散文「文芸の友と生活」(北一郎)の周辺(3)
北一郎「文芸の友の生活(三)」「グループ桂」67号掲載作品の伊藤桂一氏の論評
(承前)「川合氏につながって、私も、昔のころを思い出せて、いろいろ考えさせられたことでした。『グループ桂』も小説研究よりも、同時に、小説勉強時代の回想を語り合うことも面白いのだと思いました」
次に、編集者が紙面の都合上一頁分白紙ページが出るというので、それを埋めるために北一郎は、詩人回廊で主張してきた寸編小説として「五重の塔の翳り」を掲載した。それに対する評もあった。
「今回のあなたのエッセイ『五重塔の翳』やさしい家庭人だなァと思いますね。川合さんの影になってるけれど、物書きとしては、いつも正面に出て来て欲しいですね。『グループ桂』もあなたに支えてくださって、関係者は喜んでいますね。よろしく」。
北一郎も、かつては「グループ桂」に意欲的に短篇を発表し、伊藤先生に意見を聞いては雑誌に売り込みをかけたものだ。2,3は売れた。10年ぐらい前だ。娯楽雑誌は稿料が40枚で6、7万円だったと思う。編集部があてにしていた原稿が入らなくなると、急きょ声がかかった。それよりも、朝日ジャーナルの元副編集長K氏から紹介されて、経済ライターとして投資雑誌に経済記事を書いたり、経済団体向けの機関誌・紙の原稿依頼への対応のほうが、安定的に収入になっていた。取材付き記事5枚くらいで2万円くらいだった。依頼してくる団体は1000人から2000人以上の会員がいるので、読者数もかなり多い。ライブドアサイトでPJニュースを書いていたころは、そうした仕事に関連した業界の知識を利用して書いた。「暮らしのノートPJ.・ITO」のニュース記事で、中小企業やベンチャー企業など関連で、多彩なのは、そうした機関紙・誌の発行で得た知人情報がもとになっている。企業の総務部では、社員の健康から個人情報保護など、生活全般にかかわる問題を抱えている。いまでも取材依頼や問い合わせがあるが、家庭の介護の問題があって応じられない。せめて脱原発など電力問題は、市民の立場から事実関係をはっきりさせておこうと考え、合い間をみては取材していくつもりだが。
最近は文芸では、「グループ桂」の発行支援で埋め草に書くということが多くなった。以前は小説で現代の商業主義に問題を投げ込むという意識もあった。作品に原稿料がつくことは、とりもなおさず今の時代に価値が認められたということになる。自分なりに企画小説を提案したりしていたが、その才気が自分には不足しているようだ。時代に取り残されている感は否めない。伊藤桂一先生はその頃の北一郎の作風を覚えていて、そうした売れるような小説を目指しなさいというのであろう。しかし、同人誌には同人誌の役割があると思う。それにふさわしいのは、散文だと思う。
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