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2013年5月31日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」(13年05月29日朝刊)長野秀樹氏

題「普通の登場人物」
納富泰子さん「蛇苺の紅-愛しい人たち-」(「KORN」2号、花書院、福岡市)、田中壮二さん「昨日、私は三十歳だった」(「西九州文学」34号、長崎市)
「西九州文学」より宮崎栖吾郎さん「五十年-遠い記憶」・丸田玲子さんの田中豊英さん追悼エッセイ、「KORN」より中山淳子さん「『ドイツの伝説-グリム兄弟編集』から」、「海峡派」127号(北九州市)より永吉豊さん追悼特集・坂本梧朗「擒(とりこ)の記」連載最終回
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年5月30日 (木)

文芸同人誌評「週刊読書人」(13年05月10日)白川正芳氏

白木寛「意外な注文の叶うハルキ図書館」(「蒼空」17号)、有田美江いわて移住日和」(「舟」150)、千田よう子「たまに見たくなるんです。」(「じゅん文学」75号)
「じゅん文学」の会は平成24年度名古屋市芸術賞奨励賞受賞・戸田鎮子「後記」
陽羅義光『愚家族』(かりばね出版)、花沢哲文『高山樗牛』(翰林書房)、猿渡由美子「風の訪れ」(「全作家」89号)、市川奈津美「荒川・放水路」(「孤帆」20)、しん・りゅうう「曼珠沙華」(「山形文学」102)、星川ルリ「落としもの」(「美濃文学」87)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年5月29日 (水)

「かみさんの歌」原詩夏至

かみさんの歌   原詩夏至

風呂場で、/かみさんが、/歌っている。
ろうろうたる声、/でも中国語なので、/歌詞の意味は/さっぱりわからない。それでも、/昔、/歌手になろうと/偉大音楽の先生に/基礎から/習っていたことがあるんだよ。かみさんは/よく/そう言う。/謝礼は/野菜や工場の余りの服。/当時はそんなでも/アリだった。
かみさんは/結局、/歌手にはならなかった。/ま、/いろんなことがあったんだろうな。/そうして/はるばる/日本まで来て、よりにもよって/俺なんかくっついて/今、/こうして/風呂場で歌っている/いつまでも
その遠い昔の革命歌みたいな/歌声が/居間まで/響いてくる。
ぽっかりと/静かな夜である

原詩夏至詩集「波平」より(2013年5月21日 東京 土曜美術出版販売)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
物々交換が効く時代の話。いまは、月謝に謝礼、お中元、お歳暮に折箱などの物。月謝を品物にしたら驚かせてしまうでしょう。淡々とユーモアな視点の日常生活の描写、おかみさん風呂場に歌う光景が微笑ましい。国家間は緊張があっても庶民は別。故郷はどこの国の人でも懐かしい。革命歌で国を想う。日本の平和の中味を問うています。

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2013年5月27日 (月)

作家の育つ場所はどこか

 第12回「女による女のためのR―18文学」(新潮社主催)は、大賞に朝香式さん「マンガ肉と僕」、読者賞には森美樹「朝凪」が決まり、贈呈式が行われた。この賞は2001年、新潮社の女性編集者らが企画して創設。エロティックな小説の書き手に女性が少なかったので、女性が書いた性をテーマにした小説に限定して募集。当初約320人だった応募者が約829人に増えた。
 受賞者か窪美澄さんは受賞作を含む連作短編集「ふがいない僕は空をみた」で山本周五郎賞、2作目の「晴天の迷いクジラ」が山田風太郎賞に選ばれた。吉川トリコさん「グッモーエピアン」、蛭田亜紗子さん「自縄自縛の私」が映画化されて話題になった。宮本あや子さんは「花宵道中」が単行本と文庫を合わせて11万部超えのヒットになった。新潮社の担当者は「性は人の生き方を描く上でのとっかり。あえてそれを掲げたことで、書くということに自覚的で、覚悟をもって応募してくる書き手が多い」とし作家として自分と向き合うものを持っている」と語る。(東京新聞5月27日、夕刊)
 これに限らず、ライトノベルなどで、とにかく通俗的なジャンルで読者を獲得し、出版編集者との信頼を築き、そこで苦節10年.本格的な作家活動に入るケースが多い。「文芸同志会もひろば」で「ラノベ・ブロードウエイ」と称したのは、どのジャンルからでも作家業に参入できる広いルートになっているという意味である。昔は、文壇という世界が機能したが、現在はそれはない。
 そのかわり自分の創作世界の読者を招き、呼び掛けてファンをつくることが可能になった。このサイトで「言壷」グループの赤井都さんの情報を出すのは、彼女は読者の依頼で、誕生日のための超短編を書いたり、ファンという個人の依頼にこたえて作品を書いて販売していた。そのファン層に出版社が目を付けた。出版社でも何が売れるかわからないので、そうしたファンづくりの動向を目安にした可能性もある。同時に赤井さんには有力文学賞の最終予選にのこるほどの純文学的な水準の高い作風の実力があるということだ。現在は豆本の世界で活躍しているが、好きなことを好きなだけやって、充実した生活をしているものと思う。主体的に活動をしている。
 また、ライトノベルの作家も、ある時期がくると売れなってくる。そうすると、作者は、読者が現在よりもっと高い水準のものを求めていると感じて、内容の水準を深め高めてゆく。それが可能な才能のある人が、作家としての地位を確保できる。編集者だけでなく、読者が作家を育てる時代になっているのではないか。

