点で作品を描くということだけが共通しているのではないでしょうか。我々の生活の裏に潜む恐怖を描くことは、意味があると思います。外狩氏は、現代においてどのような視点をもつのでしょうか。
 この手法の訴求力の強さは、当時の芥川龍之介などの芸術ディレッタンッティズム派をも脅かすほどの強さがあったのです。その強みは、現在にも受け継がれています。結局、日本人は、生活描写中心文学がすきなのでしょう。
 ただ、小林多喜二は、銀行員でブルジョワであったと思います。また、思想犯で刑務所暮らしはしましたが、葉山嘉樹もまた、娑婆に出れば酒池肉林の贅沢三昧をして暮らしました。
 それでも、かれの「海に生きる人々」、」小林多喜二を上回る天性の文才を感じさせます。多くの人が、冒頭の漁船からみた港の夜景の描写については、称賛しています。横光利一が構想した新感覚派の先がけでした。
 

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2013年6月12日 (水)

デジタル化と本の市場について=ニッチ市場から書店へ

 ニッチなネット運営で小説コンテンツを集め、書店市場へ拡大する手法がある。ネット小説の登録・閲覧の「アルファポリス」を運営し、そこでの人気作を書籍化しているのが、(株)アルファポリス。取次口座はない。星雲社を通じて取次へ流通、出版を行っている。サイト「アルファポリス」は月間400万ページビュー(ユニークユーザー数50万)。シリーズ17点で累計100万部の吉野匠『レイン』や50万部の柳内たくみ『ゲート』といった小説は、インターネット上に投稿された作品。
 同社は前期3月度決算の売上げが約10億600万円、経常利益が3億円強、今期の見込みは売上14億円、経常4億円と、右肩上がりの成長と高い利益率を達成。日本の出版業界が年々縮小するなか、同社は拡大・拡張を続けるネットとリンクすることで、紙でヒット作をつくっている。 同社の売上げの95%はネット上のコンテンツを書籍化した“紙”から。電子書籍のアプリや広告など、ネットからの売上げは5%という。
 同社の書籍の購入者のうち、実はネットからの読者の割合は5~20%。つまり、8割以上が書店店頭で初めて作品を知って購入している。ネットで人気になる作品は、そもそもひとを惹きつける“匂い”をもっており、ゆえに紙で出すとそれまで存在を知らなかった人たちも興味をもつのだそうだ。
 吉野匠さんは、出版社主催の小説新人賞に投稿していたが、芳しくなかった。けれど『レイン』をネット上で公開すると人気作に。
 既成の出版社による新人発掘システムではすくいきれない才能でも、面白ければネットの世界では読者がつく。 【新文化」2013年2月21日号(飯田一史・ライター)】

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2013年6月11日 (火)

デジタル化と本の市場について=電子小説誌「つんどく!」

4月から文芸春秋社では、同社初の電子小説誌「つんどく!」(定価850円)を発売している。当面は不定期刊行とし、今年度中にさらに1点、来年度は4点を発売する予定。Kindleストア、iBookstore、koboイーブックストアほか、主要電子書店で配信する。これは、創刊から2年半となる角川書店の電子小説誌「デジタル野性時代」に続くもの。どちらも既存小説誌の電子書籍化ではなく、オリジナルの書き下ろし作品で作る新雑誌。新潮社も、会員制ウェブサイトで書き下ろし小説などを読める「yomyom pocket(ヨムヨム・ポケット)」を始めるなど、新たな試みが広がっている。創刊の「つんどく!」は、小説誌「別冊文芸春秋」編集部が担当し、主要電子書店で販売している。「別冊文芸春秋」が新たな書き手を育てようと行う「新人発掘プロジェクト」の入選者7人の作品を掲載する。
 雑誌や本のデジタル化は、まずトライアル的なマーケットの初期微動をとらえ、そこから人気のでそうな作家を紙の書籍にするという傾向がでている。

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2013年6月10日 (月)

外狩雅巳氏から意見を聞いて――今後どうするか考えた(3)

