鈴鹿市の文芸評論家、清水信(しん)さん(92)
三重県の文芸評論家、清水信(しん)さん(92)は文芸同人雑誌の歩みを見つめ続けてきた。
最盛期は月三百冊以上の文芸同人雑誌が自宅に送られてきた。今は月百二十~百五十冊程度。「昔は月刊が主流だったが、最近は季刊が多い」とも。高齢化の波は、同人雑誌の世界でも顕著だという。清水さんは現状を「若い人は書くことは書く。だが、読まない。読み手が同時に書き手の時代ではなくなった。何か書きたい、何か訴えたいことはあるけど、他の人の書いたものは読みたくないという人が多い。合評会でも自分の作品だけを何回も読んでくる。これでは合評にならない。同人雑誌は同人の仲間が一番の読者だが、それが若い人は嫌なのでしょう」(東京新聞2013年4月13日)同人雑誌の生き字引 清水信さん
半世紀以上、同人雑誌を見続け、生き字引ともいえる存在の清水さん。同人雑誌の魅力とは何か。「一番は自由であること。商業雑誌は営業が前提だし、専門雑誌にもそれぞれ目的がある。当然編集権もあるので、その目的にかなわないものは除外する。しかし同人雑誌は何でも自由に書けるのが強み。もともと同人とは、同じ志を持っている人という意味。仲のいい人でやろうということだ。その中で雑誌ごとの特色が出てくる。郷土や地域性を濃厚に出すものもあれば、売り物になる小説、売れる作家を目標に置く雑誌もあった」と語る。最近は同人雑誌から、芥川賞などが出ることはほとんどなくなったが、以前は「同人雑誌に一生懸命書いて、もまれて、中央で認められて候補になった」と指摘する。
一年ほど前から満杯になった書庫の整理を始めた。山積みになった同人雑誌の内容を確かめる。「九州から北海道まで、それぞれ特徴がある。同人雑誌だけで活躍して、そのまま歴史の中に消えていった人が多いが、それらの人への愛着があって、どれも捨てがたい」と振り返る。
四百人以上の作家論を記した。新聞に連載する同人誌評のほか、常時五つほどの同人雑誌に寄稿するなど執筆意欲も旺盛だ。「本や雑誌を読まない日はないね」。積み重ねはとどまるところを知らない。これからも文芸の行く末を追う気概が目に宿っていた。 (石屋法道)
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コメント
清水信さん、もっとも尊敬する評論家のお一人である。
五十年前の私の青春時代にすでに第一線で活躍していた詩人であった。
九十を過ぎた今も若者の文章のように新鮮な批評の文体を持つ。大概の物書きは七十も過ぎると進歩がとまり、固定観念で文章を書くようになる。しかし清水さんは違う。時代の価値観をつねに吸収し続けて日々進化している。それが文章を読むと読者に伝わってくる。価値観というものは時代のものであることを見抜いている。これは稀有のことだ。常にその文章は柔軟にして強靭である。感嘆のほかはない。
一首献上。
いつまでも老いない筆の秘密もつ清水信とふ批評家の あり
石塚邦男( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月14日 (日) 16時18分