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2013年5月25日 (土)

日本文藝家協会総会にみる事情

 日本文藝家協会の総会事情を穂高健一氏がレポートしている。≪参照:穂高健一ワールド≫会員の高齢化が進んでいるようだ。若い作家たちは、あまりその意義を重視しなくなったようだ。物書きで会員になる人とならない人がいる。日本ペンクラブもそうだがーー。
 入会するには著作物があることと、推薦人が必要で、会費もばかにならない。自費出版をして、会員に推薦をしてもらって入会している人も少なくないようだ。穂高氏は、伊藤桂一氏の門下生なので、師が推薦している。私も同じ門下生だが、著者名で刊行したのは「文学フリマ」用に発行した簡易製作ものしかない。
 若いころはマーケティング専門記者として企業の営業マンや流通人向けのテキストや企業PR誌をまとめたり記事を執筆した。その仕事から離れたときに、企業の人から、あれまだ使われているけど、著作権料はもらっている? ときかれた。製作協力費はもらったが、その後は知らないというと、ばかだね、もらうべきだよと言っていた。だいたい企業PRプロジェクトでの人的関係は、それが終わると縁が切れるのが普通である。私は個人的にその後も続くひとが幾人かいた。パソコンを始めた時も、そうして知り合った電気技術者に問題があると教わっていた。その彼が亡くなってしまったので、困っても困ったままだ。いま考えると、自分はそういう人たちが満足する仕事をして、喜んでもらえるもの書くというクセから抜け出ていない。今でも、頭の隅に、すでに亡くなっているかもしれない人が、どう読むだろうと思いながら書いているようなところがある。

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2013年5月24日 (金)

散文「文芸の友と生活」(北一郎)の周辺(3)

北一郎「文芸の友の生活(三)」「グループ桂」67号掲載作品の伊藤桂一氏の論評
(承前)「川合氏につながって、私も、昔のころを思い出せて、いろいろ考えさせられたことでした。『グループ桂』も小説研究よりも、同時に、小説勉強時代の回想を語り合うことも面白いのだと思いました」
 次に、編集者が紙面の都合上一頁分白紙ページが出るというので、それを埋めるために北一郎は、詩人回廊で主張してきた寸編小説として「五重の塔の翳り」を掲載した。それに対する評もあった。
「今回のあなたのエッセイ『五重塔の翳』やさしい家庭人だなァと思いますね。川合さんの影になってるけれど、物書きとしては、いつも正面に出て来て欲しいですね。『グループ桂』もあなたに支えてくださって、関係者は喜んでいますね。よろしく」。
 北一郎も、かつては「グループ桂」に意欲的に短篇を発表し、伊藤先生に意見を聞いては雑誌に売り込みをかけたものだ。2,3は売れた。10年ぐらい前だ。娯楽雑誌は稿料が40枚で6、7万円だったと思う。編集部があてにしていた原稿が入らなくなると、急きょ声がかかった。それよりも、朝日ジャーナルの元副編集長K氏から紹介されて、経済ライターとして投資雑誌に経済記事を書いたり、経済団体向けの機関誌・紙の原稿依頼への対応のほうが、安定的に収入になっていた。取材付き記事5枚くらいで2万円くらいだった。依頼してくる団体は1000人から2000人以上の会員がいるので、読者数もかなり多い。ライブドアサイトでPJニュースを書いていたころは、そうした仕事に関連した業界の知識を利用して書いた。「暮らしのノートPJ.・ITO」のニュース記事で、中小企業やベンチャー企業など関連で、多彩なのは、そうした機関紙・誌の発行で得た知人情報がもとになっている。企業の総務部では、社員の健康から個人情報保護など、生活全般にかかわる問題を抱えている。いまでも取材依頼や問い合わせがあるが、家庭の介護の問題があって応じられない。せめて脱原発など電力問題は、市民の立場から事実関係をはっきりさせておこうと考え、合い間をみては取材していくつもりだが。
 最近は文芸では、「グループ桂」の発行支援で埋め草に書くということが多くなった。以前は小説で現代の商業主義に問題を投げ込むという意識もあった。作品に原稿料がつくことは、とりもなおさず今の時代に価値が認められたということになる。自分なりに企画小説を提案したりしていたが、その才気が自分には不足しているようだ。時代に取り残されている感は否めない。伊藤桂一先生はその頃の北一郎の作風を覚えていて、そうした売れるような小説を目指しなさいというのであろう。しかし、同人誌には同人誌の役割があると思う。それにふさわしいのは、散文だと思う。

 

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2013年5月23日 (木)

同人誌「日曜作家」第2号(茨木市)

