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2013年4月29日 (月)

詩の紹介 「告別―秋のうたー」 門 炎理

告別―秋のうたー 門 炎理

きのう神と別れて 胸にさした 大輪の薔薇に・・・・・
草の乱れる野にいて/濡れたままの柔らかい土に/いくども数えた花/花 たくさんあった。ほんとうにたくさんあった。/いのちもかぞえた/いのちの種ひとつあった/いのちの種を土にまいた。/いのちの芽が出た。/それは かすかな罪に似ていた/菜の花が咲いて雨がやって来た。/白い衣装を脱ぎすてて/季節は還って行った。
本当は もう何も要らないけれど ふたつの家がある それにいっぱい雨を溜めて あるいてゆく
いったい 犯すことの他に/何が出来るのだろう。/野を犯し 花を犯し 人を犯し/ついに 酔うことを犯しはじめて
陽差しはとても明るい 芝生ですべて安らぎ 指を組み合わせて 空を視る。
いくら語っても誰も聴いていなかった/夕焼けの渦の中を鴉が翔んだ。/まつしぐらに北を目指して流れた。/突然に ひとが私に住んだ/その時も とてもたくさんの言葉で語った/広い家の中には誰もいなかったから/町や野にも誰もいなかったに違いない。
どんな日にも夜が来た。/雪明りの丘で/土を求めて掘るだけの/単調な永いいくにち/濡れた土は音なく現われ/首まで埋めてしまいそうにした。
誰をも待たなくなった。/少しずつ微笑を覚えた。/生きるということを/ひとつしか持たない貧しいひとが
薔薇を胸にさして 神と別れて来た午後の 秋。
(「交差点」第5号 1965年 10月東京都・交差点同人社)

紹介者・江素瑛(詩人回廊
雪国、四季がうつりかわり、高く積もった雪、除雪のひとり作業の明け暮れ。「突然に ひとが私に住んだ」そこから詩情が生み出たのだろう。誰もいない時こそ、神が沢山語りをしてくれます。
「いったい 犯すことの他に/何が出来るのだろう。犯すことは変哲もない日常であった。犯すことこそ、神の救い手があります。犯すことはなければ、人は神を必要としないだろう。
「薔薇を胸にさして 神と別れて来た午後の 秋。」格好良く、洒落な言葉で、群れにも帰ろうかと、誰をも待たなくなった。やはり、ひとり内心に神を求めつつでなくてはなりません。

 門 炎理(長野県の詩人・1970年頃より小説を執筆。作家・詩人・伊藤桂一氏門下、宇田本次郎にて「グループ桂」同人。
■関連情報
文芸同志会運営Newes「暮らしのノートPJ・ITO

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