村上春樹の人気の肝は、無党派的正論を謎めいた表現でまぶす?
村上春樹人気はブームといってもよいであろう。その魅力については、2009年ごろから語りつくされている。その時点から、根底には無党派層的な、存在への無力感をもつ知識人ではあるが、そこから抜け出す知恵を求める人ったちの共感と安心感を与える効能が指摘されていた。それが、ここまで世界的に読者層を拡大するということは、ある程度生活に余裕が出来て、ふと気が付いてみたら何か空虚なものを感じるようになった人たちが増えたのではないだろうか。
これが同人誌誌にものを書く人々は、書くことによる人生の充実感を得ているから、村上春樹の登場人物になじめないのではないか、と自分は想定する。従って、同人誌作家には、村上春樹を呼んでいる人は少ないであろう。自分は、村上作品を買ったことがなく、発売後3,4年すると地元の図書館が来館者に「自由にお持ちください」と廃棄扱いされるものを読んでいる。現在の新刊も再来年には、それで読めると思う。目下、興味があるのは、かれのマーケティングセンスの素晴らしさです。
すでに2009年当時のネット評論には次のような感想と分析があった。
「現代社会に生きる彷徨える人たち、とくにちょっとした心の病や、何かしらのコンプレックスを持った人や、消極的で行動に移せない人たちにとって、 行動しよう!運命に向かい合って生きていこう! 自分の運命から逃げてはいけない! みたいな、前向きなメッセージを、巧妙で不可思議な物語世界を用いて教えてくれる、現代人が今、最も必要とされる書」
「結局言いたいことは、自分の運命から逃げず、前を向いて歩いていけ、ということだけ。たったそれだけのことを言うために、音楽や文学のうんちくを聞かされ、クールな現代人の生活スタイル話を延々読まされ、人を煙に巻くような、 暗喩だかなんだか知らないけど、わかったようでちっともわからない、不思議な世界を延々語られ、結局は今の世の中でありもしない、 純愛のために生きると、遠回りしても自分自身に素直になれば、最終的には結ばれるみたいな、 そんなこと言わなくてもわかるよ!みたいな1点を聞かされるだけの、ディレッタンティズム的うんちく物語。 (※ディレッタンティズム:芸術や学問を趣味や道楽として愛好すること。)」
「ある種のファッションと捉えることもできる。おもしろい、つまらない関係なく、 村上春樹が何を書いているか、その知識を得るためだけに読むという読み方も、この作家の場合にはあり」
と、分析されている。
いずれにしても、時代の空気を読む感性は、ほとんど霊能者の領域にあり、天才とも異能の作家とも言えるのではないか。
≪参照:暮らしのノートPJ・ITO文芸≫
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コメント
春樹は「時代を読んでいる」というより、現代人の必要とするものを、共通認識として悩んでいるということでしょう。
彼は流行作家になりたいと思っているわけではなく、時代の空気を先進国の一般人と同じ目線で吸っている認識では謙虚な姿勢です。
そこが現状認識に厳しい文芸評論家には理解されていないところでしょう。昭和世代のわれわれの認識とは異なる苦さと甘さの中で作品を書いているということですが、先進国の中流以上の生活感覚の者には共感を呼ぶ時代認識であり、人間認識だと思いますね。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年5月 1日 (水) 20時46分