【「優雅なるトマトケチャップ②」甲山羊二】
 だいたい優雅などという言葉のついたタイトルのものは、あまり優雅ではないものだが、これは「本当だ!優雅だ」と感じる連載短編オムニバス。恋愛の優雅な部分をチョイスして男女の恋心の不思議さを回顧する。相当の技巧派のように思う。
 話は、アットホームな世界を作り上げている僕が、赤ワインを飲みながら、通り過ごしてきた恋の記憶をたどる。物書きとしては、なるほどこういう設定だといいのか、と早速参考にしようとするいじましい心を抑えて、まず紹介しておこう。恋心にもいろいろある。この中にはさりげなく、恋愛と結婚愛の関係が取りこんであって、なかなか濃厚な味と香りがする。これは、腕に技ありでしょう。
 話は恋をした彼女と共に過ごす時間が楽しくて、彼女が過去に結婚をしているので、その体験がまた恋心を誘う。そして、彼女は夫と恋人関係であった時は、肌の触れ合いの欲望も強くて、魅了されていた。それが結婚してみると、その欲望が湧いてこない。魅了されることがなくなってしまう。それで、別れてしまうのだが、その後、元の夫に出会う。するとなんく魅力を感じて、また肌を触れ合うことになる。その話を聞かされた僕は、彼女に恋をし、彼女との肌の触れ合いの過程を想いおこすことを楽しむのである。短いけれど詩的に凝縮されている。性欲の完全なる陶酔への欲望は同じだが、そこにまつわる時間の共有、相手の体験への想像力などは多様である。そのため恋愛小説が絶えることがない。
 ケアラックの小説「地下街の人びと」の主人公の恋人はオーガズムの痙攣が20秒続いたあと、いう。「どうしてもっと長くつづかないのかしら」。そうなったら芸術は力を失うのかも。ニーチェは「権力の意思」で「芸術と美の憧憬は性欲の恍惚への間接的憧憬であり、この恍惚を性欲は脳髄に伝えるのである」とし、「私たちが芸術をもっているのは、私たち真理で台なしにならないためである」ともいう。ニーチェも雑事のかたまりである人間の真理が人生を台無しにすることを残念に思っていたのだろう。私は、雑事にまぎれており、おまけに哲学者でないので、残念とは思わない。仕方がないと思う。
 そのほか、この優雅な作品を読んだら、ロダンの「接吻」を思いおこした。肌をあわせていながら、触っているのか、その直前なのか、恍惚に行く前のためらい。そのようなものを想いおこさせる。

なお、「日曜作家」では、当誌掲載と副賞5万円の「日曜作家賞」を公募している。
発行所=〒567―0064大阪府茨木市上野町21-9、大原方。日曜作家編集部
紹介者・「詩人回廊」伊藤昭一

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2013年5月22日 (水)

個人出版の電子書籍が、ハヤカワ文庫に「ジーン・マッパー」

 個人出版の電子書籍として話題を集めていた藤井太洋さん(42)の小説「Gene Mapper(ジーン・マッパー)」が、ハヤカワ文庫から刊行された。(2013年5月19日 読売新聞)。同書はSF。会社員だった藤井さんは初の小説となる今作をiPhoneで執筆し、昨年7月に電子書籍として刊行。延べ約9000部を売り上げるなど個人出版の電子書籍としては異例のヒットとなった。――とある。≪参照: 「Gene Mapper(ジーン・マッパー)」
 こういう技術があれば自分でPRできるということになる。この形式と内容との関係など、次第にわかってくることであろう。まさにテクノロジーと表現伝達の進歩はどこまでいくものやら。
 藤井さんは「紙で出す場合には、出版社がほぼ全面的な書き直しに付き合ってくれるということが条件だった」と語る。個人出版の時点では、スマートフォンで読まれることを想定し、画面が頻繁に切り替わっても意味が通じるように文章を工夫していた。一方、文庫版はパソコンで執筆し、紙で文章を読み返すなど、執筆スタイルも変わった。藤井さんは「スマートフォンと電子書籍端末、小型タブレットのようにメディアが変われば、やれることも違ってくると思う。個人出版や電子書籍ならではのチャレンジをしていきたい」と話している。――という。

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2013年5月21日 (火)

散文「文芸の友と生活」(北一郎)の周辺(2)

 この作品の中身は、私より九歳年長の友人で、江戸川乱歩の主宰するミステリー雑誌「宝石」に新人二十五人集としてデビュー。二度ほど作品を発表していた川合清二氏との交際を描いた。この新人二十五人集には、木枯し紋次郎の小説で有名な笹沢佐保がいた。川合氏は作家への道を志したが、会社経営に乗り出したことで作家にならず、「グループ桂」同人として活動。78歳で亡くなっている。川合氏の追悼の意味で書いたものであるが、「グループ桂」の編集者から、近年は提出作品が少ないので、出来るだけ長くしてといわれていた。そこで、ただの追悼文というより、散文的小説のようなスタイルを作ってみようと試みた。散文なら終わることがないように出来ると思ったからだ。その初回は「詩人回廊」の「伊藤昭一の庭番小屋」に連載形式で途中まで掲示している。なぜ途中までかというと、そこから先は北一郎の生活が少し描かれているからだ。追悼であるから、「グループ桂」同人以外の人には必要がないと考えたためだ。それを3回連載したが、伊藤桂一先生は、長いのは歓迎しない意向のようである。
 北一郎「文芸の友の生活(三)」「グループ桂」67号掲載作品の伊藤桂一氏の論評
 「北さんは川合氏追悼の文章を、こころゆくまでつづけて来て、彼も地下で喜んでいることでしょう。私も当時は彼と似た投書生活をしているし、流れ流れに生きてきたのでよくわかります。 生き方を少し踏み外すと、終生元に戻らない。
 川合氏は、それにしてもあくまでがんばったし、その気魄と生きカの事情が、これ以上には書けないくらいに詳細を尽くしています。
 それにしても北さんも面倒みのよい、親切な人ですね、川合氏よりも、その後ろ側にみえかくれして、北さんのことがよく見えてきます。あなたも短編をよく書いていたし、この連載で川合氏と別れたら、また、壮快な短編をはじめてください――」つづく。