 同人誌作家としての外狩氏の求めるところは、純粋に自らの作品を読んで評価してほしいというものが強い。たしかに現在の「詩人回廊」にはそのような欲求に応える要素は少ない。そういう面では、お互いに読み合うことに抵抗感のない同人誌に作品を発表し、それをこの通信で「作品紹介」を優先的に行えば良いであろうと判断した。
 そのうちに、それらを集めて外狩作品を論評し、集めた「外狩雅巳の世界ガイド」という小冊子をつくり、友人や文芸に関心の薄いひとへの宣伝を考えようと思う。
 おそらく多くの同人誌の作家は外狩氏と同じ意見であろう。
 それでは、なぜわたしが反響の少ない「詩人回廊」を運営するのか。もう一度ここで考えてみたい。目下、外狩氏は「相模文芸」と「群系」むけて創作にいそしんでいるそうである。その場合はおそらく、想定する読者は、当然に同人誌仲間であろう。
 ところが、「詩人回廊」の書き手には、想定する読者がわかっていなiい。見知らぬ誰かである。同人雑誌なら、仲間が必ず読んでくれるはずである。それがない。そこが根本的に異なるのである。もしかしたら、編集人としての伊藤以外は、誰も読んでくれないかも知れないのだ。
 けれども、それでも良いのである。参加者は「詩人回廊」という場があるからそれに向けて書く。もし、そのような場がなければ書かなかったであろう人もいる。実際に同人誌に入っても合評会に出られない。出たくない、という会員が存在する。
 ひとが自己表現としてものを書くことと、それを他人に読んでもらうという気持とは、内面で2段階に分離しているのである。
 ひとつは、書いている間は文章表現に全力を投じる。それに没頭し、書き終わった時は達成感がえられる。充実した時を過ごすのである。これによって生きる力の再生、日々の無力感ニヒリズムの克服をする。つまり自己表現の目的は100%達成する。
 あとは誰かに読んで欲しいというささやかな望みである。これは書いた後のゴミのようなもので、プラス20%ほどのものであろう。つまり書いたものに対して意見を欲しがるのは、120%の成果を求めることである。それは慾が深くはないか。世間全体のなかから、誰かの読者がいれば良いのではないのか。要するに、文学オタクが読むか、少なくてもいいから、一般人にも読めるシステムに乗るかの違いである。
 私がそのことを学んだのは、友人の川合清二氏と同じころに入会した「天の会」(仮称)での体験である。その同人誌のことは≪ 「文芸の友と生活」(11) ≫に書かれている。『若杉さんは“無名人の雑誌”と銘うち、行く行くは発表の場のない貧しいひとたちのよりどころとなるような、立派な同人誌にしたいと抱負を語っていた。』とあるように、同人誌は作家になるためのものでなく、生活を充実させるためのものである。
 

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2013年6月 9日 (日)

文芸時評5月(毎日新聞5月28日)田中和生氏

文学の自殺/言葉の世界で生きる死者
≪対象作品≫池澤夏樹・長編「双頭の船」(新潮社)/高橋源一郎・対談「死者たちと小説の運命」(新潮)/同・長編「恋する原発」(講談社)/いとうせいこう・長編「想像ラジオ」(河出書房新社)/阿川弘之作品集「鮨 そのほか」(新潮社)/吉田修一・長編「愛に乱暴」(新潮社)/佐伯一麦連作短編集「光の闇」(扶桑社)/松波太郎・中編「サント・ニーニョ」(すばる)/絲山 秋子短編集「忘れられたワルツ」(新潮社)。
 大震災・原発事故などを語る視線の単調さについて、田中氏は書く。
一部引用=「しかしそのあらかじめ批判する自由のない作品のあり方は文学としての自殺ではないか。
 戦後文学もまた戦前の日本を否定し「戦争の犠牲者の側に立つ」正しいふるまいのなかでかきはじめられたが……」

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2013年6月 8日 (土)

文芸同人誌「コブタン」№.36(札幌市)

