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2013年5月23日 (木)

同人誌「日曜作家」第2号(茨木市)

【「優雅なるトマトケチャップ②」甲山羊二】
 だいたい優雅などという言葉のついたタイトルのものは、あまり優雅ではないものだが、これは「本当だ!優雅だ」と感じる連載短編オムニバス。恋愛の優雅な部分をチョイスして男女の恋心の不思議さを回顧する。相当の技巧派のように思う。
 話は、アットホームな世界を作り上げている僕が、赤ワインを飲みながら、通り過ごしてきた恋の記憶をたどる。物書きとしては、なるほどこういう設定だといいのか、と早速参考にしようとするいじましい心を抑えて、まず紹介しておこう。恋心にもいろいろある。この中にはさりげなく、恋愛と結婚愛の関係が取りこんであって、なかなか濃厚な味と香りがする。これは、腕に技ありでしょう。
 話は恋をした彼女と共に過ごす時間が楽しくて、彼女が過去に結婚をしているので、その体験がまた恋心を誘う。そして、彼女は夫と恋人関係であった時は、肌の触れ合いの欲望も強くて、魅了されていた。それが結婚してみると、その欲望が湧いてこない。魅了されることがなくなってしまう。それで、別れてしまうのだが、その後、元の夫に出会う。するとなんく魅力を感じて、また肌を触れ合うことになる。その話を聞かされた僕は、彼女に恋をし、彼女との肌の触れ合いの過程を想いおこすことを楽しむのである。短いけれど詩的に凝縮されている。性欲の完全なる陶酔への欲望は同じだが、そこにまつわる時間の共有、相手の体験への想像力などは多様である。そのため恋愛小説が絶えることがない。
 ケアラックの小説「地下街の人びと」の主人公の恋人はオーガズムの痙攣が20秒続いたあと、いう。「どうしてもっと長くつづかないのかしら」。そうなったら芸術は力を失うのかも。ニーチェは「権力の意思」で「芸術と美の憧憬は性欲の恍惚への間接的憧憬であり、この恍惚を性欲は脳髄に伝えるのである」とし、「私たちが芸術をもっているのは、私たち真理で台なしにならないためである」ともいう。ニーチェも雑事のかたまりである人間の真理が人生を台無しにすることを残念に思っていたのだろう。私は、雑事にまぎれており、おまけに哲学者でないので、残念とは思わない。仕方がないと思う。
 そのほか、この優雅な作品を読んだら、ロダンの「接吻」を思いおこした。肌をあわせていながら、触っているのか、その直前なのか、恍惚に行く前のためらい。そのようなものを想いおこさせる。

なお、「日曜作家」では、当誌掲載と副賞5万円の「日曜作家賞」を公募している。
発行所=〒567―0064大阪府茨木市上野町21-9、大原方。日曜作家編集部
紹介者・「詩人回廊」伊藤昭一

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