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2013年5月20日 (月)

散文「文芸の友と生活」(北一郎)の周辺(1)

 同人誌「グループ桂」というのは、作家・詩人の伊藤桂一氏の小説の門下生の作品発表の場である。伊藤桂一氏に作品を提出して、その指導を受ける。≪参照:グループ桂のひろば≫。
 伊藤桂一氏の門下性は、ほかのジャンルにも多くいて、すでに伊藤桂一氏の戦記物評論で大手出版社から本を出している人もいる。その他、詩人界にもいるのではないかと思うが、それらの人達のことはよく知らない。「グループ桂」の同人では、作家・穂高健一氏が日本ペンクラブの広報をし、小説教室の講師をしている。小説「海は憎まず」も刊行している。活躍中である。
 北一郎は、本名が先生と一字違いである。弟か息子のように間違われると困るので、筆名を使っている。かつて企業内のコピーライターをしていた。北は本質的に孤独で、自由を好むためか、企業や団体にいてもまずはみ出してしまう。だからプロジェクトチームの外部参加が多い。昨年まで、経済ライターとして、投資雑誌や自治体の外郭団体の機関新聞を支援し、記事も書いていた。北浜流一郎氏(もと作家で、いまは株投資顧問・コンサルタント評論家)と同じ雑誌に執筆していたことがある。
 小説で作家に師事することは、どういう風なの? という質問をよくされる。そこで、たまたま、師である伊藤桂一氏が神戸に転居し、「グループ桂」の合評と指導がなかったので、執筆者に評が郵送されてきた。そこで、北一郎が「グループ桂」67号に書いた「文芸の友と生活(三)」への評の部分をここに紹介してみようと思う。

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2013年5月19日 (日)

文芸同人誌評で知られる東谷貞夫氏のこと

 文芸同人誌の作品評を、雑誌「文芸思潮」やネット掲示板に執筆していた東谷貞夫氏の訃報が関係たちを驚かせている。≪参照:文芸同人誌案内掲示板
掲示版を読むと、非常にきめ細かく、同人誌交流振興ののために活動されていたことがわかる。私もあっけにとられるというか、驚きであった。東谷さんは、昨年秋のTRCでの「文学フリマ」で、私のブースに見えた。彼は「風の森」という同人誌の発行者という印象があった。その雑誌を送ってきていたが、それがなくなった。作品紹介向けではよくあることなので、気に止めていなかった。そこで、私はこれまで経済ジャーナリストやコンサルを業としてきたが、不定期な家庭の用事の都合より、それをやめて趣味の文芸に力をいれるような話しをした。それ以来「文芸思潮」がこまめに送られてきて、同人誌評を本格的にやっていることがわかった。そして、3月に同人雑誌を対象にした推奨作品選考評議会のようなものがあるというので、参加しアジア文化社の五十嵐勉氏とも再開し、情報交流をしはじめたところであった。縁をつないでくれた本人が他界されるとは――そいういうのに慣れた世代になっているとは言え、なかなか慣れるものではない。冥福を祈るしかない。
 

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2013年5月18日 (土)

「光年のためらい」石塚邦夫

 この詩は、「コブタン」NO.36号に掲載されている。連作をうたって多彩に並べられている。「コブタン」36号には、須田茂・近現代アイヌ文学史稿(一)がある。文芸同志会は、会の発足前から市民外交センターへ毎月300円(当時のカフェのコーヒー料金)を寄付をしている。センターは国連の少数民族サポートNPOの認定を受け、アイヌや台湾原住民などへの支援関与をしている。そこで、興味深く読んでみようと思っており、また須貝光夫「鳩摩羅什の足跡を訪ねる旅」がある。ゆっくり読もうと思っていた。
 たまたた石塚邦夫氏のコメントがあったので、とりあえず、詩について紹介する気になった。「光年のためらい」は――冬/の/日の海は荒れているか――ではじまり地上の光景から地球空間的なイメージを展開している。それに続くのが「方舟の軌道を泳ぐ魚」で、宇宙世界を俯瞰するイメージを語り、その支配者としての人間界における神への存在性を問おうとしている。よいイメージの展開がなされている。その他「朝の旗」、「川」、「悲しみの声」がある。良質な言葉と視点の広大さによって、ロマンチストであることがわかる。
 この中で「川」という作品では、川を見下ろす男と女の光景を、言葉の繰り返しで素朴に表現しており、日本語の伝統的な言葉の世界でさりげない表現センスが発揮されている。川を見ている男や女、それ見ている作者も、理由も理屈もなく見ているだけのこと。それはしかし、確実に事実的なもので、人間性の本質がそこにあるのかも知れないのだ。
 先日、大江健三郎氏と本谷有希子氏の対談を聴いた時に、大江氏は、詩を賞の対象になぜ加えないのか、という質問に「自分は小説のなかに、今では古臭いよ評される詩を入れるかも知れないが……」と述べた。これは現代詩の多様性、難解性のなかで、伝達性を失っている現状に傍観的にならざる得ない、物語作家の立場を示しているように思えた。
 石塚氏の詩作品は、そうした難解性に逃れたり、まぎれたりすることはしていない。