【評論「近現代アイヌ文学史稿」須田茂」
 アイヌ文学史とあるが、民族としての存在にかかわる歴史の書の系統であろう。日本人のアイヌに対するイメージはエキゾチックものである。
 おもいつくままに挙げれば歌謡曲では、伊藤久雄「イヨマンテの夜」(菊田一夫作詞)、織井茂子「黒百合の歌」(同)があり、文学では「森と湖の森」武田泰淳。コミックでは「カムイ伝」などがある。「カムイ」は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のことで、そのイメージだけで、どれもその民族の文化の実態からは大きく乖離している。
 とにかく本評論は、労作で読むのに大変だが、なかに加藤周一の「時代精神の最大の担い手が、常に詩人であり小説家とはかぎらない」という意見の引用がある。たしかにそうで、文字化されない詩情や音楽の音調のなかにも、手がかりがあることを本稿が示している。
 【「鳩摩羅什の足跡を訪ねる旅」須貝光夫】
 インド仏教典の翻訳300余巻を残したとされる鳩摩羅什の遺跡の現状が、写真入りで報告されている。そうなっているのか、と興味深く読んだ。シルクロードの住民は民度が玉そうだが、共産党政府との関係はどうなのふぁろう。作者は曹洞宗の得度をした僧侶であるという。自分は父親の代から浄土真宗の寺の檀家とされている。教えによると、自分たちは阿弥陀さまに救われて浄土にいるのに、目がくらんでそれを自覚していない存在だという。だから何もしないで、そのうちに無明から抜け出る機会がくるだろうと待っているだけである。
 アイヌの資料調査や本稿を読むと国会図書館で保存するためのナンバーをもらえそうな気がする。
 札幌の琴似といえば、若い頃に小売業者探訪記を書いていたころ訪れたことがある。その時に、九州で倒産し夜逃げして、北海道で再起した人が少なくないようだった。また、沖縄出身とされる人が、自分の祖父は沖縄からアラスカに渡り、その中途は不明で、その後カムチャッカ半島からまた沖縄にもどり、さらに神戸を経て北海道にきたという人がいた。その人の顔つきが瞳が青みがかっていて、彫りが深く色白であった。今でも、なんとなく、沖縄とアイヌとは関係があるような気がしている。
発行所=〒001―0911札幌市北区新琴似十一条7-2-8、コブタン文学会

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2013年6月 7日 (金)

外狩雅巳氏から意見を聞いて――今後どうするか考えた(2)

 同人誌を主体に考える外狩雅巳氏の主張はだいたい判ったと思う。「詩人回廊」は、もとから読者が少ないのはわかっていた。特定の人しか読まない。それがいいのだ。最近の読者の傾向をみたところアクセスページビューが50ページ前後、訪問者数が20人くらい。一人が2ページ余を読んでいることになる。
 発足当初は5人程度のアクセスだったので、1日あたり2倍以上に増えている。私はいまのところこれで十分だと思っている。本来なら自分の書いたものを街角で手渡しして読んでもらわねばならないのに、黙って掲示するだけで10人~20人の読者がいるということなのだ。
 外狩氏の同人誌論は、本人が書いているように、文芸同人誌仲間を相手に書いている。それはそれで、文学読みの専門家集団の読者を獲得するのは、やりがいがあるので大いに活動して欲しい。
 直木賞作家の白石一文氏は5月から一昨年6月に刊行の説『翼』(光文社)を簡易投稿サイト「ツイッター」で無料公開し始めた(2013年6月4日 読売新聞)。白石さんは昨年11月、ツイッターのフォロワー(閲覧者)が1万人を突破したら同作を無料で公開する、と宣言。目標「到達」を機に約束を実行した。作品はツイッター用に細かく分割され、毎日15回ほど更新。3~4か月かけて全文を掲載するという。白石さんの「無料公開」の理由は「書き終えた時に、初めて達成感を持てた」小説で、自ら「僕の代表作」と呼ぶ作品にもかかわらず、東日本大震災で発売時期がずれたことなどもあって売れ行きは芳しくなく、「採算を度外視してでも多くの人に読んでほしい」との思いが湧き上がったからだという。
 電子省籍の世界でも、プロの作家が作品によって有料公開と、無料を公開に分けている例がある。無料でもいいからどうしても読んで欲しいものがあるのだ。

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2013年6月 6日 (木)

