災害文学という新ジャンルに挑戦する穂高健一
「戦争文学があるなら災害文学があってもいいのではないか」というのは、~小説3.11「海は憎まず」を刊行した作家・穂高健一氏である。≪参照:災害文学に市民権を~小説3・11「海は憎まず」を穂高健一氏が刊行≫
穂高氏は、日本は災害列島である。「災害報道」と「災害文学」は両輪の輪である。ひとたび災害が起きれば、災害報道の写真や記事だけでなく、プロ作家、アマ(同人誌、学校文芸誌など)で、誰もが被災後の人々を描き、あらゆる角度、それぞれの立場で書き残す。こうした「災害文学」の機運を作りたいとしている。
東日本大震災から2年。震災と原発事故に関する本の出版が相次いでいる。メディアで話題になっている災害文学には次のようなものもある。
いとうせいこう「想像ラジオ」(「文藝」/杉山隆男『兵士は起(た)つ』(新潮社)/大西暢夫『津波の夜に』(小学館)/船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文芸春秋)/塩谷喜雄『「原発事故報告書」の真実とウソ』(文春新書)/森まゆみ『震災日録』(岩波新書)/山川徹『それでも彼女は生きていく』(双葉社)/石村博子『3・11 行方不明』(角川書店)/大鹿靖明『メルトダウン』(講談社文庫)。
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コメント
災害文学は当然、昔からあったもので、今さら言われることでもない。
五十嵐勉の「文芸思潮」でも3・ⅠⅠ問題で特集を組んで論じられていたし、他の商業文芸誌でも作家、文芸評論家から指摘されていたことですね。
右翼の文芸評論家の富岡などは、「災害文学」などというものは文学ではないなどのコメントをしていたが、論議以前のそのような見方もひとつの論議になることでしょう。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年4月 5日 (金) 22時40分