紹介者・北一郎(「詩人回廊」)

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2013年5月17日 (金)

大江 健三郎氏 × 本谷有希子氏の公開対談を聴く

 15日に行われた大江健三郎賞受賞者との「第7回大江健三郎賞公開対談」 大江 健三郎氏 × 本谷有希子氏を聴,きに行った。この賞は大江氏が選考を行い、受賞作は英語などで翻訳出版される。対談でも語っていたが、この賞のすごいのは、2012年に日本で刊行された「文学の言葉」を用いた作品約130点の中から決定したということだ。
 我々一般人ではとても出来ない作業を、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が行い、その選りすぐりを示してくれるということだ。その本を読まないでいる理由はない。とくに私は、現代文学といっても掴みどころが感じられず、誰のどのような作品を読んだら、自分の人生を豊かにするのか、特定の作家やジャンルを傾向的に読むことができないでいる。
今回の対談では、大江氏が、小説家が小説家であることの意味や、聴衆からの質問で、なぜ、詩が賞の対象にならないのか、という問いに答えるなど、現代の日本の詩や小説の状況を反映して意義深いものがあった。
わたしは対談の終ったあとの聴衆からの質問の時間をいただいたので、本谷さんにこの短編集の語りの1人称と3人称の使い分けの基準について質問させてもらった。
 エンタイーテーメントのストーリーの判りやすさを重視する場合に多く3人称が使われる。ところが、純文学となると、たとえそれが第3人称であっても、結局のっぺりとした3人称形式1人称的な表現であることが多いからだ。ところが、今回の本谷さんの「嵐のピクニック」のなかの「アウトサイド」では、1人称なのに実質的に3人称的表現と思われる文章なのだ。こうした、妙なねじれたような表現では、私はパトリシア・ハイスミスしか想いうかばないのであった。前から、ハイスミスに訊いてみたかったのだが、それはできない。本谷さんにきいても同じなのかなと、思って質問したのであった。この対談は、報道的な視点で「暮らしのノートPJ・ITO文芸」で記録していきたいと思う。これからはフリージャーナリスト(仕事がフリーター)の立場で、文芸的なものに力点を置くというか、いまのところそうするしかないのである。

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2013年5月16日 (木)

「そのときソクラテスは?」 牧草 泉  

そのときソクラテスは?   牧草 泉

前立腺炎 高血圧症/老眼 関節炎 歯痛/まだあるぞ/糖尿病 帯状疱疹/運動をして 食事療法をして 薬を飲んで/病院の先生は言う/「老人病だから仕方がないんだよ」/でも苦しい つらい 泣きたい/こんなにしてまで/なぜ生きなければならないのか/いっそ/「生きてくれなかったら・・・・・」/もし/ソクラテスだったら?/てんこ盛りの病にも動じることなく/泰然自若として善を説いた?/うっそー アンビリバブル!/ソクラデスだって/きっと老いの病に/泣きくれていたはずだよな
文芸同人誌「海」第二期第九号より(2013年4月1日 福岡市)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
人の希むところは、一生健康的で、病気知らずにすごせること。善意に満ちて、悪のない世界にくらす―。なんと美しい理想像であることか。しかし、病気でないと健康のことを知ることがない、悪心がないと善人のことを知ることもできない。こうやって両極があって個体環境の平衡を保っているのでしょう。病気のオンパレートを体験するなかで、「ソクラデスだって/きっと老いの病に/泣きくれていたはずだよな」と言って、慰めが得られるのでしょうか。アイロニーが漂うところが共感をよびます。

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2013年5月15日 (水)

文芸作品における内蔵情報伝達性

 文芸作品には、そこにすでに情報伝達または発信の機能がある。自分はブラグマチストであるのか、実際になにかの役にたたないと、気が済まないというか、そうであろうとする。先日、取材した「超文学フリマ」のレポートも、いま現代の文芸界のひとつの動きとして、知るべきであろうと、社会的な視点も加えて、文芸雑誌への採用を働きかけているところだ。
詩人回廊「菊間順子の庭」では、現代の都市街の状況が、リアルに盛り込まれている。また、同「江 素瑛の庭」では、肉親の追悼とその思い出が表現されている。ネットサイトサイトでることを活用して、アメリカや台湾、東北地方に分散している親族にも、読むことができることになる、。、

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2013年5月12日 (日)