続・関東同人雑誌交流会の最新情報= 外狩雅巳

 関東同人雑誌交流会では、 「まほろば賞」の交流会選出作品用として五作品が用意され三時間かけて合評した後投票を行った。秋の本選は各地方からの作品と競うことになる。
 昨年9月17日の本選の様子は雑誌「文芸思潮」48号に掲載されている。前回も今回も大半はレアリズム描写の作品である。今年の文学界新人賞候補作品中一作のみがレアリズム作品だとの事だが正反対の状態である。ファンタジーやライトノベル(ラノベ)に馴染んだ応募者が多いのが商業文芸誌賞の特徴となっている。
 いかに生きるか、生きているのかを細部を抉りながら書き連ねる作品が関東の同人誌作品には多い。高齢社会になり現実は重く暗い、それをリアルに描く。
 世間では同人誌と言えば、若者のラノベ同人誌を指すのだが(伊藤補足=同人誌というのが、コミックの漫画のことを指します)私たちの中では文芸同人誌と頭に文芸をつけて区別し正統派を主張している。
 私の所属している(相模文芸クラブ)も高齢者が多くファンタジー作品の掲載も無い。時代と向き合い生きて来たと自負し主題にしている。
 なので、現実離れしているものや超越した作品を読み考え討議する場を持たないで来た。それなりに仲間内での同人誌としてそれなりに盛り上がって来た。
 多くの同人誌も閉鎖的に仲間内での盛り上がりで続いて来た事であろう。そこからさらなる学習と交流を目指し今回の会合への参加者は視野も広く熱意も強いと思う。が、討議されるテキストはレアリズム小説である。よくぞ書いてくれたと同感し評価しての選考なのだ。描写を評価しているのだ。
 しかし、会合に参加した文芸同志会の伊藤昭一氏はここへ波紋を起こした。ラノベの説明から始めて実力派のプロ作家が多数書いている事。ライトノベルがわかりやすく図式的な構成でストーリー性を強くする事で多くの読者・主に若者層を獲得している事を強調した。
  生き様に向き合う高齢者作家の文芸同人誌に投げかけた波紋。
  テキストから離れると討論も空回りするので伊藤氏と参加者との議論は深まらなかったが交流会の今後への意義ある問題提起になれば良いと思う。
 個別の同人誌の枠を超えて多数の参加者があれば問題意識を共有する広がりも大きくなるはずである。三年間の交流会で一度は顔を見せた人は延べ数で約百人だ。
 文芸思潮誌の売り上げの為の選考と思ったのか。自会の作品が対象にならないからか。参加者はいまいち増えてゆかない。
 反面、親睦に徹する(文学街)集会は参加費五千円にもかかわらず全国から多数の参加者がある。文芸趣味の高齢者には深く熱い議論はむかないのだろうか。工夫が必要ではないか。
以前に私は交流内容の討議で下手な作品未熟な作品の合評をと提案したこともある。
 同人誌内で低く評価された作品も広い場で再討議すれば作者も参加するかなと思ったのだ。各会の運営や編集などの実務の経験交流もどうか、など考えた事もある。工夫して多くの同人誌が再度参加する場になってほしい。
≪参考:作家・外狩雅巳のひろば

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2013年6月 4日 (火)

関東同人雑誌交流会の最新動向   外狩雅巳

 関東同人雑誌交流会が5月26日、東京・大田区の下丸子センターで行われた。文芸同人誌の応援を行っている雑誌「文芸思潮」の五十嵐勉編集長が呼びかけ三年前から定期会合を行っている。
 内容は作品合評である。文芸思潮誌に寄せられる関東の同人雑誌から東谷氏が選んだ作品を合評し優秀作品を投票で決めてきた。今回は関東各地の同人誌より十二名の参加で行われた。
 同人雑誌の会員は作品掲載が目的で会費と掲載費を負担している。年に一、 二回発行するところが多い。おおよそ百ページ前後が多く、なかには三百ページもの雑誌もある。
 私は「相模文芸クラブ」と「群系の会」に所属している。前者は毎月合評会を行っている。大半の会員はそれで満足している。他の会の会員もそのようである。大がかりな同人誌交流にはあまり参加しない。
 作品を書き掲載され仲間内の合評会で評されれば良し、としている。趣味の会として閉鎖的に運営されている文芸同人会の地域横断の結集は難しい面がある。しかし自分の作品が読まれ評される事には大いに関心を持つ人は多い。数十誌もの同人誌が送られて来る。個人での文学賞応募者も多い。
 毎年高齢の退職者があり同人誌に集まる人も増えている。関東交流会はまだまだ知名度も少なく参加者も少ない。が、今後の呼びかけ次第では同人誌会員の参加は増えるかも知れない。
 毎年「文学街」の呼びかける読者集会は全国から百人近くも集まり盛大におこなわれる。また、同人誌フリーマーケットも人気がある。
 千人以上の文学賞応募者、図書館に来る多数の読書愛好家、そして同人誌に掲載される多数の作者。これらの人々を引きつける開かれた作品鑑賞と合評の場が出来上がる事を望んでいる。傾向の類似した同人仲間を超えて討論し価値観を再構築する時ではないだろうか。
 毎月の相模文芸合評会には二十名近くも参加する。各地の数百の同人会も盛況だろう。関東交流会選出の作品が全国で注目される日が待ち遠しい。
≪参考:作家・外狩雅巳のひろば

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2013年6月 3日 (月)