「超文学フリマ」(4月28日、幕張メッセ)の同人誌情報

 4月28日に幕張メッセで開催された「ニコニコ超会議2」in 「超文学フリマ」が開催された。超会議は27日~28日の2日間であった。超文学フリマは28日のみであったが、ボランティア運営委員は前日の夜から設営に会場に行った。みなさん、それぞれ仕事の事情をやりくりしてよくやっている。
参加者からの意見情報は「文学フリマ事務局通信」にトラックバックされている。
 また「暮らしのノート文芸同志会」でのリポートや「同・文芸」などで情報にしている。
 とくに芸能カテゴリの「大分おたふぇす」の記事は、はてなブックマークに登録されてからアクセスが倍増した。この通信ブログもよく登録されたものだ。だからアクセス数が少なくても検索上位にくるような気がしている。
 文芸同志会は、文学フリマの、ボランティア運営支援に山川氏に出てもらっている。わたしは体力が失われ、邪魔になるだけの存在だが、とにかく取材をした。まあ、この年になるまでよく、他人から迷惑がられてきたものだ。そんな時に「人間はお互いに迷惑な存在であることが社会人の証拠でしょう。迷惑をかけないことに徹したら、人間社会は、消失してしまいますよ」と強弁したものだ。すると「あんた、面白いことを言うね」と、取材に応じてくれたものだ。生きている限り、どんな偉そうなことを言っても、誰かに迷惑かけている。死んでも迷惑をかけないということではない。とにかく、ひきこもらずに外に出よう。寺山修司の本に「書を捨てよ、町にでよう」というのがある。これはジイドの「血の糧」という本のアレンジだが、時代に合わせてアレンジすることで人々に受け入れられる。超文学フリマの参加者のなかに「わたしの文体は、ひきこもり文体」ですという人がいた。写真もOKだった。自己表現は引きこもりタイプでも、外に出る。すばらしいではないか。
 

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2013年5月11日 (土)

文芸誌「KORN」コルン2・2013.4(福岡市)

【「蛇苺の虹―愛しい人たちー」納富泰子】
 昭和の時代に、血縁、地縁の一族の栄枯衰勢の末に滅んだ民衆の物語である。親族がお互いに助け合い、強い絆があるが、そのかわり私生活までずかずかと踏み込み合う。孤独死は滅多にないが、お互いの生活に踏み込み合って、個人は親族のしきたりのなかに埋もれてしまわないと許されない。そういうべたべたとした関係がまた生きがいになる昭和の庶民たちだった。そういう個性をゆるさない、もたれあいの社会をみっちりと描く。本書の第1号の納富さんの作品も読んでいたが、短すぎて作者の手腕が小手先芸に埋もれてしまっていた。道端の雑草ような、どこにでも見られる身辺雑記物に毛の生えたものとの相違が明確でなかった。それを指摘すると、折角の門出に、悪口に思われて気分が悪かろうと、紹介の対象にしなかった。
 それでもしかし、この作品は長いため、日本人社会のつながりの原点をじっくり表現して、今は失われた世界を滅びの美学の視点描く。エピソードが生きて、表現のエネルギーとしてまとまっている。1号と2号を合わせ読むとさらに良いのではないかと思う。問題提起と作品的な回答は同じ画布にあり、絵巻物のようにつながっている。
 そういうわたし自身、漁民の家であった。海の農民の長男である。総領の甚六という。本家、分家、新家と先祖伝来のしきたりの中で、くだらない同族意識の愛憎に付き合わされてきた。その絆の親たちも親戚もほとんどが、亡くなってしまった。たとえ良いことでも、不愉快で思い出したくもない。たしかにここに出てくるようなおばさんたちがいましたよ。しかし、本作品を読んで、その嫌悪感も愛情のうちなのか、と思った。小説としてはつまらない部類だが、それに惑わされすに読んでみるものである。こういう気持ちの悪い日本人の世界を、美学的にも思えるように描くことのできる納富さんは魔女でしょう。
発行所=〒811-1353福岡市南区柏原2―23-5、納富方。
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2013年5月10日 (金)

プロレタリア―ト系文学世代は何処に向かうかⅢ

 詩人回廊「外狩雅巳の庭」で論じられているプロレタリア文学論考について――いまの時代にプロレタリア文学というジャンルの底流にあるのは、社会体制(あるいは組織)と個人、生活のなかの文学芸術という要素である。その一端を示すのが詩人回廊「外狩雅巳の庭」にある作品や論評である。マルクス主義思想での芸術論は疎外という概念のなかに閉じ込められているため、その文学性と大衆性との関係が時代の狭間に落ち込んでしまった。
 とくに同人雑誌文学では、問題提起型と趣味芸術型との二極分化が大勢をしめている。とくに、趣味芸術型のなかに生活身辺を題材にしたものが多いため、そこに便乗したように、ただの身辺雑記がエッセイとして寄稿されている。このためプロレタリア意識による生活小説も、面白いエッセイのように受け取られてしまう。
 プロレタリア文学はマルクス主義の最も空白なる分野を埋める思想と芸術の総合として、未踏の分野であったことにその独自性がある。とくに外狩氏の作品や理論を読むと、記憶の底にあった人々のことを思い浮んだ。前に学生アルバイトで働いた町工場で出会った旋盤工のことに触れよう。その旋盤工は年配の共産党員であった。立ち仕事のため痔を悪化させてよく休んだ。
 私は経営者から、彼がどの程度悪いのか自転車で彼の家に様子を見に行かされた。木造二階建ての安アパート、長屋の一室に住んでいた。部屋には布団がたたんであり、服は壁釘に引っ掛けて吊してあった。酒の一升瓶が何本かある。話を聞くと、無駄なものは全部処分した、女房も子供も全部ムダだから追い出したという。
「酒を飲むのはムダではないのか」ときくと「ムダではない」と言い切る。その人の資本論解釈は「資本主義は自己矛盾で恐慌により崩壊し、革命が起こり共産主義社会がやってくる。
 自分たちルンペンプロレタリアートは、その途中段階の埋め石となる歴史的存在になる」というのだ。資本論にはそこまでは書いてない。これはヘーゲルの社会の歴史的発展段階論の概念なのだ。社会の発展段階を担う無名人の歴史的な役割を担う存在の確信論である。外狩氏の作品には、マルクス主義よりへーゲルのビジョンの世界である。
 しかし、社会が発展段階を経てどこまでも発展するという保証はない。そこが問題なのだ。われわれはすでにヘーゲル哲学を卒業してしまった時点にいる。

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2013年5月 9日 (木)

無通貨国幻論―に読む豊田一郎氏のロマン世界

 詩人回廊・豊田一郎の庭「無通貨国幻論」には、資本主義社会における拝金主義への痛烈な否定、拒否的な思想が説かれている。
 通貨・貨幣の存在が、現在のアベノミクス現象にみるように、札を印刷してばらまくだけで、社会的な豊かさ実現するという錯覚を起こさせるのである。このままいくと、国民全員が銀行と証券会社に勤めて、増刷したお札という紙のやりとりをしたほうが、効率よく国の経済が豊かになる、ということになる。
 しかし、それは錯覚である。世界の人々は、それが錯覚であることを明言しない。壮大な日本の実験だという。
 豊田一郎氏は「黒潮に浮かぶ伝説の島」(のべる出版企画)、「遥かなる日の女神たち」(のべる出版企画)など多くの著書で、原始共同体における人間世界を舞台にした小説を発表している。そこには、資本主義社会批判と人間中心的な空想的なロマン社会への憧憬がある。

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2013年5月 8日 (水)

文芸同人誌評「週刊読書人」(13年04月05日」白川正芳氏

『SEITO 百人一首 2012』(「SEITO 百人一首」選考委員会編 同志社女子大学発行)、『歌集平成大震災』(秋葉四郎編 いのり舎発行)
浜野冴子「アンデスの麓から」(「農民文学」玄冬号)
陶山竜子「記憶」(「孤帆」19号)、中山茅集子「蟻」(「ふくやま文学」25号)、伊東貴之「どうして小説など書き始めたのか」(「八月の群れ」56号)、橋脇千枝「毛糸だまをほどいて」(「樹林」3月)、西沢しのぶ「うさぎの椅子」(「文芸中部」92)
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年5月 7日 (火)

同人誌時評(4月)「図書新聞」(13年05月04日)たかとう匡子氏

題「全世代共存という視点が大事」
『鬣』第46号(鬣の会)の特集「俳句の吉岡実」より中島敏之「吉岡実と下町」、『焰』第95号は福田正夫生誕百二十年記念特集、『日本未来派』225号は「高齢化社会における詩人の役割」特集、『青い花』第74号(青い花社)の「追悼・溝口章」より埋田昇二の追悼文・最期の作品「遅桜の里」
『照葉樹二期』第3号より上原輪「夜の足型」、『せる』第92号(グループ「せる」)よりおのえ朔「柿のなる庭」、『詩と眞實』第766号(詩と眞實社)より戸川如風「真白き薔薇の花」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年5月 6日 (月)

文芸時評4月(毎日新聞4月25日)田中和生氏

村上春樹の新長編 突きつけられた幼稚さ
≪対象作品≫村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)/小祝百々子「卵割」(文学界)/瀬戸内寂聴「百合」(新潮)/加賀乙彦「熊」(同)/角田光代「うなぎ屋の失踪」/山城旦敬介「旅立つ理由」(岩波書店)。

 村上春樹新作への高評価と同時に、その評価が定着する日本社会の幼稚性というところに視点をあてた評論。それだけ多様な解釈の余地を広く持った作品のようだ。

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2013年5月 5日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」13年04月30日(火)朝刊長野秀樹氏

題「主人公の一人称」
松本文世さん「芹さんのショール」(「南風」33号、福岡市)、野見山潔子さん「台地からの風」(「火山地帯」173号、鹿児島県鹿屋市)
「群青」14号(福岡県宗像市)より大垣堅太郎さん「近代読書史の一面」・諫山男二さん「敗戦・満州難民の悲話 和子」
「南風」より渡邊弘子さん「龍造」・和田信子さん「別府へ」
「海」第二期9号(花書院)より有森信二さん「文芸漫遊記(二)」
「詩と真実」766号(熊本市)より戸川如風さん「真白き薔薇の花」・斉藤てるさん「百年の綿菓子」
(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめより)