「郵便受け」 北川加奈子

郵便受け    北川加奈子

郵便受けがカタコト鳴った/私は、病人、夫は老人/訪う人は誰もいない
静かな夜更け/木々の葉擦れもないのに/なんか懐かしい夜の音
ずうーと辿れば/田舎の冬の雪の夜/誰か来ぬかと/闇のしじ間で待って居た時/恋に激しく燃えた頃/郵便受けは生きて居た/まるで尊い使者を迎える箱に見えた/それはポストの様に/赤くなって待っていた
今は淋し気なノックの音/小さくカタコトと鳴る/木立のざわめきか 小雀の足音の様に/耳もとで震えながら微かに聞こえる
文芸同人誌「砂」第122号より(2013年5月 東京都「砂の会」)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
期待と失望、喜びとがっかり、一日何回も階段を下りて郵便受けを覗いて行くマンション暮らしの人間は、昔には多かった一軒家の身近な郵便受けのカタコト鳴る音を知っているでしょうか。待っている相手がいれば時の音。その淋しく甘酸っぱい音、躍るような音。
病床と郵便受け、巧くマッチしたテーマで、作者は、あまり身を動かすことないかも、微かな音にも耳を澄ませ、こころを活発に動かせ、遠い昔の時に戻り、そこで豊かな詩の世界を持っているのです。

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2013年6月 2日 (日)

外狩雅巳氏から意見を聞いて――今後どうするか考えた(1)

 このところ文芸同人誌に幅広く関与している外狩雅巳氏と意見交換をしてきている。定例会議などはないが、主宰者は、個人の意見を重要視し、そこから普遍的な活動の方向を決めている。基本は夢を持つ。しかし、出来ないことはしない。できることだけをする――である。
 外狩氏は詩人回廊「外狩雅巳の庭」(プロレタリア論考④には、石塚・根保氏のコメントもある)を執筆し、意見も活発に述べてくれる。同氏の文学論を書いても良いと思って、話し合いの機会を増やしている。
 当初は、外狩氏には自費出版の著書が2冊もあるので、まず作家・ジャーナリストとして活動して、紙の発行物によって時代の渦とかかわることで、知遇を増やし、それから自分の本をPRできる道があると思った。それを支援するプランを立てた。そこで「暮らしのノートPJ・ITO」「作家・外狩雅巳のひろば」を設定した。地域のニュースの発信元として活動できるように、である。こちらも地元に密着した出来事は歓迎である。昔「PJニュース」というネットサイトがあった頃は、会員の情報提供で大手メディアを出し抜く記事も発信し、市民ジャーナルの典型として、穂高健一氏と共に専門家の著書で紹介されたほどだ。
 しかし、外狩氏はあくまで同人誌作家として活動し、それを会が支援してもらえば良いと思っているらしいな、と思えた。そのためには、いかに社会性をもたせるかが、会からの支援になる。
 私は昨年で、決まった発表の場をもたなくなり、ホントーのフリージャーナリストになった。そこで、家族からも対外的にも批判される自己矛盾のなかにある。かつては比重の低かった文芸同人誌活動と詩作のほうに少ないエネルギーを傾けるか、それとも都内に拠点があるので、中央から市民ジャーナリズム情報の世界に注力するか、である。これからも都内で「原発いらない」デモ集会がある。大江健三郎氏や鎌田慧氏もくるという。これが文芸同人誌活動とちがうのは社会にかかわっているということである。
 外狩氏はさらに「詩人回廊」への不満と批判があるようだ。同人誌と同じで読者が少ないというのだ。

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2013年6月 1日 (土)

文芸時評5月(東京新聞5月30日)沼野充義氏

様々な声 響き交わす/「沈むフランシス」「魚の娘」「滅びの後の音楽」「少し不思議。」3・11後のビジョン提示。
≪対象作品≫松家仁之「沈むフランシス」(新潮)/楠見朋彦「滅びの後の音楽 MUSIC AFTER DISASTER」(すばる)/谷崎由衣「さかなの娘」(文学界)/天久聖一「少し不思議。」(文学界・連載完結)。
 一部引用=「今月取り上げた作品は、現代人が共有する時代精神というキャンパスを彩る様々な意匠のようなものに見えてくる。それぞれ個性的でまったく違った作風であるが、3・11以降の世界にあって、単一の大きな物語に回収されない様々な声たちが響き交わす場を作り、対抗のビジョンを提示する試みとして共通しているからだ。」

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