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2013年5月 3日 (金)

野間宏の未発表中編小説を「週刊読書人」が連載

 野間宏の未発表の中編小説「狙撃」が「週刊読書人」に連載されはじめた。これは元中央公論社の水口義朗氏が50年近くも保管していたものだという。その経緯も水口氏の解説に記されている。どうも1961年に中公が深沢七郎の小説『風流夢譚』をしたのがもとで嶋中社長宅が襲撃された事件があった。その余波で、水口氏の前編集長がこの作品の掲載を保留し、そのままになっていたらしい。それがなぜ「週刊読書人」に掲載されることになったかも読めばわかる。これは興味が尽きない。自分は野間宏を読むことがなかったら、小説を書いたかどうかわからないほど、影響を受けている。
 野間宏は戦後「暗い絵」で、横光利一や葉山義樹の新感覚派の手法を発展させ、そのご「真空地帯」や「さいころの空」で資本主義の現実を追求した作家である。プロレタリア文学における面白さが必要とする発想を継承し、資本主義社会と人間追求について、全体小説というジャンルを目指した。「真空地帯」は一種のミステリー小説であり、また世界的にはドイツにおいては、日本の軍隊の本質をもっともよく描いたものとして、分析的に読まれていたものである。

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2013年5月 2日 (木)

文芸時評4月(東京新聞4月30日)沼野充義氏

 本谷有希子「自分を好きになる方法」女の一生を鮮やかに/山下澄人「砂漠ダンス」頭の体操をした気分に
≪対象作品≫村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)/第七回大江健三郎賞受賞・本谷有希子「自分を好きになる方法」(群像)/第四回同受賞作・中村史則「掏摸」/岸本佐和子訳、アリ・スミス「子供」(すばる)/同、ジュディ・バドニッツ「ナディア」(文学界)/「新潮」創刊1300号記念「創作特集」・テーマ特集「小説家の『幸福』/山下澄人「砂漠ダンス」(「文藝」夏号)/今村友紀「ジャックを殺せ」(同)/同その他、舞城王太郎特集・・佐々木中/旦敬介「旅立つ理由」(岩波書店)。
      ☆
 村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)について、「実際に蓋を開けてみれば、世間の大騒ぎとは裏腹に、意外に静かな作品だった。東京に住む三十六歳の独身男性が、二十歳の頃に深刻な心の傷をもたらした不可解な出来事の真相を探るために、恋人に励まされて「巡礼」の旅に出るとともに、新たな愛を獲得して生きて行こうとする。「普通にいい」小説ではないか。村上春樹の人気ぶりは、そのような小説が膨大な読者(購買者)ターゲットとした商品になりうることを改めて思い出させてくれた」とする。
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2013年5月 1日 (水)

プロレタリア―ト系文学世代は何処に向かうかⅡ

 話の続きはする前に、先日「詩人回廊」のサイトのアクセスカウンターが表示されなくなった。どこのプロバイダーもそうだと思うが、ツイイッター、スマホ、フェイスブックに使いやすいように、コントロールデザインをやたらと変更するのである。操作の記号や使用法が前と異なるので、どこをどうすればよいかわからない。訪問者数表示のところに訪問人数とページビュー(PV)があったので、PVに変えたら表示された。ページビューとは、訪問者が異なるページを見ても数字が加算される。訪問者の人数はその半分くらいとなる。「詩人回廊」は、本当に興味がある読者しか読んでいないのは、その数の少なさで証明されると考えている。毎日10人前後なのがこれまでの事例であった。ときどき異常な数値が出ることがあるが、こちらでは何もしていないので原因はわからない。
 ところで、外狩氏の体験との関係の話に戻ろう。
私は、マルクス・エンゲルスが構築した理論が、歴史を資本形成の法則として後世から体系的に捉えることが出来ることを知って、もっと知りたいと夜間大学へ通うようになった。すると、会社の上司から残業をしない、勤務態度が悪い。大学の専門が工場現場役立つ工学部でなくて、なんで「経済学」なんだ、と文句をつけられ、退社した。生活費と学費のためアルバイトは、やはり町工場。旋盤、シャーリング、ボール盤、キサゲ作業、銘板目盛版彫刻などやった。けとばしというプレス作業が両手でスイッチを押さないと落ちない電動式になっていた。「吹けばとぶような将棋の駒に~」と周囲の誰かが、やけくそ気味に歌っていた気がする。
 そのなかで「資本論」を読んでいるという年配の旋盤工に出会った。わたしはすでに大学で経済学を専攻し、教養学部の段階からマル・エンの「経済学批判」(マルクスの資本論の前段部分)を学んでいたので、共産党員の旋盤工の独特の資本論解釈に驚かされた。
 外狩雅巳氏と私は、こういう時代の同じ空気を吸ってきたわけである。彼は猛然と執筆原稿を送ってきている。編集人の自分は、掲載順をコントロールしていかねば、サイトがハイジャックさたようになってしまう。作品や主張を読むと、彼は本質的に詩人体質である。本人がどう自覚しているかは知らないが、これから論評の対象にしてゆくつもりだ。議論になればそれも面白いかも知れない。
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